第2章 前世の痛み

「先輩、本当に翡翠鳥と、その……混血の暗影龍を交換なさるのですか?」

メリッサの声に、エラはふと現実に引き戻された。その瞳には隠しきれない得意げな色が爛々と煌めいているというのに、口元には偽りの申し訳なさが貼りついている。

「ええ」

エラは冷静に答え、腕の中の暗影龍をさらに強く抱きしめた。

前世で、この小さな暗影龍はメリッサの不安定な魔力供給に耐えられず、あっけなく死んだ。

その死をきっかけに、メリッサは翡翠鳥の稀有な血統と力に目をつけ、執拗にエラへつきまとうようになった。エラはそんな彼女を敵視し、ことあるごとに遠ざけようとしたが、まさかそれが翡翠鳥自身の怒りを買うことになるとは思いもしなかった。

あの土砂降りの夜。翡翠鳥は禁断の森の魔法障壁を破壊し、永きにわたり封印されていた古の魔獣たちを解き放ったのだ。

獣心ギルドは壊滅的な厄災に見舞われ、エラ自身も魔獣に片脚を食いちぎられた。無残な体を引きずり、血の跡を残しながら翡翠鳥に助けを求めたが、彼はメリッサをその背に乗せると、一度も振り返ることなく闇の中へと消えていった……。

今、この腕の中でか細い息をつく暗影龍を抱いていると、エラは奇妙な宿命の巡り合わせを感じずにはいられなかった。

おそらく、これが運命が私に与えた二度目の機会なのだろう。

「エラよ」

監督者の長老が、深い溜め息とともに言った。

「お前は会長の愛弟子なのだから、最高の魔獣を手にするべきだ。あの翡翠鳥を、魔力も不安定なメリッサなどに与えるのは、あまりにも惜しい」

エラは答えなかった。ただ、もう一人の長老が人を連れて魔法陣を設置し始め、メリッサと翡翠鳥の契約儀式の準備が着々と進められていくのを、静かに眺めていた。

腕の中の暗影龍は何かを察したのか、赤い瞳に一瞬、恐怖の色がよぎる。捨てられるのを恐れるように、必死の力でエラの腕にその小さな体を絡みつかせた。

魔法陣の中央に立ったメリッサが、勝ち誇ったような視線をエラに向ける。

「先輩とこの暗影龍は、よほどご縁があるようですね。残念ながら混血で血が不純なので、大成は難しいでしょうけど」

その言葉に、周りのギルドメンバーたちが次々と眉をひそめた。

年配の訓練士の一人が、我慢ならんといった様子で口を開く。

「メリッサ、エラが譲らなければ、お前などに翡翠鳥を得る資格はなかったのだぞ。感謝するどころか、その無礼な物言いは何だ」

翡翠鳥はメリッサの肩で主を庇おうとしたようだが、メリッサから供給される魔力があまりにも微弱なため、声を発することさえできない。

ただ、エラを鋭く睨みつけることしかできず、その瞳には嫉妬とも怒りともつかぬ、複雑な光が揺らめいていた。

儀式が終わり、エラは暗影龍を抱いて山の中腹にある魔法小屋へと戻った。そっとベッドの上に寝かせ、注意深くその傷を検める。

全身傷だらけのこの暗影龍は、まだ若く、成体になってからようやく数十年といったところだろうか。

エラは、その尾に鱗状の鰭があることに気づいた。暗影龍と水元素の魔獣との間に生まれた、混血の証だ。

「血が混じっている、ね……。彼らがそう言うのも無理はないわ」

エラは優しく囁いた。

「でも、そんなことは、どうでもいいの」

彼女は暗影龍を屋外にある魔力泉のほとりへと運び、魔力が満ちる水にその体を浸からせた。

小さな龍はゆっくりと目を覚ますと、貪るように周囲の魔力を吸収し始める。赤い瞳は次第に生き生きとした輝きを増していった。

いくらか体力が回復したところで、暗影龍は不意に、エラに向かって一筋のシャドウエネルギーをぷしゅっと噴き出した。

エラは、こつん、と軽くその頭を叩く。

「だめよ。私は魔獣を虐待するような主人じゃないんだから」

暗影龍は目をぱちくりさせ、少し驚いたような顔をした。

「心配しないで。私がちゃんとあなたを養ってあげる」

エラは微笑みかける。

「だから、安心して傷を癒してちょうだい」

今度は、もう前世の轍は踏まない。あなたも、私も。

エラは心に固く誓った。

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