第3章
周防天華は警戒を強め、兄たちへ素早く視線を走らせた。
それから、上座に座る古川家当主――古川邦夫へ。彼もまた、顔色がひどく冴えない。
誰も口を開かない。古川朱那の行動に不満なのは明らかだった。
周防天華は察して、すぐに声を上げる。
「お姉さま、そんなの……だめです。これは全部、叔父さまとお兄さまたちが、お姉さまに贈ったものですよね。わたしがもらうなんて……」
言いながら、困ったように眉を下げる。
「そんなの、外に知られたら……わたしが奪ったって思われちゃいます」
その白々しさに、朱那は吐き気を覚えた。
「要るなら要ればいい。今日だけよ」
朱那は冷たく言い放つ。露骨に苛立ちが滲んでいた。
「今を逃したら、次はない。あとで泣きつかれても二度と渡さない」
一同が息を呑む。誰も彼女の真意を読み取れず、ただ朱那の顔を凝視する。
いちばん刺さる視線は古川礼和からだった。
燃えさかる炎みたいな目。朱那を、灰になるまで焼き尽くすかのように。
――昔は、礼和がいちばん優しかった。贈り物も、いちばん多かった。
けれど今の朱那には、彼を見るだけで胸が悪くなる。
「兄貴、礼希兄さん……お姉さまがそう言ってくださるなら、わたし……」
周防天華がか細く切り出すと、礼和が即座に言い切った。
「くれるって言うなら、もらっておけ!」
どこか苛立ちを含んだ声。朱那に聞かせるみたいに。
朱那は最初からこうなると分かっていた。両手を軽く広げ、周防天華を見る。
「ほら。持っていきなさい」
周防天華の表情が、ぱっと緩む。
「ありがとう、お姉さま。大切に保管しておきますね」
――気持ち悪い。
朱那はもう耐えられず、踵を返して会場の隅へ向かい、角の席に腰を下ろした。
その背中を見送りながら、周防天華はかすかに笑う。
(古川朱那……ゆっくり苦しんで。あなたのものは、全部わたしのもの)
「兄貴、あいつどうしたんだ?」
古川礼希が朱那の背を見て、理由のない苛立ちを滲ませる。礼和を脇へ引いた。
礼和の顔色が青白く揺れたが、すぐに冷たく言い捨てる。
「放っておけ。どうせ駆け引きだ。昔からそうだろ。低レベルな手で注目を集める。構えば構うほど調子に乗って、天華をいじめるだけだ」
礼希は頷いた。兄貴の言う通りだ、と納得して、そのまま朱那のことは放置する。
礼希は周防天華のために用意した贈り物を運ばせた。
「天華、これはおまえが好きな画家の新作だ。競り落としておいた」
「わあ……!」
周防天華は歓声を上げ、満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう、礼希兄さん!」
わざと角の朱那をちらりと見やる。得意げな光が、瞳の奥で隠しきれない。
礼和も続けて贈り物を差し出した。6,000万相当の高級オーダーメイド腕時計。
古川邦夫と末弟の古川礼人は、それぞれベントレーと不動産。どれも桁違いだ。
会場の空気は一気に沸騰した。
古川家の「主」たちが、周防天華をどれほど寵愛しているか――誰の目にもはっきりする。
「外姓のほうが、あの子より可愛がられてるのね」
「周防嬢のほうが落ち着いてるわ。あの古川の子は……」
「比べものにならないもの」
その声はウイルスみたいに広がり、数分で賛美の矛先は周防天華へ傾いていった。
昔の朱那なら、胸がずたずたになっていたはずだ。
でも今は、何の波もない。むしろ、体が軽い。
朱那はワインをひと口。甘ったるい。
ふと、周防天華が蛇室を管理するメイドへ目配せした。
メイドは音もなく下がっていく。周防天華の笑みが、いっそう甘くなる。
――始まった。
朱那は静かに待つ。
「お姉さま、ドレスに着替えるの……付き合ってくれます?」
周防天華が柔らかく寄ってくる。声も視線も、やけに優しい。
背後では、古川邦夫と三兄弟が揃ってこちらを見ていた。朱那が天華を食い殺すとでも思っているみたいに。
朱那は拒まない。拒めば次の芝居が回らない。
二人で階段を上がる。
「お姉さま、あとで「大きな贈り物」をあげますね。絶対、満足しますよ」
一歩遅れてついてくる周防天華の声は、氷みたいに冷たかった。毒蛇よりも。
前はこの仮面に騙され、朱那が大勢の前で醜態を晒した。
今日は、その苦しみを味わう番だ。
「へえ、そう」
朱那は幽かに笑う。
「楽しみにしてる」
そう言って朱那は自室へ入り、鍵をかけた。
閉ざされた扉を見て、周防天華は眉を上げて満足げに笑う。
「小姐、準備はできました。蛇は外壁を這って、あの部屋へ入ります。ほかの方には影響しません」
メイドが小声で報告した。
「下がって」
周防天華は首のネックレスを外しながら言う。
「余計なことは言わない。分かってるよね」
メイドは何度も頷き、去っていった。
周防天華は部屋で着替える。
二着目は水色のプリンセスドレス。ダイヤが散りばめられ、裾は大きく、内側にはパニエ。
パニエを整えた瞬間、ふくらはぎにひやりとした震えが走った。
蛇室のあの生き物たちが脳裏に蘇り、胃の奥がむかつく。
着替え終え、メイドに支えられて階下へ降りる。
まるで天女のように。
「周防嬢、本当にお綺麗」
「これが古川家の令嬢ね」
「さっきの子とは格が違うわ」
称賛の波に、周防天華は陶然となる。
古川家の男たちの視線も賛美に満ち、輝く姫を見上げるようだった。
その虚栄心が頂点に達したとき――
「蛇だ!」
子どもの叫び声。きゃっと悲鳴を上げ、周防天華のそばを駆け去っていく。
「スカートの中に蛇がいる!」
周防天華の笑顔が凍りついた。反射的に見下ろすが、何も見えない。
母親が子を引き戻し、申し訳なさそうに頭を下げた。
苛立って言い返そうとした、その瞬間。
ぬるり。
脚に張りつく滑らかな感触が、肌を伝って下へ這い降りた。
細い鱗が、柔いふくらはぎをこすっていく。
礼和がいちばん可愛がっていた、あの黒い烏梢蛇が脳裏に浮かぶ。
頭が真っ白になった。
次いで、足首に――ひやりとした舌が触れる。
粘ついて、冷たい。
「きゃあああっ!」
裂けるような絶叫。声が裏返り、狂ったみたいに跳びはねる。
周防天華はその場で暴れ、ドレスを脱ごうと手をかけた。
「本当にいる、黒い蛇だ!」
「どうしてスカートの中に!」
「逃げろ!」
会場は一瞬で地獄絵図になる。悲鳴、転倒、怒号が渦を巻き、誰もがパニックに陥った。
礼和たちは真っ先に駆け寄ろうとする。
周防天華が衆目の前で服を脱ぐなど、古川家の「令嬢」としてあり得ない。
だが、人が多すぎた。蛇に怯えた客が押し合い、三人は近づけない。
遠くから叫ぶしかない。落ち着け、と。
その間にも周防天華はドレスを引き裂き、パニエまで破り捨てようと狂乱した。
そして運悪く、胆の据わったメディアがカメラを向けていた。
彼女の最も惨めな瞬間が、容赦なく切り取られていく。
