第4章
世界が、瞬時にして静寂に包まれた。
父は石像のようにその場で硬直している。
母は目を覆っていた手を力なく下ろし、床に広がる鮮烈な赤を、ただ呆然と見つめていた。
椎名陸でさえ、弾かれたように一歩踏み出し、その瞳を激しく揺らした。
だが――水野奈々だけは、小さく溜め息をついた。
「お姉ちゃん、この前病院から輸血パックを盗んだだけじゃ飽き足りないの? 今日はお母さんの誕生日なのよ。そんな小道具まで使って同情を引きたいわけ?」
椎名陸の体が強張る。
「輸血パック、だと?」
彼は目を細め、ナイフのように鋭い視線を私の顔に突き刺した。
「私、数日前に病院でお姉ちゃんを見かけたの」
水野奈々は一歩前に進み出ると、言った。
「婦人科で、性感染症の検査を受けていたの……」
私は荒い息を吐き出す。女の口元が動いているのは見えるが、何を言っているのか、もう耳に入らない。
また、これだ。
水野奈々が口を開けば、それがどんなでたらめだろうと、皆は疑いもせず信じてしまう。
母のお気に入りの花瓶を割った罪をなすりつけられた時も、父の大事な時計を捨てて私が盗んだことにされた時も、階段で足を挫いて私が突き落としたと言われた時も――彼らはすべて信じた。
なぜなら、水野奈々は彼らが手塩にかけて育てた娘だからだ。優しくて、礼儀正しくて、誠実な子だと信じて疑わない。
たとえ血がつながっていなくても――かつて家政婦が赤ん坊を取り違え、自分の子を裕福な水野家に置き、本当の水野家の子供を孤児院に捨てたとしても。
私は、その不運な捨て子だった。
孤児院育ちだから、両親にとって私は強欲で、嫉妬深く、嘘ばかりつく悪い子なのだ。
ただ運悪く、身体に彼らの血が流れていたせいで、連れ戻さざるを得なかっただけ。
「いい……いい度胸だ!」
父は怒りのあまり笑い出し、大股で歩み寄ると、革靴についた血を私の服で乱暴に拭った。
「水野家に、お前のような薄汚い娘はいらない。こんなに根性が腐った女だと分かっていれば、最初から連れ戻しなどしなかった!」
そう?
あなたも私が生まれつき悪質だと思っているの? 椎名陸。
私は渾身の力を振り絞り、彼を見上げた。
けれど彼は、嫌悪感を露わにして顔を背けた。もう、私を見ようともしない。
ああ、彼もそう思っているのか。
まあいい。どうせ私はもうすぐ死ぬ。せめて死んだ後、彼が悲しまずに済むなら、それでいい。
「追い出されなくても、自分で出て行くわ」
私は低く笑い声を漏らし、よろめきながら立ち上がると、自らの足で玄関へと向かった。
一瞬立ち止まり、背中を向けたまま告げる。
「本当は、私も連れ戻されたことを後悔してるの」
あの時、私は両親にある条件を出した。
椎名陸も一緒に連れて行ってほしい、と。
椎名陸は先天性の心臓病で親に捨てられた子だった。体が弱く、食事もまともにありつけず、いつも部屋の隅で震えていた。私が奪い取ってきたパンを手に握らせてやらなければ、彼はとっくに死んでいただろう。
私がいなければ、彼は生きられない。
両親は私への負い目から、その条件を呑んだ。
そうして私たちは、共に水野家に引き取られたのだ。
幸せな日々の始まりだと思った。けれどそれは、新たな悪夢の幕開けに過ぎなかった。
水野奈々はすぐに気づいた。この家で唯一の脅威となるのは私だということに。
彼女は些細な日常の中で私を罠に嵌め、私には弁解する気力さえ残されていなかった。
椎名陸の病状は成長とともに悪化の一途をたどり、私は毎日病院を駆け回り、資料を読み込み、専門医への連絡に追われた。両親の目には、私の沈黙は同意と映り、多忙は家族への拒絶と受け取られたらしい。彼らは私を陰気な性格だと決めつけ、ますます距離を置くようになった。
背後で、重い扉が閉ざされる。
私は鉛のように重い体を引きずり、当てもなく歩き続けた。
やがて全身の血液が凍りつき、私は雪の中に崩れ落ちた。
降り積もる雪が、少しずつ、少しずつ私の体を覆い隠していく。
別荘の中では、軽快なバースデーソングさえも、その重苦しい空気を払拭できずにいた。
椎名陸はケーキカット用の銀のナイフを握り締め、指の関節が白く浮き上がっている。
「陸くん、どうしたの?」
水野奈々がケーキを運びながら近寄ってくる。その笑顔は穏やかで、無害そのものだった。
「お姉ちゃんにケチつけられたからって、気にしないで。あの子はそういう人だから。お金のためなら何だってするのよ……」
「もういい」
椎名陸は猛然と立ち上がり、銀のナイフを「ガチャン」とテーブルに投げ出した。
彼は深く息を吸い込む。
「車に、忘れ物をした」
水野奈々の驚愕を無視し、椎名陸はコートを掴んで大股で飛び出した。
外は吹雪が吹き荒れている。
別荘の門前は閑散としており、あの女の姿はどこにもない。
椎名陸は胸のつかえが取れたような安堵を覚えたが、すぐに弄ばれたという怒りが込み上げてきた。
水野千尋のやつ、あんなに足早に消えるなんて、そんなに俺と顔を合わせたくないのか。
踵を返そうとしたその時、車のヘッドライトが路肩の雪山を照らし出した。
その瞬間、彼の瞳が見開かれた。
雪だまりから、ひと筋の赤色が滲み出している。
椎名陸は我を忘れて駆け出し、積もった雪を必死に掘り返した。
雪の下――そこには水野千尋が小さく丸まり、目を堅く閉じて横たわっていた。顔色は紙のように白く、呼吸による胸の起伏は、もうほとんど感じられなかった。
