チャプター 2

ダッシュの穏やかな笑みが一瞬、氷づいた。だがすぐに元へ戻る。

彼はぱん、と手を打った。するとダイアナの三番目の兄、ウェイド・ヨークが部屋へなだれ込んできた。いまの彼の顔には、焦れた苛立ちと悪意が浮かんでいる。

「こいつに言葉なんか要るか? ダイアナ、お前はもう薬を混ぜた水を飲んだんだ。この結婚は、お前がどう思おうが決まりだ。嫁ぐか、死ぬかだ!」

それを見て、ダッシュは取り繕うのを完全にやめた。几帳面に眼鏡を押し上げると、そこにあったのは温度のない眼――計算と残酷さだけだった。

「俺を恨むなよ、ダイアナ。あれはウェイドがカジノ筋のつてで手に入れた新しい薬だ。効いてくると症状は急性心不全にそっくりになるが、痛みは十倍――いや、それ以上だ」

彼はポケットから二通の書類を引き抜き、ダイアナの小さな化粧台に叩きつけた。

「どっちか選べ。ひとつ目。お前が大人しくレイラの代わりにこの結婚に入る。結納はうちが受け取る。お前はヨーク家の娘のままだし、俺たちはお前の兄のままだ。ラッセル家がお前を粗末に扱えば、俺たちが後ろ盾になってやる」

「ふたつ目は――」彼はもう一通、表題がいやに目立つ『親族関係断絶契約書』を指で示した。「これに署名すれば、ヨーク家とは一切無関係だ。……まあ、そんな馬鹿な真似はしないだろうがな」

ウェイドが追い打ちをかける。

「ダイアナ、調子に乗るなよ! あの薬はたった一滴でも、じわじわ体を壊す。解毒剤がなけりゃ、のたうち回るほどの痛みで死ぬんだぞ」

彼らは確信していた。結納金ごときのために家族との縁を切る度胸などない、と。見捨てられる恐怖が、彼女を従わせる、と。

だがダイアナは二通に軽く目を走らせただけで、ペンを取り、ためらいなく親族関係断絶契約書に署名した。筆跡はまっすぐで、震えの欠片もない。

「なっ……お前!」ダッシュの平静がついに砕けた。

ウェイドは呆然と立ち尽くす。

ダイアナは署名済みの契約書を彼らへ滑らせ、氷のように冷たい声で言った。

「では、結納の契約書の当事者を入れ替えて。あれは私のものよ。そうしないなら、ラッセル家に送るのは死体になるわね」

彼女はスーツケースを閉じ、必要ならここに座って死を待つつもりだとでも言うように身構えた。

「よく考えて。薬で毒されて死にかけの私の身体を送る? それとも、心臓が駄目になりかけている、あなたたちの可愛いレイラを送る?」

扉の外では、騒ぎを聞きつけたレイラが、火の粉が自分にまで降りかかるのを恐れたのか、怯えた様子だった。

「イドリス、わ、私……胸が、すごく痛い……」弱々しい泣き声が漂ってくる。

続いてイドリスの焦った声がした。「レイラ! どうした!? 早く! 医者を呼べ!」

外はたちまち混乱に包まれた。

ダッシュとウェイドは視線を交わす。その目に揺れていたのは逡巡と、むき出しの凶暴さだった。

外ではレイラが、まるで「火に油を注ぐ」ように言い募る。

「ラッセル家、まだ結納も届けてないのよ? 植物状態の男に“縁起嫁”をあてがうんだもの、いったいいくら出すか分からないわ……」

その言葉が、ついに兄たちを崖っぷちへ追い込んだ。どうせダイアナが嫁ぐのは、生きた屍も同然の男――いずれ泣きついて戻ってくる。

それに、植物状態の男との結婚で、結納がどれほどの額になるというのか。まずはダイアナにレイラの代わりを務めさせ、あとで全部取り返せばいい――。

ダッシュは歯を食いしばり、ペンを掴むと、贈与契約書を手早く書き換え、結納に関する権利をすべてダイアナへ移した。

「いいだろう! 全部持っていけ! 後悔するなよ、ダイアナ!」

ダイアナは、家族との絶縁合意書と婚資合意書の控えをしっかり押さえ、唇の端を嘲るように吊り上げた。

そのとき、階下から執事の恭しい声が届いた。「旦那様、奥様、ラッセル家の婚資行列が到着いたしました!」

居間では、ラッセル家の筆頭執事が、豪奢な箱を抱えた一団を率いて、堂々たる気配のまま屋内へ入ってきた。

彼は金箔押しの目録を広げ、朗々と読み上げる。「現金、三千八百八十八万八千。好立地のリバーフロント物件十件。都心の商業店舗二十区画――権利証書付き。『永遠の心』ピンクダイヤのネックレス一点。高級宝飾二箱。金製装飾品十箱……」

ボーディとベラは目を見開き、荒い息を漏らし、むき出しの欲に顔を歪めた。

その視線の下、ダイアナは階段を一段ずつ降りてくる。彼女は執事の手から目録を取り上げると、黒いクレジットカードを差し出した。「これ、全部現金化して。すでにある現金も含めて、全部このカードに入金してちょうだい」

ラッセル家の執事は一瞬ためらったが、恭しく受け取った。「かしこまりました、ラッセル夫人」

ボーディが深くため息をつく。宝石と金の箱が運び出されようとするのを見たベラは、たちまち甲高く叫んだ。「待ちなさい! 何してるのよ! それを動かさないで!」

ダイアナは冷たく、婚資の贈与合意書を彼らの前へ放り投げた。「文字に残ってる。よく読んで」

三人の兄弟の顔色がさっと青ざめた。ラッセル家がこれほど太っ腹だとは夢にも思わず、今になって後悔に胃の腑がねじれる思いだった。

レイラは長兄の支えを振りほどき、ダイアナへ身を寄せ、二人にしか聞こえない声で囁いた。「ダイアナ、いい子にしてなさいよ。ルパート・ラッセルが死んだら、私がママとパパに言って、あなたを家に戻してあげる。そしたらちゃんとした相手を見つけてあげるから!」

「へえ。本気なら、その心臓、大事にしなさい。先に死なれたら困るもの。冥界への道が、道連れなしじゃ寂しいでしょう?」

レイラは歯を食いしばり、膝をつこうとしたが、イドリスが素早く抱きとめ、そのまま守るように腕の中へ引き寄せた。

彼女は無垢を装った。「ダイアナ、安心して。ヨーク家のものは全部あなたのものよ。私は何一つ、あなたと争うつもりなんてない」

ダイアナが微動だにしないのを見ると、レイラはさらに哀れっぽく泣きつづけた。「ママとパパは何年もあなたを育ててくれたし、会社だって今は苦しいの。お金は家に残さなきゃ! もし私が結婚する側だったら、絶対に――」

偽善に塗れたその顔を見つめながら、ダイアナは、これ以上一言でも口にするのが人生の無駄遣いに思えてきた。だから淡々と遮る。「じゃあ、あなたが嫁げば」

レイラの泣き声がぴたりと止まった。両親と兄たちの、欲に揺らぐ視線が自分に向けられているのを感じ、まさか本当に自分を差し出す気では、と怖くなったのだろう。彼女は白目をむき、芝居がかったように「気絶」した。

ベラは歯噛みし、低い声でダイアナに毒づいた。「恩知らず! ヨーク家がなかったら、ラッセル家の身代わり花嫁にだってなれやしないくせに!」

「何? もっと大きな声で言って。聞こえない」

「この――!」ベラは怒りに震えた。「お前なんか産むんじゃなかった!」

ダイアナは肩をすくめ、無関心に言い放つ。「絶縁合意書はもう署名した。私の生き死には、もうあなたたちヨーク家とは関係ない」

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