第4章
美咲視点
午前三時、私は自室に戻った。
ドアを開けた瞬間、暗闇から人影が姿を現した。
「帰ったのか」暗闇を切り裂くように、圭の声がした。
私は飛び上がり、慌てて部屋の明かりをつけた。「圭? なんでここに?」
彼はゆっくりと近づいてくる。その顔は恐ろしいほどに険しかった。「それはこっちのセリフだ。こんな時間までどこにいた?」
『終わった』
私は冷静を装った。「眠れなかったから、散歩に行ってたの」
「散歩?」彼は鼻で笑った。「中華街までわざわざか?」
心臓が跳ね上がった。知っている? 彼が?
不意に圭が私の手首を掴んだ。痛いくらいに強い力だった。「今夜何があったか、俺が知らないとでも思ったか?」
「圭、痛い……」
「痛い?」彼の手が私の首へと移り、そこを撫でる。だが、その手つきには脅迫の色が満ちていた。「美咲、俺たちの関係に裏切りは許されない」
彼を突き放そうとしたが、力が強すぎてびくともしない。「何のことか分からないわ」
圭は突然私の顎を強く掴み、無理やり視線を合わせさせた。「分からない? なら、なんでお前から他の男の匂いがするんだ?」
『しまった!』
シャワーを浴びておくべきだった!
「私……」
「あいつに会いに行ったんだろう」圭の瞳に危険な光が宿る。「俺のかわいい、甥にな」
「違う!」私は即座に否定した。「偶然、銃撃戦に巻き込まれただけ! 彼が助けてくれたの!」
「助けてくれた?」圭は私の顎を解放したが、次の瞬間には壁に押し付けられていた。全身で押さえつけられる。「それで? お前たちは二人でどこへ行った?」
彼の怒りと独占欲が伝わってくる。その圧力に息が苦しい。
「小さな部屋に……ただ銃弾から隠れていただけ……」
「隠れていただけ?」彼の手が私の腰に滑り、強く掴む。「ならその服の皺は何だ? 唇が腫れているのはなぜだ?」
何も答えられなかった。彼の言うことは、すべて事実だったから。
圭は長いこと私を見つめていたが、不意に一歩後ろに下がった。
「お前はあいつに惚れている」それは疑問ではなく、断定だった。
「違う!」私はすぐに抗議した。「圭、正気なの!? 私が彼を愛するわけないでしょ! 私は復讐のためにここにいるのよ!」
「ほう?」彼は嘲笑う。「ならなぜあいつを殺さなかった? 今夜は絶好の機会だったはずだ」
「警戒心が強すぎるの。私……隙を見つけられなかった……」
「隙を見つけられなかった?」圭の笑い声は冷たかった。「それとも、できなかったのか?」
私は必死に首を横に振った。「そうじゃない! 信じて! 彼は疑り深すぎるの。もっと時間が必要……」
圭は突然私の両肩を掴み、激しく揺さぶった。「時間? もう十分無駄にしただろうが!」
「彼の信頼を得なきゃいけないの!」私は叫んだ。「組の後継者を殺すのが、そんなに簡単だとでも思ってるの!?」
圭はしばし私を睨みつけていたが、やがてその目から疑いの色が薄れていった。
「俺に嘘をついているんじゃないだろうな、美咲」彼の声は低く、脅迫的だった。「もし俺を裏切れば、どうなるか分かってるな」
分かっていた。圭は情け容赦のない男だ。もし私が正雄に気があると知られたら……
「裏切らないわ」私はそっと言った。「私たちは共犯者でしょ、忘れたの?」
圭は私を吟味するように見つめ、やがて頷いた。「いいだろう。だが美咲、俺の忍耐にも限界がある」
彼はドアに向かって歩き、戸口で立ち止まった。「一ヶ月だ。一ヶ月だけ待ってやる。それでもまだ実行できないなら……」
彼は最後まで言わなかったが、その脅しは明確だった。
圭が去った後、私はベッドに崩れ落ち、全身が震えていた。
『いったい、私は何をしてるの?しぬ!』
今夜、正雄と起こったことすべてが、私を完全に混乱させていた。彼を憎むはずだった。復讐のために、彼を殺すはずだった。
なのに、彼がキスしてきた時、強く抱きしめ合った時……
『くそっ! 本気で彼に惹かれてるっていうの?』
もしそうだとしたら、私はどうすればいい?
圭は私を解放しないだろう。そして正雄は……もし私が彼の父親を殺したと知ったら、彼を殺すためだけに近づいたと知ったら……
私は頭を抱え、今までにない絶望を感じた。
『袋小路だ。くそ.......』
どちらかを選べば、もう一方を裏切ることになる。そして裏切りの代償は、死かもしれない。
――
数日後、黒田家の会議室。長い会議テーブルの両脇に、十数人の組の中核メンバーが座っていた。
正雄は上座に座り、財務報告書に目を通していた。「西埠頭の収益が、先月から一二パーセント減少している」
「普通のことだ」圭は落ち着いた様子でウイスキーグラスを持ち上げた。「最近の不安定な情勢で、取引先も慎重になっている」
「慎重?」正雄が顔を上げた。「それとも、誰が本当に権力を握っているのか、確信が持てないからか?」
部屋は瞬時に静まり返った。年配の組員たちが数人、居心地悪そうに顔を見合わせる。
圭は笑みを浮かべてグラスを置いた。「どういう意味だ、正雄?」
「別に。叔父さん」正雄はファイルを閉じた。「ただ、明確なメッセージを送る必要があるかもしれないと思っただけだ。黒田家のリーダーシップは決して変わっていない、と」
「無論、変わっていないさ」圭は同意して頷き、それから話の方向を変えた。「だが、若者は衝動的になりがちだ。いくつかの決定には、より経験豊富な声による導きが必要かもしれん」
圭の右隣に座っていた五十代の組の長老、早瀬徹が咳払いをした。「圭の言うことにも一理ある。和也も常々、若者は鍛錬が必要だと言っていた」
「ああ」別のメンバーが同意する。「顧問会のようなものを設立することを検討すべきかもしれんな……」
正雄の視線が彼らの顔を一人一人なぞり、その表情のすべてを読み取っていく。圭が少なくとも半数を味方につけていることが、はっきりと見て取れた。
「顧問会?」正雄は鼻で笑った。「俺に顧問が必要だとでも?」
「必要というわけではない」圭は穏やかに言った。「組の結束と安定のためだ。結局のところ、集団での決定は個人の判断よりも常に安全だからな」
正雄が不意に立ち上がると、全員の視線が彼に集まった。部屋の空気が一瞬で張り詰める。
「皆さん、親父は俺に組を継がせた。あんたたちの許可を求めるためじゃない。もしそれに不満がある者がいるなら……」
彼の視線は一人一人の顔を巡り、最後に圭に注がれた。「ドアはあそこだ」
圭は目を細めた。「もちろんだ、正雄。我々は皆、君のリーダーシップを支持している。ただ、組全体の利益を考慮してくれることを願っているだけだ」
「そうするさ」正雄は再び腰を下ろした。「会議は終わりだ」
人々が一人、また一人と去っていく。圭が最後だった。ドアのところで、彼は正雄を振り返り、その目に冷たい光を宿した。
全員が去った後、正雄は一人会議室に残り、今しがた起こったことを思案していた。
圭の野心は今や完全に露わになった。彼は組を内部分裂させ、正雄の権威を弱めようとしている。さらに危険なことに、彼はすでに多くの人間をうまく買収していた。
『叔父さんも、もう待てないらしいな』
正雄は窓辺に歩み寄り、夜景を見つめた。圭が完全に実権を握る前に、行動を起こさねばならない。
