第3章
「どこの出前よ、こんな夜更けに」
田中恵が寝ぼけ眼で寝室から顔を覗かせた。
私はリビングの中央に立ち、倉持修から渡されたファイルとディスクを、まるで壊れやすい宝物のように両手で抱えていた。
「出前じゃないの」
私は小声で答え、それをテーブルの上に置いた。
「倉持修が届けてくれたの」
田中恵は瞬時に覚醒し、私のそばへ歩み寄ると、テーブルの上のそれに目を丸くした。
「ディスク? 今どきこんな時代遅れのメディアを使う人いるのね」
私が恐る恐るファイルを開くと、中には手描きの絵コンテの原稿が一束入っていた。紙はすでに少し黄ばんでいる。田中恵が身を乗り出し、無造作にディスクを手に取ると、テレビのプレーヤーに挿入した。
スクリーンにはすぐさま古い映画のワンシーンが映し出され、画面の中の男女が驚くほど際どい絡みを見せていた。私は慌ててリモコンを掴み、停止ボタンを押した。
「どこの熱狂的な変態ファンがこんなの送りつけてきたのよ」
田中恵はからかうような口調で眉を上げた。
「倉持修」
私は平然と答えた。
「倉持修?」
田中恵の声が明らかにオクターブ上がった。
「あの『夏の終章』の監督、倉持修?」
私は頷き、俯いて絵コンテの原稿をめくった。一つ一つのカットが極めて緻密に描かれている。そして何より私を驚かせたのは、原稿の中のヒロインの顔が、紛れもなく十年前の京都の高校にいた頃の私の姿だったことだ。
「これ、本当に倉持修の作品?」
田中恵は私の手から絵コンテを受け取り、丹念に確認している。
「これ、明らかにあなたのために作られた役じゃない」
「うん」
私は小さく応じた。
「あなたたち、本当にただの高校の同級生?」
田中恵は訝しげに私を見つめる。
「まさか何もないなんて言わないでよ」
「ただの隣の席だっただけ」私は彼女の視線を避けた。
田中恵は首を振り、再びテレビをつけて、真剣にディスクの内容を見始めた。
映画の語り口やカメラワークは非常に独特で、伝統的な美学と現代的な映画言語が融合している。彼女はすっかり見入って、時折感嘆の声を漏らした。
私はその隣に座り、黙って絵コンテをめくっていた。
映画が終わる頃には、空はすでに白み始めていた。田中恵はいつの間にかソファで眠りに落ちている。私はそっと彼女にブランケットをかけ、それからもう一度映画を再生し、一つ一つのカットと演技の技術を真剣に分析し始めた。
いつの間にか、私も眠っていた。こんなに安らかに眠れたのは、随分と久しぶりのことだった。
「アキ! 起きて!」
田中恵の声に、私は夢から叩き起こされた。
目を開けると、すでに午後の時間だった。田中恵はスマートフォンを手に、興奮した表情を浮かべている。
「倉持修がツイッターのトレンドに入ってる!」
彼女はスマートフォンを私に差し出した。
「ハッシュタグは、#倉持修 ホンダのバイク#と#倉持修 花見小路#」
スマートフォンを受け取ると、画面には一枚の写真が表示されていた。黒いバイクに跨った倉持修が、道に立ち、誰かを待っているかのようだ。
そこは、私が高校時代に京都で住んでいた場所だ。
「委員長からメッセージが来た」
私は急いで自分のスマートフォンを取り出した。
「昨日、倉持修が彼女のところへ行って、私の東京の住所を訊いたって」
彼は京都で私を見つけられず、それで住所を訊いて、東京まで来たのだ。
「撮影チームの人から聞いたんだけど、昨日あなたのメッセージを受け取ってから、バイクで京都から東京まで、丸々七時間かけて来たらしいわよ」
田中恵の口調には信じられないという響きがあった。
「それで今、熱を出して入院してるのに、熱海半島の撮影現場で仕事してるんですって」
彼女はもう一枚写真を見せてきた。そこには、分厚いコートに身を包み、撮影現場の中央に立つ倉持修の姿があった。顔色は悪いが、その眼差しは揺るぎない。
「森川アキ」
田中恵は真剣な顔で私を見た。
「どこの世界に、旦那の留守を狙って、夜中にバイクで京都と東京を跨いでまで、同級生にディスクを届けに来る男がいるのよ」
私は黙り込んだ。
田中恵はプロデューサーに連絡を取り、『抜け殻』の件で話す時間を設けたいと伝えた。
プロデューサーは言った。
「明日、直接『光の舞』のオーディション会場に来てください。倉持監督もそこにいますから、その方が話が早いです」
電話を切った後、田中恵は私に念を押した。
「明日、『光の舞』のオーディション会場に行くけど、桜井隼も現場にいるから、うまく避けないとね」
私は頷いた。けれど心の中では、昨夜の倉持修の言葉がずっと響いていた。
『アキ、僕は待てる』
彼は本当に、私を待っていてくれるのだろうか。
