第262章

「奥様、お邪魔して申し訳ありません。黒川社長の機材設定をお手伝いしますので」

伊井瀬奈は先月の請求書を確認し終えたばかりで、まだ原稿には手をつけていなかった。神谷竜也に呼ばれた「奥様」という響きが、彼女の記憶を無限に呼び覚ます。

「神谷秘書、これからは呼び方を変えてください。私とあなたたちの黒川社長はもう離婚したんですから」

神谷竜也は頭を掻き、気まずそうに笑った。

「承知いたしました、奥様」

伊井瀬奈は呆れて言葉も出ない。

二人が今後の呼び方について結論を出せないでいると、黒川颯がドアを開けて入ってきた。鼻筋には眼鏡が乗っている。

伊井瀬奈の記憶では、彼は昔、近視ではなかった...

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