第七十話

雨が降り始めたのは、夕暮れどきだった。

私は神崎家の仕事部屋にこもって、新しい原稿を前にぼんやりしていた。窓の外では雨粒がガラスを叩き、まるで無数の手が静かにノックしているようだった。凛人は大阪へ出張し、日向は眠っていて、家中がしんと静まり返って、自分の呼吸まで聞こえそうなほどだった。

スマホが震えた。

葵からのメッセージ。「着いた。箱もある。」

私は筆を置いて、コートも替えないまま傘をつかんで飛び出した。中目黒の街並みは雨に濡れて水光を帯び、街灯の映り込みが水たまりの中で揺れていた。砕けた金箔みたいに。


葵の雑誌社は古いビルの四階にあって、エレベーターはなかった。きし...

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