第2章
スマホの画面に表示された母さんからの最後の着信を見つめていると、私は不意にあの雨の夜へと引き戻された。忘れてしまったと思っていた記憶の数々――その細部までが、洪水のように蘇ってくる。
二〇一二年三月。私は五歳だった。
雨が窓を激しく叩いていた。のどの渇きで目を覚ますと、カーテンの隙間から差し込む月明かりが、壁の上で影を踊らせていた。
母さんに水をもらいたくて、裸足で両親の部屋へ向かった。ドアを押し開けた瞬間、母さんの姿が目に飛び込んできた。
母さんはベッドに横たわり、黒い髪が枕の上に扇のように広がっていた。毛布はずり落ちて腰のあたりまでになっていて、お気に入りの青い寝間着が見えている。月明かりの下の母さんは、とても安らかに見えた。
「ママ、のど渇いた」私はベッドに這い上がると、母さんの腕をそっと揺すった。
返事はない。
もう少し強く揺する。「ママ、映美、お水がほしいの」
それでも母さんは動かなかった。呼吸はほとんど聞こえないくらい静かだ。きっと、父さんが出張に行ったときみたいに、すごく疲れているだけなんだと思った。
ママは病気なんだ。だから起きないんだ。
私はナイトスタンドからそっとカップを取り、一人で水を汲みに行った。それから私のテディベアを掴むと、母さんの腕の中に押し込んだ。
「くまちゃんがいれば温かいよ、ママ」
その夜、私は母さんの隣で丸くなり、寝間着をきつく握りしめた。母さんは冷たかったけれど、それはただ毛布が落ちてしまったからだと思った。私は自分の小さな体で、母さんを温めようとした。
翌朝、太陽の光がカーテンから差し込んでいた。母さんはまだ眠っていた。
「おはよう、ママ」いつもみたいに頬にキスをすると、ひどく冷たかった。
お腹が空いてきた。待っても待っても、母さんは朝ごはんを作るために起きてくれない。だから私は、大人みたいに自分で食べ物を探すことにした。
椅子をうんしょと引きずってきてよじ登り、高い棚の上にあるクッキーの瓶に手を伸ばした。力を入れすぎてしまい、瓶は手から滑り落ち、床で粉々に砕け散った。
泣きたかったけれど、病気のママを起こすわけにはいかない。私はしゃがみ込み、割れたガラスの中からクッキーのかけらを拾い集め、涙を流しながらそれを食べた。
「ママはもうすぐ起きる。映美はいい子にしてるから」と、自分に言い聞かせた。
三日目には、牛乳が腐ってしまった。私はそれを吐き出し、代わりに古くなったパンを食べた。母さんの青いワンピースが床に落ちていたので、拾い上げて母さんにかけた。
「寒くならないでね、ママ。映美が看病してあげるから」
私は、母さんがいつも私にしてくれていたことを全部やり始めた。毎朝「おはよう」と言い、毎晩毛布をかけてあげる。私が病気のときにしてくれたのと同じように、お湯で濡らしたタオルで母さんの顔を拭いてあげたりもした。
四日目、雨が止んで太陽が出た。母さんが私の髪をとかしてくれるのが大好きだったことを思い出した。私はよじ登って母さんの銀色のブラシを取った――小さな私の手には、それはとても重かった。
私は丁寧に母さんの髪をとかした。絹糸のような髪が指の間をすり抜けていく。お気に入りの蝶型クリップもつけてあげた。
「また可愛くなったら、きっと目が覚めるよ」と、おとぎ話を信じるように、そう信じて言った。
それからクレヨンで絵を描いた。大きな人と小さな人が手をつないでいる絵。曲がっていてぐちゃぐちゃだったけれど、自分では綺麗に描けたと思った。私はそれを母さんのベッドの上の壁にテープで貼った。
「見て、ママ。これ、私たちだよ。ずっと一緒だよ」
でも五日目、また雷が鳴り始めると、私は母さんの腕の中に潜り込んだ。母さんはさらに冷たくなっていた。髪はもつれ始めて、もう滑らかな感じはしなかった。
死が何なのか、私にはわからなかった――ただ、母さんの病気がもっとひどくなっているだけだと思っていた。私はまたタオルを持ってきて母さんの顔を拭き、良くなることを願った。
「ほら、ママ。映美が治してあげるからね」
六日目には、怖くなった。食べ物がほとんどなくなり、母さんはまだ目を覚まさない。私は氷のような母さんの手を握って座っていた。
七日目、誰かがドアをノックした。
「鈴木さん? 管理人室の者ですが。ご近所の方が、一週間ほどお見かけしないと……」知らない女の人の声だった。
私は母さんのヘアブラシを握りしめ、ベッドの下に隠れた。鍵がガチャガチャと鳴る音がして、ドアが開いた。
「なんてこと……!」
足音が私たちの部屋に向かってきて、それから悲鳴が聞こえた。誰かが電話をかけていて、私の知らない難しい言葉を使っていた。
後になって、誰かが私の前にひざまずき、そっと手を取った。「お嬢ちゃん、怖がらないで。ママはね……お空の星になったの。今もあなたのことを見守ってくれてるわ」
「星になる」がどういう意味かわからなかったけれど、その人たちの目に浮かぶ悲しみは見て取れた。お隣の涼子おばさんが私を抱きかかえて外に出たとき、振り返ると、白いシーツをかけられた母さんが運ばれていくのが見えた。
そのとき、私はようやく泣き叫んだ。「どうしてママも一緒に来られないの? まだ私の絵を見てないのに……髪を結んでくれる約束だったのに……」
涼子おばさんが私の服を着替えさせてくれたとき、ポケットから蝶型クリップが落ちた――私が母さんの髪につけてあげたものだ。それにはまだ母さんの髪が数本絡みついていて、光の中で輝いていた。
あれから十三年が経った今、私はあの蝶型クリップと、愛があれば人は永遠の眠りから覚めると信じていた五歳の自分を思い出していた。あの七日間、私が世話をしていたのは病気の母さんではなく――私は、母さんに別れを告げていたのだと、ようやく理解した。
今でも、その蝶型クリップは私の宝石箱に入っている。それを見るたびに、母さんの最後の瞬間がどれほど安らかだったか、本当にただ眠っているだけのように見えたかを思い出すのだ。
