第1章 運命を交換する

ギルドの契約ホールは、今日この日、特別な熱気に満ちていた。

十年に一度だけ執り行われる、エリートメンバーと魔獣の契約儀式。ホールの中央に描かれた魔法陣が静謐な蒼光を放ち、その周囲を、期待と羨望の入り混じった眼差しを向けるギルドメンバーたちが幾重にも取り囲んでいる。

エラ・セトリンは、その人垣の最前列に立っていた。

亡きギルド長老の遺児である彼女は、優先選択権を与えられているだけでなく、その比類なき才能ゆえに、ギルド中の期待を一身に集めていた。

彼女の静かな視線が、魔法結界に囚われた魔獣たちをゆっくりとなぞり、やがて絢爛たる羽を持つ一羽の翡翠鳥の上でぴたりと止まる。

囚われの身でありながら、その翡翠鳥は少しも臆することなく、誇り高く佇んでいた。翠色の羽が魔法の光を浴びて蠱惑的な光沢を放ち、その姿は、さながら囚われの貴族のようだった。

「エラ、あの翡翠鳥は血統も申し分なく、秘める魔力量も桁外れだ。君にこそ相応しい」

監督官の一人がエラの傍らに寄り、そっと耳打ちした。

「ギルドは、あの一羽を君に割り当てることを決定した」

エラは無言で頷くと、翡翠鳥が囚われている結界へと静かに歩みを進めた。

パリン、と軽い音を立てて結界が解かれる。だが、翡翠鳥はエラに歩み寄るかと思いきや、逆に数歩たたらを踏んだ。高く掲げられた頭、その瞳には明確な侮蔑の光がきらめいている。

「おいで」

エラが白く細い指先を差し伸べ、静かに呼びかける。

翡翠鳥は、キィ、と鋭く一声鳴くと、翼をわずかに開閉させる。依然として距離を保ったまま、服従する気など毛頭ないという構えだ。

ホールに満ちていた期待の空気は、徐々に戸惑いの囁き声へと変わっていく。この気高き魔獣が、ギルド随一の天才であるエラを主と認めないのではないか。そんな疑念が、波のように広がっていった。

その時だった。

「先輩、遅れてすみません!」

人垣をかき分けるようにして、小柄な影が飛び込んできた。

メリッサ・ブルームが、ぜえぜえと息を切らしながらエラの隣に駆け寄る。その腕の中には、息も絶え絶えといった様子の小さな暗影龍が抱えられていた。

「わ、私……本当は参加するつもりじゃなかったんですけど、この子が、あまりにも可哀想で……」

自由冒険者からエリートメンバーに昇格したばかりの彼女は、次回の儀式を待つこともできたはずだ。だが、どうしても今回参加すると言って聞かなかったのだという。

誰もが息を呑んだのは、次の瞬間だった。

あれほど傲慢にエラを拒絶していた翡翠鳥が、メリッサの姿を認めるや、ふわりと軽やかに飛び立ち、彼女の肩へと舞い降りたのだ。そして、その高貴な頭を垂れ、甘えるようにそっと彼女の頬にすり寄せたのである。

「どうやら……私の方が気に入られちゃったみたいです」

メリッサは小声で囁いた。その瞳に一瞬、勝ち誇ったような光が宿ったが、すぐに消え、困ったように眉が下げられる。

「すみません、先輩。わざとじゃないんです……」

そこに、一人の長老が大股で歩み寄った。

「ブルーム、お前の魔力基盤は不安定だ! たとえ今、翡翠鳥がお前に興味を示そうと、いずれ十分な魔力を供給できなくなるぞ! この魔獣はエラのものとなるべきだ」

長老の厳しい声が響き、ホールの空気が一気に張り詰める。

エラがゆっくりとメリッサの前に進み出ると、メリッサはみるみるうちに目を赤くし、ひどくか弱い様子で慌てて釈明を始めた。

「先輩、私、本当にただ、ちょっと見てみたかっただけで……」

エラは、しかし、彼女の言い訳に耳を貸す素振りも見せない。すっと手を伸ばすと、その腕の中から小さな暗影龍をひょいと抱き上げた。

暗影龍が弱々しく目を開ける。その赤い瞳に、命の光が微かに瞬いた。

「その子と交換するわ」

エラの不意の一言に、満場が水を打ったように静まり返り、次の瞬間、蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれた。

「エラ、気は確かなのか!」

監督官が慌てて前に出る。

「その暗影龍は血統も不明な雑種で、魔力量もたかが知れている! 翡翠鳥とは比べ物にならんぞ!」

エラは答えず、ただ暗影龍の頭を優しく撫で、初めて微かな笑みを唇に浮かべた。

「決めました」

彼女は心の中で静かに呟く。

『この翡翠鳥は、ろくなものじゃない』

エラ・セトリンは、七歳の時に暴走した魔獣に両親を殺害された。ギルド会長に救われ、弟子として引き取られた彼女は、常に特別な庇護のもとにあった。だからこそ、この瞬間、彼女の下した決断は、誰にも理解しがたいものだった。

ただ、エラ自身だけが知っていた。

前世でも、彼女は全く同じこの場所に立ち、あの翡翠鳥を選んだのだ。

至宝として扱い、育てるために全てを捧げた。無数の魔力結晶を注ぎ込み、時には人食い魔獣の討伐といった命がけの依頼さえ引き受けた。満身創痍でねぐらに戻っても、翡翠鳥は一瞥もくれなかった。

十年という歳月をかけ、ついに翡翠鳥が人型へと進化するのを助けた。

それでも翡翠鳥は傲慢なままで、魔力結晶が欲しい時にだけ、彼女に命令を下すようになった。

全てが変わったのは、あの日。

エラは偶然見てしまったのだ。あの翡翠鳥が、メリッサの髪を優しく指で梳き、その瞳に慈しみと甘さを満たしているのを。

そしてメリッサは、親しげに翡翠鳥の首に魔力の花輪をかけていた。二人の間に流れる空気は、誰が見ても親密そのものだった……。

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