第3章

週末の朝、私は一人で『東京ファッション』の雑誌社へと向かった。

シンプルな和風の装飾が施され、壁には数枚の水墨画が掛けられている。オフィスエリアは清潔に整頓されており、至る所に「大和撫子」のような優雅な気品が漂っていた。

受付で佐藤宇奈美のオフィスの場所を尋ねると、白いワンピースを着た女性が会議室から出てきた。彼女は私を見た瞬間、明らかに固まり、その瞳には一瞬の動揺が走ったが、すぐに完璧な微笑みを浮かべた。

「林田さん、私に御用でしょうか?」

彼女の声は水のように柔らかく、まるでその夜、廊下で誠人に話しかけていた口調そのものだった。

「宇奈美さん、お久しぶりです」

私は彼女の目を真っ直ぐに見つめる。

「シンガポールから東京に戻られて、どのくらいになりますか?」

彼女の目はわずかに見開かれたが、職業的な微笑みは崩れない。

「つい最近です」

私達は彼女のオフィスで腰を下ろした。机の上に、誠人の写真が飾られているのに気がつく。大阪のどこかの神社で撮ったものだ。

写真の中の誠人は、私に見せるよりもずっと輝かしい笑顔を浮かべていた。

私と佐藤宇奈美が会うのは、これが初めてではない。

渡辺誠人と付き合って二年目には、もう彼女の存在を知っていた。

誠人は大阪行きの新幹線の切符を集めていて、ほとんど毎月のように通っていた。

彼はいつも「先輩からの頼みで、彼女の面倒を見なきゃいけないんだ」と言っていた。

私が彼を必要とするとき、彼はいつもそばにいなかった。

そのことで私達は数え切れないほど喧嘩をしたが、彼が変わることはなかった。大学三年生の時、佐藤宇奈美がシンガポールで結婚して、ようやく状況は落ち着いた。

そして今、彼女は離婚して帰国し、誠人はまた以前の行動パターンに戻ってしまった。

「宇奈美さんはこちらで働かれて、どのくらいになるんですか?」

私は何気ないふりを装って尋ねた。

「誠人から聞いていませんか?」

彼女は軽く笑う。

「彼がここで仕事を見つけてくれたんですよ」

「あら?」

私は驚いたふりをした。

「高校時代、家が大変だった時に佐藤のおじさまに学費を援助してもらったから、宇奈美さんが帰国したら、そのお礼に雑誌社で仕事を見つけてあげたい、としか聞いていませんでした」

どうりで情が深いわけだ。昔の恩義まであったとは。

だから、私が彼女に敵わないのは当然だということなのだろうか?

「宇奈美さんは今、どちらにお住まいなんですか?」

私はさらに問いかけた。

「もしよろしければ、私が働いているカフェにいらっしゃいませんか。そこのハンドドリップコーヒーはとても個性的で美味しいんですよ」

佐藤宇奈美の表情に不安の色が浮かぶ。彼女の視線はしきりにドアの方へ向けられ、まるで救世主の登場を待っているかのようだった。

「いや、いい。彼女は渋谷のマンションで快適に暮らしてる」

誠人の声が、突然ドアの向こうから聞こえた。その表情は険しく、眼差しには警告の色が帯びている。

「誠人、どうしてここに?」

佐藤宇奈美は明らかにほっとした様子だった。

「企画案を届けに来た」

彼は短く答え、それから私に向き直る。

「奈々子、どうしてお前がここにいるんだ?」

「最新号を買いに来たの」

私は机の上の雑誌を手に取り、微笑む。

「宇奈美さんが編集者だから、サインしてもらおうと思って」

雑誌社を出る時、私は佐藤宇奈美に丁寧にお別れを言った。彼女も完璧な微笑みを返し、まるで私達がただの読者と編集者の関係であるかのように振る舞った。

地下鉄の駅へ向かう道すがら、誠人はついに堪えきれずに爆発した。

「誰に雑誌社のことを聞いた? 山田元か?」

彼は私の腕を掴んだ。その力は、痛みを感じるほど強かった。

「誠人、何か隠してることでもあるの?」

私は平静を装って尋ねた。

「とぼけるな、奈々子。ちゃんと話して」

彼の声は低く抑えられていたが、怒りは明らかだった。

私はバッグから印刷用紙の束を取り出した。彼が使っているツイッターアカウント『残りの星』のスクリーンショットだ。

「この出張とか残業って、全部彼女に会いに行くためだったんでしょ?」

私の声は穏やかだったが、心はもう麻痺していた。

「本当に忠実よね。向こうが手招きすれば、犬みたいに駆けつけて」

「あなたって本当に安っぽい」

誠人の顔が一瞬で蒼白になった。彼はしばらく黙り込んだ後、近くの居酒屋で話そうと提案した。

居酒屋で、彼は私の好きなイカの丸焼きと清酒を注文した。過去七年間の、数え切れないデートと同じように。

だが今回、空気には終焉の匂いが満ちていた。

「あなたに、出て行ってほしいの」

私は単刀直入に切り出した。

「奈々子、説明させてくれ」

誠人の口調が和らぐ。

「銀座のバーでキスしたあの時以外、彼女には触れてない。雑誌社の仕事を手伝ったのも、ただの恩返しだ」

「キスも不潔な行為よ。まさかキスされた後でも、私がまだ欲しがると思ってたの」

私は冷淡に言い返した。

誠人は突然感情を抑えきれなくなり、テーブルに掌を叩きつけた。酒のグラスが割れ、ガラスの破片が彼の手のひらに突き刺さる。

鮮血がすぐにあふれ出したが、彼は痛みを感じていないようだった。

「山田元に聞いたんだろ?」

彼は歯を食いしばって言った。

「昨日、新宿で飲んでた時、あいつ、お前を口説きたいって俺に言ってたんだぞ。その翌日にお前は雑誌社に乗り込んできた」

「彼じゃないわ」

私は印刷用紙の束を指差す。

「あなた自身が教えてくれたのよ、『残りの星』さん」

誠人の視線が揺らぐ。彼は私を裏切っていない、佐藤宇奈美とはただの友人関係だと主張し続けた。

「あなたの最大の問題が何か分かる?」

私は静かに問う。

「彼女のお父さんからの援助を口にするけど、その恩返しの方法を間違えてるのよ」

「お前、山田元と付き合いたいのか?」

誠人は突然話題を変え、その目に怒りの炎をちらつかせた。

私は力なく笑う。

「それがあなたの答え? 私に責任を押し付けるの?」

「わかった、別れよう」

彼は最終的に折れたが、去り際に捨て台詞を吐いた。

「後で泣きついて復縁を頼むなよ」

誠人は立ち上がり、私を見下ろした。その目には、今まで見たことのないような冷たい光が宿っていた。

「俺以外に、誰が俺みたいにお前を満足させられるんだ?」

彼の言葉には性的なニュアンスが込められていて、まるで私がただ満たされるべき抜け殻であるかのようだった。

私は彼の去っていく背中を眺めていたが、心は不思議なほど穏やかだった。

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