第1章
私はもうすぐ死ぬ。
少しでも長く生き延びるため、私は自分の身体を売って薬代を稼ぐ道を選んだ。
「お金さえいただければ、今夜はあなたの好きにしていいわ」
厳重な警備をすり抜け、名士たちが集う晩餐会に紛れ込む。長い時間をかけて、ようやく私を買ってくれそうなハゲの男を見つけた。
彼の汗ばんだ大きな手が、私の腰の曲線に沿って滑っていく。
「金が欲しいなら、それなりの誠意を見せてもらわないとな?」
私はつま先立ちになり、その脂ぎった口に向かって、目を閉じたまま顔を近づけた。
このキスさえ我慢すれば、薬代を稼げる。人工心臓があと数日動く。
唇が触れようとした刹那、うなじに強い衝撃が走った。凄まじい力で、身体ごと後ろに引きずられた。
「ドンッ」という鈍い音と共に、私は硬い胸板に背中から激突した。
椎名陸だ。
力強く、落ち着いた心音が耳に届く。
あれは、私の心臓だ。
彼の身体の中で、なんと心地よいリズムを刻んでいることか。
「水野千尋……お前には反吐が出る」
椎名陸の声は、氷を砕いたように冷たかった。汚物でも見るかのような蔑みの眼差し。
椎名陸と私の関係を察したのか、小林社長は顔面蒼白になり、転がるように群衆の中へ逃げ去っていった。
手に入りかけた命綱が、飛び去ってしまった。
胸に埋め込まれた金属の塊が抗議するかのように激しく軋み、激痛に脂汗が滲む。
私はよろめく身体を支え、喉元まで込み上げた鉄錆の味を飲み下すと、怒りで燃え上がるような椎名陸の瞳を見据えた。
「椎名社長ったら、私のパトロンを追い払っちゃって。この損害、補償していただけるのかしら?」
椎名陸の瞳に嫌悪の色が濃くなる。私の顎を掴む指に力がこもった。
「椎名家を出てたった一年で、そこまで飢えたか? 男なら誰でもいいのか?」
「ええ、お金に困ってるの」
私は微笑み、指先で彼の胸板を挑発的に撫で上げた。
「椎名社長が興味あるなら……三年間寝食を共にした仲に免じて、二割引きにしてあげる。どう?」
椎名陸はまるで汚いものでも触ったかのように、私を乱暴に振り払った。
よろめいて足元が定まらない私の耳に、甘ったるい声が割り込んでくる。
「お姉ちゃん? どうしてこんなところに……」
水野奈々がゆっくりと歩み寄ってくる。私を一瞥した瞬間、その目元が赤く染まった。
「お姉ちゃん、こんな自分を貶めるようなことしないで。お父さんとお母さんに謝って、素直になれば、きっと許してくれるわ」
謝罪? 許すだと?
水野家へ戻されてからの三年間が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、思わず苦笑が漏れた。
「そんなに私が心配なら、奈々ちゃんが椎名社長にお願いしてくれない? 私の身体を買ってって」
二人の顔を交互に見やり、挑発的なトーンで続ける。
「それとも、二人まとめて相手してあげようか? 三人でなんてしたことないけど、可愛い妹と一緒なら悪くないわね」
「ただし、別料金よ」
「水野千尋ッ!」
椎名陸が激昂し、こめかみに青筋を浮かべる。
「金が欲しいんだな? いいだろう、くれてやる!」
彼は乱暴に財布を取り出すと、分厚い札束を鷲掴みにし、私の顔めがけて全力で叩きつけた。
茶色い一万円札が宙を舞い、鋭い紙の端が私の目尻を掠める。
意外と痛いものだ。
血走った目で、椎名陸は会場の隅にいた給仕の少年を指差した。
「そこまで落ちぶれたか。そこまで恥知らずなのか。なら、今ここで、全員が見ている前で、あの男にしゃぶって見せろ! それができたら、この金は全部くれてやる!」
宴会場が、水を打ったように静まり返る。
誰もが驚愕の表情で私の反応を窺っている。
「椎名社長、その言葉に噓はないわよね?」
この金さえあれば、あと数日は生きられる。
死を前にして、尊厳など何の意味もない。
私は大勢の人が見ている中で、その給仕に向かって歩き出した。
給仕の少年は恐怖でトレイを震わせていたが、逃げようとしたところを椎名陸のボディーガードに取り押さえられた。
彼の前に立ち、ゆっくりとしゃがみ込む。
視線の先には、男のスーツのズボン。
「協力して。すぐに終わらせるから」
恐怖で硬直する少年に微笑みかけ、震える指先で冷たい金属のファスナーに触れた。
「ジーッ――」
静寂に包まれた広間に、ファスナーが下がる音が鋭く響き渡る。
彼が私の浅ましい姿を見たいというのなら、望み通りに見せてやるまでだ。
その瞬間、強烈な力で手首を捻り上げられた。骨が砕けそうなほどの激痛。
顔を上げると、血が滴りそうなほど充血した椎名陸の瞳があった。
「水野千尋、てめえ……本気でやるつもりか!」
彼は歯ぎしりし、次の瞬間、傍らにいた水野奈々を突き飛ばすと、死んだ犬でも引きずるように私の腕を引っ張り、大股で上階の客室へと向かい始めた。
「陸くん!」
背後で水野奈々の泣き叫ぶ声がする。
椎名陸には届かない。彼の歩調はあまりに速く、私は何度もつまずきかけた。ハイヒールが片方脱げ、冷たい大理石の床が足の裏を刺すように痛い。
スイートルームのドアが乱暴に蹴り開けられた。
私はベッドに叩きつけられる。起き上がる間もなく、男の重い身体が覆い被さってきた。嵐のような怒りを纏いながら。
「身体を売りたいんだったな? なら俺が買ってやるよ、望み通りにな!」
