第1章 性生活のない結婚

 夜も更け、時計の針は十二時を指していた。

 オリヴィアはぼんやりと食卓に座り、卓上にはすでに冷えきった料理が並んでいる。

 テレビには夫のルカが映っていた。ウェンディの優勝を祝う場面だ。ダンス大会のチャンピオン――その栄冠を。

 普段は表情の硬いルカが、今夜ばかりは柔らかい顔をしていた。ウェンディに向ける湛えた青い瞳には、惜しげもない甘さが滲む。

 画面がそこで静止し、レポーターは気の利いたテロップを添えた。フェテル家社長、恋人を全力で祝福――二人は間もなくゴールインか。

 オリヴィアは凄然と笑った。ルカが帰ってこない理由は、結局それだ。ウェンディのそばにいたのだ。

 三年。どれほど努力しても、ルカの態度は冷たいままだった。なのにウェンディの前では、あんなにも根気よく、あんなにも優しい。

 思考がまだ遠くへ流れきらないうちに、玄関の開く音がした。

 十二時二十分。ルカがようやく帰宅した。

 広い肩、締まった腰、長身に長い脚。湛えたブルーの瞳は、海みたいに冷たく深い。

 彼は食卓のオリヴィアを視界に入れていないかのように、まっすぐソファへ行き腰を下ろした。

 オリヴィアは立ち上がる。

「お風呂、沸かすね!」

「待て」

 ルカがこちらを見た。

「話がある」

 嫌な予感が背筋を撫でる。

「オリヴィア、離婚しよう」

 言い切った瞬間、胸の奥に形容しがたいものが沈んだ。

 三年の結婚は、彼にとってもオリヴィアにとっても拷問だった。そろそろ終わらせるべきだ。

 ルカは用意していた離婚協議書を差し出す。

「もともと両家の政略結婚だ。お前は俺が好きじゃない。俺もお前が好きじゃない。これ以上一緒にいても幸せになれない。離婚が一番いい」

 言葉を切り、目を伏せたまま続ける。

「ただし、来月に一族のパーティーがある。終わってから手続きをしろ。ライナスが最近体調を崩してる。余計な心配はかけたくない」

 ライナスはルカの祖父だ。

 オリヴィアは書類を受け取る。すでに署名されたルカの名が目に刺さり、悔しさと怒りが込み上げた。

「ウェンディのせい? 私と離婚して、あの子を迎え入れるつもり?」

 ルカは一瞬固まり、眉をひそめる。

「くだらないことを言うな。ウェンディは俺にとって妹だ」

 妹? 血のつながりもないのに。

 しかもウェンディは、オリヴィアにとって父違いの妹だ。

 父が愛人を作り、母は怒りのあまり彼女を連れて家を出た。

 人生の底で出会ったのがルカだった。十年もの間、密かに恋をした。

 交わるはずがないと思っていたのに、ライナスが彼女を「ルカの妻」に選んだ。

 全身全霊で愛せば、いつか伝わると信じていた。

 けれど三年。彼女の行動も感情も、すべてが笑い話だった。

 ルカが愛しているのは、最初から最後まで――父が外に作った私生児。

「妹だなんて、ただの言い訳でしょう。汚い関係を隠してるだけ。私にウェンディの席を空けろってことじゃない!」

「オリヴィア!」

 ルカの声が鋭くなる。

「お前も女ならわかるはずだ。名声が女にとってどれだけ大事か。頼むから少しは善良でいろ。これ以上ウェンディの評判を落とすようなことを言うな」

 争う気はないというように、ルカは立ち上がり、ソファの背に掛けていたスーツの上着を掴んで歩き出した。

「残りは弁護士を寄こす。財産の条件は弁護士に言え。できる限り応じる」

 オリヴィアは拳を握りしめ、そして――玄関へ向かう背中を追った。

「今ここから出ていくなら、今すぐ記者に電話して、あんたが不能だって言いふらしてやる!」

 ルカがはっと振り返る。瞳に火が宿る。

「俺がいつ不能になった」

 胸が裂けるほど痛いのに、口は止まらない。

「三年も結婚して一度も抱かなかった。不能じゃなきゃ何なの?」

 歯ぎしりするほどの怒りがルカを満たす。

「オリヴィア、金ならできる限り用意するって言っただろ。何が不満なんだ」

 オリヴィアは怒りを押し込み、声を無理やり平らにした。

「……もういい。ごはん、食べよう」

 あまりにも急な態度の変化に、ルカが眉を寄せる。

「今度は何を企んでる」

「三年夫婦だったの。私と一回食事するくらい、できない?」

 オリヴィアはキッチンへ入った。

 十分後。湯気の立つスープと、こんがり焼けたパンを二枚、テーブルに置く。

「昨日、あなたの誕生日だった。まだ遅くないよね。ルカ、誕生日おめでとう」

 ルカは長いこと彼女を見た。深い青の瞳が、複雑に揺れる。

 オリヴィアは笑う。

「毒でも入ってると思ってる? 小心者」

 挑発に弱い男だ。ルカは無言でカトラリーを取る。

 オリヴィアは微笑んだまま見つめ続けた。ルカがすべて食べきり、やがて焦点が曖昧になっていくのを。

「……何を入れた」

 ルカが最後の理性で問う。

 オリヴィアは立ち上がり、その膝にまたがった。

「夫婦の義務を果たしてもらう」

 三年間、性生活ゼロ。

 離婚するなら、せめてこれまでの屈辱を取り返す。

 ルカを抱く――ただそれだけ。

「正気か……!」

 ルカの目に凶気が滲むのに、息は熱く乱れていく。

 オリヴィアは構わずネクタイを解き、喉仏に唇を落とす。

 堪えきれない呻きが漏れ、ルカは反射的に女の腰を掴んだ。

 キスは下へ下へと流れ、ベルトに指がかかった瞬間――ルカが彼女を抱き上げる。

 抵抗の声は乱暴な動きに呑まれ、服が引き裂かれる感触だけが残った。

 悲鳴を上げる間もなく、男は深く、容赦なく突き入ってくる。

「自業自得だ」

 肩口に噛みつかれ、胸を大きな手で掴まれた。腰の動きは容赦なく速く、熱に溺れるしかない。

 一時間後。ようやく二人は離れた。

 オリヴィアは震える身体で起き上がる。

「下手ね、ルカ」

 身体はまだ小刻みに揺れているのに、嘲りだけは捨てなかった。

 男がそれを許すはずがない。ルカは彼女を引き戻し、押さえつける。

「さっきベッドで俺に縋ってたのを忘れたか。思い出させてやる」

 オリヴィアはルカの手を叩き払った。

「あなたの可愛いウェンディに申し訳なくないの?」

 その名が出た瞬間、ルカの動きが止まる。

 オリヴィアの胸が、ぐさりと刺された。彼の顔を見上げ、吐き捨てる。

「ルカ、最低」

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