第2章

朝倉奏子視点

三ヶ月前

私は布団に潜り込み、部屋の中を行ったり来たりしている中守幸希の姿を見ていた。

ここ数週間、彼の様子はずっとおかしかった。帰りは遅いし、電話ではひそひそと話し、私をじっと見つめてくる。

「奏子」

彼の声は途切れ途切れだった。

「話があるんだ」

私は体を起こした。もうすぐ深夜0時になろうとしている。

「どうしたの?」

彼は歩くのをやめ、私を見た。その手は震えていた。

「離婚したい」

は?私はただ彼を見つめることしかできなかった。きっと、たちの悪い冗談に違いない。

「……何て言ったの?」

「本気だ」

彼は腰を下ろしたが、私と視線を合わせようとはしなかった。

「もう何ヶ月も、このことを考えていたんだ」

何ヶ月も?

「中守幸希、一体何の話をしてるの?」

「俺は死ぬんだ、奏子。余命半年、もしかしたらそれより短いかもしれない」

彼の声がひび割れた。

「三十歳で君を未亡人にするわけにはいかない。俺が死んでいくのを見ているなんて、君はもっといい人生を送るべきだ」

私は彼の手を掴もうとしたが、彼は身を引いた。

「あなた、本気で言ってるの?どうかしてるわ。私たち、結婚して八年よ。病気だからって、あなたのもとを去るわけないじゃない」

「出て行けと言ってるんじゃない。君を自由にしてあげたいんだ」

「何から自由になるって言うの?あなたを愛することから?あなたの妻であることから?」

彼は立ち上がり、また部屋を歩き始めた。

「君は分かってない。俺は君の家に婿入りした、ただのしがない男だ。朝倉家の名前も、金も、会社も、何一つ俺のものじゃない。金持ちの娘と結婚できて運が良かっただけだ」

「黙って」

私はベッドから飛び降りて、彼の腕を掴んだ。

「あなたはただの男なんかじゃない。私の夫よ。五年も私たちの会社を経営してきたじゃない。私たちが持っているものの半分は、あなたが築いたものでしょう」

彼は捨てられた子犬のような瞳で私を見た。

「死んだ夫の思い出に縛りつけたくないんだ。これから十年、君に喪服を着させて、悲しい未亡人を演じさせたくない。君は三十歳だ。綺麗だ。君にはこれからの人生があるんだ」

この人、本気だ。私の夫は、自分が死んだ時に私が悲しまないように、私と離婚したがっている。

「幸希、私を見て」

私は彼の顔を両手で掴んだ。

「未亡人になるかなんて、どうだっていい。私が気にしているのは、あなたの妻でいること。私たちに残された時間がどれだけだとしても」

「奏子――」

「だめ」

私は一歩も引かなかった。

「『病める時も健やかなる時も』、覚えてるでしょ?あれは本心から誓った言葉よ」

彼は泣き始めた。中守幸希が泣くことなんて、今まで一度もなかったのに。

「君の人生を台無しにしてしまうほど、君を愛しすぎてるんだ」

「そして私は、あなたに突き放されるのを許さないほど、あなたを愛してる」

私は彼の涙を拭った。

「離婚なんてしない。二人で一緒に乗り越えるの」

彼は私を強く引き寄せ、きつく抱きしめた。彼の心臓が、とても速く鼓動していた。

「一つだけ、約束してくれ」

彼は囁いた。

「俺がいなくなっても、幸せになるって約束して。俺のことで悲しんで、人生を無駄にしたりしないって」

あの言葉にもっと注意を払うべきだった。なぜ彼がそこまで私の未来を心配するのか、疑問に思うべきだった。でもその時の私は、愛だの死だの、そんなロマンチックでくだらないことしか考えていなかった。

「約束するわ」

私は言った。

それが、とんでもない嘘っぱちだったなんて。

***

二週間後

私は中守幸希の書斎机の前に座っていた。周りには法律関係の書類が散らばっている。彼が私にサインさせようとした離婚届だ。そんなもの突っ返してやれと言ったのに、彼の弁護士はとにかく作成したらしかった。

「君が心変わりした場合に備えて」と中守幸希は言った。

「選択肢を持っておいてほしいんだ」

私がすべてをフォルダにしまっていると、分厚い書類の束が一つ滑り落ちた。ヘッダーには「S市信託サービス株式会社」とある。

開いてみた。小難しい法律用語がずらずらと並んでいたが、やがて一つの数字が目に飛び込んできた。

十八億円。

見間違いではないかと、何度も何度も読み返した。

何よ、これ……?

私は焦ってページをめくった。半年前の日付の信託契約書。中守幸希が設定したものだ。そして、その金を受け取る人物は――。

血の気が引いた。

受益者:白羽伊奈

白羽伊奈って、一体誰?

ノートパソコンを掴み、彼女の名前をグーグルで検索した。いくつかソーシャルメディアのプロフィールが出てきた。見たこともない若い女性たち。中守幸希や私たちのビジネスとは何の関係もなさそうな人ばかりだ。

私はもう一度書類に目をやった。十八億円。常軌を逸した金額だった。私たちにとっては、全資産の約三割に相当する。

中守幸希はいつこんなことを?なぜ私に何も言わなかったの?

携帯が鳴った。中守幸希の名前だ。

「もしもし」

私は答えた。自分の声が普通に聞こえる。

「お医者さんはどうだった?」

「ああ。いつもと同じ、くだらない話さ」

彼は疲れた声だった。

「一時間後には家に着くよ」

「わかった。夕食作っておくわね」

「奏子?なんだか声がおかしいぞ。大丈夫か?」

私は手の中の信託契約書を睨みつけた。

「大丈夫。ちょっと疲れてるだけ」

十八億円。白羽伊奈。

「愛してるよ」と中守幸希が言った。

「私も愛してる」

電話を切り、彼の椅子に深くもたれかかった。また雨が降っている。

何か説明がつくはずだ。中守幸希が私に隠し事なんてするはずがない。見ず知らずの女に十八億円も渡すわけがない。

でも、証拠は目の前にある。中守幸希の署名。白羽伊奈の名前。

私は書類を元の場所に戻した。中守幸希が帰ってきたら、このことについて聞いてみよう。彼なら、ちゃんとした理由を説明してくれるはずだ。

……そうよね?

***

その日の夜

玄関先の私道に中守幸希の車が入ってくる音が聞こえた。正面の窓から、彼が車を降りて家に向かって歩いてくるのが見える。何かがおかしいように見えた。

彼はジャケットから雨のしずくを払いながら、ドアから入ってきた。

「遅くなってごめん。渋滞がひどくて」

「大丈夫よ」私は彼のコートを受け取ろうと近づいた。

「気分はどう?」

「疲れた。でも、大丈夫だ」彼は私の額にキスをした。

「夕食は何?」

私は一歩下がり、彼をじっと見つめた。

「幸希?」

「うん?」

「あなたのシャツ」

彼は自分の白いボタンダウンシャツに目を落とした。

「それがどうした?」

「今朝は青いシャツを着ていたはずよ。細いストライプの入ったネイビーの」

中守幸希は一瞬もためらわなかった。

「いや、着てないよ。一日中これを着てた」

でも、彼が何を着ていたか、私には分かっていた。まるで一昔前の専業主婦みたいに、毎朝彼の服を選ぶのが私の日課だった。馬鹿げた習慣だけど、それでも続けていた。今朝は、彼の瞳が綺麗に見えるからという理由で、ネイビーのシャツを選んだのだ。

「本当に?」

私はさりげない声色を保った。

「私はてっきり――」

「奏子、君の間違いだよ」

彼の声には有無を言わせない響きがあった。

「朝の七時からずっとこのシャツだ」

私はもっと彼に近づいた。襟元から匂いがした。いつもの彼の洗剤でも、私が買ったコロンの香りでもない。何か、花のような、女の子っぽい香り。

「そう」

私は言った。

「私の勘違いだったわ」

中守幸希は微笑んで、二階へ向かった。

「食事の前にシャワーを浴びてくるよ」

私は彼の後ろ姿を見送った。もう、本当に聞きたかったことを切り出すことはできなかった。どうして、こんなどうでもいい嘘をつく必要があるの?

……それが、まったくどうでもいいことではなかったとしたら?

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