第4章 証明してみせる

芽衣は顔を上げ、刺々しい言葉を突きつけた。

「髙野拓海、あんたに関係ある?」

彼は怒りをごまかすように鼻で笑い、掴んだ手にさらに力を込める。

「芽衣。俺たちはまだ夫婦だ」

芽衣は眉をわずかに寄せ、あえて言い返す。

「それが何? 元夫になるのなんて時間の問題でしょ」

「元夫」という二文字が棘みたいに髙野拓海の胸に刺さった。途端に顔つきが硬くなる。

「手続きが終わってないうちはな。今のお前は不貞にあたる」

芽衣はふっと笑った。冷たく、嘲るように。

「踊っただけで不貞? 髙野拓海、女が他の男に行く理由なんて一つでしょ。家にいる男が役に立たないからよ。自分のこと、少しは反省したら?」

その瞬間、空気がぴたりと凍りついた。

髙野拓海の顔色が見る見る悪くなる。瞳の奥で怒りが渦を巻き、芽衣を射殺すように睨みつけた。

「……俺が、役に立たない?」

芽衣は眉を上げ、怯むどころか堂々と頷く。

「違うの? この三年、ずっと別々の部屋で寝てた。あんたのほうが、私よりよく分かってるでしょ」

わざとだ。

事実かどうかなんて関係ない。三年間、彼女の心を平然と踏みにじってきたその痛みを、同じ場所に返したかった。

髙野拓海が黙ると、芽衣は挑発するように口角を吊り上げ、彼の耳元へ身を寄せた。

「なに? 本当のこと言っただけでもダメ?」

「……ずいぶん口が回るようになったな」

髙野拓海は奥歯を噛みしめた。

「他の男の腕の中で踊っておいて、振り向いたら『あんたは駄目』か。どうした? 欲求不満か?」

目の前の女は、化粧も完璧で、身体の線はしなやか。肌は指を当てただけで崩れそうなくらい瑞々しい。少し力を入れただけで、手首には赤い痕が浮いた。

彼は眉をひそめ、胸の奥に不快感が湧く。

自分の前ではきっちり隠すくせに、外では妖艶に装う。

芽衣はその視線の奥に、一瞬走った侮蔑を見逃さなかった。顔をそらし、冷たく言い捨てる。

「欲しくなっても、役に立たない男なんか選ばない」

言った瞬間、後悔が喉に引っかかった。まるで「欲しい」と認めたみたいで。

それでも芽衣は引かなかった。彼の思い込みで、これ以上自分を汚されたくなかった。

髙野拓海はとうとう堪えきれたのか、握っていた手がぎゅっと締まる。

「行くぞ」

「やめて! 髙野拓海、痛い!」

芽衣が必死にもがき、叩く。身体の下で女がくねるたび、髙野拓海の喉仏がかすかに上下した。怒りの色を宿していた瞳が、ふっと暗く沈む。

彼は芽衣のうなじを掴み、ぐいっと引き寄せた。

熱い吐息が首筋に落ちる。呼吸が低く、重くなるのが分かる。

そして芽衣は――彼が硬くなっているのを、否応なく悟った。

芽衣は動けなくなった。

気づけば駐車場まで連れられ、黒いマイバッハの後部座席へ押し込まれる。

バンッ、とドアが閉まり、カチャリとロックの音が響いた。

次の瞬間、髙野拓海が身を乗り出し、芽衣をシートと自分の身体の間に閉じ込める。

掠れた声が耳元で落ちた。

「今すぐ教えてやる。俺が使えないかどうか」

芽衣は慌てて顔を背ける。声は意地っ張りで、乱れていた。

「嫌! 髙野拓海、もうすぐ離婚するのよ。触らないで!」

都合のいい時だけ抱くなんて。自分を何だと思ってるのか。

「離婚?」

髙野拓海は芽衣の顎を掴み、無理やり正面に向けた。

「俺が一日でもサインしてないなら、夫としての権利も義務も残ってる。逃げられると思うか?」

「……っ」

芽衣が言い返すより先に、彼は容赦なく唇を潰した。

強引に唇を割り、舌が踏み込んでくる。怒りと支配欲をそのまま叩きつけるようなキス。力が強すぎて、息が奪われる。

心臓が爆ぜそうに跳ねる。脚が震え、反抗したいのに身体が言うことをきかない。腕を上げる力すら残っていなかった。

――あまりに、久しぶりで。

芽衣の抵抗がほどけたのを感じたのか、髙野拓海の動きがほんの少し緩む。

だが次の瞬間、何の前触れもなく大きな掌がスカートの内側へ滑り込み、湿り気に触れた。

彼が、冷えた笑いを漏らす。

「芽衣。そんなに飢えて、他の男を探したのか」

「……っ、消えて……」

芽衣は熱に焼かれたような顔で、歯の隙間から一言を絞り出す。

意地で息を飲み込み、手を上げた。

ぱちん――乾いた音になりきらない、力のない平手が彼の頬に当たる。

髙野拓海の動きが一瞬止まる。

それから、まるで仕返しでもするみたいに、さらに乱暴になった。

「んっ……やめ……!」

芽衣は隙を見て噛みつこうとする。

その時、スマホの着信音が車内に炸裂した。

甘い熱を、一刀で断ち切るように。

暗い車内で画面が光る。

そこに浮かんだのは、永瀬良平の名だった。髙野拓海の友人。

髙野拓海は顔色をわずかに変えたが、鳴り止まない。舌打ちするように通話に出る。声は低く、怒りがまだ残っていた。

「……用件言え」

「拓海、どこだよ!」

電話口の声は切迫していた。

「大変なんだ。由佳が一時間も待って、お前が来ないって泣いてさ。情緒不安定のまま外に飛び出した。電話も繋がらないし、見つからない。今すぐ戻れ!」

――また、林谷由佳。

芽衣は大きく息を吸った。胸の底が、すうっと冷えていく。

頭から足先まで、氷水を浴びせられたみたいに。

「分かった」

髙野拓海は通話を切るなり、乱暴に芽衣から離れた。起き上がり、無言で服を整える。さっきまでの熱も欲も、跡形もない。

残っているのは、いつもの冷たさ――それと、どこか慌ただしい気配だけ。

「帰るんでしょ。行かないで、今から一緒に帰る」

芽衣は彼の手を掴んだ。

髙野拓海は容赦なく振り払う。声は淡々としていた。

「ふざけるな。芽衣、お前はいつも聞き分けがいい。今どうするべきか分かってるだろ」

――聞き分けがいい?

三年前の自分は、もっと自信家で、強気で、「聞き分けがいい」なんて言葉とは無縁だった。

それは彼に好かれたくて、無理やり身につけた仮面にすぎない。

好きだったら、傷つけられて当然なのか。

芽衣は口元に、薄い嘲笑を浮かべた。

「髙野社長って本当に駄目ね。こんな時まで、他の女のところへ行く余裕があるなんて」

髙野拓海は芽衣に余計な視線すらよこさなかった。

「そう言えば俺が残ると思うな。無駄だ」

そう言いながらドアを押し開ける。

「意味ない」

彼の背中が、慌ただしく遠ざかっていく。

芽衣の視界が、じわりと滲んだ。

ほら、やっぱり。

彼の中にいるのは、いつだって林谷由佳だけ。

三年間の全てが、今日の屈辱に変わった。

もし過去に戻れるなら。

こんな男と結婚しない。こんな男を救ったりもしない。

芽衣は小さく笑って、涙を落とした。

半開きの窓から夜風が吹き込み、髪を乱す。身体の芯まで冷えていく。

車内は完全な静寂。

芽衣は泣き声すら出せずにいると、遠くから慌ただしい足音が二つ、近づいてきた。

「芽衣! どこ!?」

竹村茜の甲高く切迫した声が、ナイトを裂くように響く。

芽衣ははっと顔を上げた。

窓越しに見えたのは、竹村茜が背の高い男の腕を掴み、辺りを必死に見回している姿だった。

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