第2章
渡辺誠人が洒落た紙袋を手に帰宅し、意味ありげな笑みを私に向けた。
「奈々子、新しいのを買ってきたんだ。今夜、試してみないか?」
彼は袋からアダルトグッズを取り出し、期待に満ちた眼差しを向ける。
私はどっと疲れを感じた。
今月は生理が始まったばかりで、下腹部が鈍く痛む。まったくそんな気分ではなかった。
「ごめんなさい、誠人。今日は無理」
私は小声で言った。
「生理になっちゃったの」
彼の表情は一瞬で曇ったが、すぐにまた穏やかな笑みに変わった。
「じゃあ、手と足でどうかな。優しくするから」
彼は私に近づき、指先でそっと私の頬をなぞる。
「一週間も出張だったんだ。会いたかったよ」
私は首を横に振り、きっぱりと彼を押し返した。
「今日は本当に体調が悪いの。ごめんなさい」
誠人の瞳に不満の色がちらついたが、彼は感情を爆発させることはなかった。
代わりに、彼はため息をつき、グッズをしまい込む。
「じゃあ、何か甘いものでも用意するよ」
彼の声は優しく、まるで先ほどの落胆などなかったかのようだった。
彼は美味しいデザートを運んできて、さらには気を利かせてカイロまで貼ってくれた。
こういう細やかな気遣いにはいつも心が揺らいでしまう。だが同時に、佐藤杏がかつて私に言った言葉を思い出していた。
『奈々子、男が本当にあんたを愛してるなら、セックスをすごく大事にするはずだよ』
彼女は当時、ビールを数杯飲んでいて、言葉はストレートだった。
『でももっと大事なのは、あんたが辛い時に心から理解してくれること。自分の欲望を満たす道具みたいに扱わないことよ』
誠人のスマホが突然鳴った。彼はそれに目をやり、眉をひそめる。
「会社で緊急のプロジェクトがあって、一度戻らないといけなくなった」
彼は私の額にキスをした。
「先に休んでて。待ってなくていいから」
ドアが閉まった後、私はベッドに横たわり、思考は千々に乱れた。
彼のツイッターの裏アカウントにあった文章を思い出す。
『君は僕にとって高嶺の花の月光だ。決して汚すことなどできはしない』
そんな誠人と、先ほど性急に欲望を満たそうとした彼は、まるで別人だった。
私はようやく理解した。
愛とそうでない愛には、大きな差があるのだ。
なにしろ私たちの初めては、焦りと乱暴さで満ちていただけだったのだから。
私は身を起こし、コートとスマホを手に取ると、彼の後を追うことに決めた。
私らしくない行動だったが、疑念はすでに毒蔓のように心を絡めとっていた。
私は遠くから彼を追い、彼が一つのオフィスビルに入っていくのを見つめた。ガラス張りのドア越しに、そこが『東京ファッション』という雑誌の編集部だとわかった。
誠人が入って間もなく、白いワンピースを着た女性が彼を出迎えた。
夜の灯りの下でも、それが佐藤宇奈美だとわかった。
彼女は親密に誠人の腕を取り、二人はエレベーターへと乗り込んでいく。
私は少し待ってから、後を追った。
雑誌社の廊下の角で、彼らが立っているのを見つけた。誠人の表情は冷ややかだ。
「この仕事を紹介してやっただけで十分だろう。もう連絡してくるな」
だが、佐藤宇奈美は彼の言葉を信じていないようだった。
彼女は誠人に近づき、指先でそっと彼のネクタイを撫でる。
「誠人君、いつもそう言うじゃない。でも、やっぱり会いに来てくれる」
次の瞬間、二人の唇が重なった。
誠人は拒むことなく、むしろ熱烈に応じている。
私の手は微かに震えたが、それでもスマホを構え、その光景を写真に収めた。
なるほど、誠人はキスが嫌いなわけではなかったのだ。
彼はただ、私とキスするのが嫌いなだけだった。
「宇奈美、だめだ」
誠人はようやく彼女を押しやった。
「ここではまずい」
「あの子がまだ家で待ってるの?」
佐藤宇奈美の声には嘲りが混じっていた。
「帰ったらまた、あの子で欲求不満を解消するつもり?」
「あいつには触らない。俺がお前しか愛してないって知ってるだろ」
誠人の断固とした口調が、私の心を抉った。
「あいつはお前の足元にも及ばない」
「じゃあいいわ。あなたは先に帰りなさい」
佐藤宇奈美の声が和らいだ。
「明日また会いに来る」
誠人は約束した。
私は角に隠れ、足の力が抜けていくのを感じた。その時、スマホが震えた。誠人からのLINEメッセージだった。
【奈々子、何味のケーキが食べたい?買って帰るよ】
私は画面を睨みつけ、皮肉な笑みを浮かべた。彼はまだこの芝居を続けている。浮気の後の口実として、ケーキ一個を使うつもりなのだ。
私は返信した。
【ケーキはいらない。新宿のあの老舗の抹茶大福が食べたい】
その和菓子屋は新宿にあり、ここから少なくとも車で三十分はかかる。しかも夜の九時には閉店してしまう。今はもう八時四十分だ。
【わかった、買いに行くよ。出前は頼んでおいたから、先に何か食べてて】
誠人が眉をひそめてスマホを見つめ、それから慌ただしく雑誌社を去っていくのが見えた。
私は無表情にスマホの電源を切り、誠人がいつまで演じ続けるのか興味が湧いた。
アパートに戻ると、私はベッドに横になり、誠人の帰りを待った。二時間後、ドアのチャイムが鳴った。
「奈々子、ただいま」
誠人の声と共に、別の男の笑い声が聞こえてきた。
私がドアを開けに行くと、誠人が酔っ払った男を支えていた。彼の大学の同級生である山田元だ。
「ごめん、奈々子」
誠人は申し訳なさそうに言った。
「山田が銀座で飲み過ぎててさ。たまたま会ったから、とりあえず連れて帰るしかなかったんだ。頼まれてた抹茶大福、買ってきたよ」
彼は上品な和菓子の箱を私に手渡した。中には確かに、私が頼んだ抹茶大福が入っていた。
私は黙ってそれを受け取り、彼らのために客間の準備をした。
夜が更け、水を飲みに起きると、意図せず客間からの会話が聞こえてきた。
「誠人、お前も大概クズだよな」
山田元の酔っぱらった声がはっきりと聞こえる。
「銀座でこんなになるまで飲むなんて。早くちゃんとした彼女見つけて落ち着けよ」
「飲み過ぎだぞ、お前」
誠人の声は低い。
「佐藤宇奈美がシンガポールから帰ってきたんだって?いつあの子と正式に付き合うんだよ」
山田元が尋ねた。
「もうあの子を弄ぶのはやめとけって」
「少なくとも宇奈美が俺に頷いてくれないことにはな」
誠人の返答に、私の心は冷え切った。
「あの林田奈々子って子も悪くないじゃん。俺に譲ってくれよ」
山田元が笑いながら言った。
突然、鈍い音が響いた。拳が肉体に叩きつけられたような音だ。
「殴んなよ」
山田元が悲鳴を上げた。
「この前、居酒屋で自慢してたじゃねえか。ベッドじゃあんなに情熱的だって」
私の心はどん底に沈んだ。
「あいつはただ、小さい頃に父親がいなかっただけの女だ。すごく簡単に満足する。花束一つでベッドに連れ込めるんだぜ」
誠人の声は冷たく、まるで知らない人のようだった。
「ああいう女は日本中にいくらでもいる。適当に探せばいいだろ。なんであいつ一人にこだわるんだよ」
私は壁に寄りかかり、世界がぐるぐると回るのを感じた。
なるほど、誠人の目には、私はいつでも取り替え可能な玩具としてしか映っていなかったのだ。
