『嫉妬か?』と笑う夫へ。残念ですが、貴方のモノはもう動かないので離婚します

『嫉妬か?』と笑う夫へ。残念ですが、貴方のモノはもう動かないので離婚します

山下光 · 連載中 · 371.5k 文字

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紹介

夫に車の鍵を届けるため、土砂降りの雨の中、私は三キロの道を走った。
だが、部屋の前で立ち尽くした私の耳に届いたのは、夫の冷酷な声だった。
「あいつと比べるなんて、時間の無駄だ」
夫と友人たちは、献身的に尽くす「良き妻」であるはずの私を酒の肴に嘲笑い、一方で彼の元恋人である林谷由佳を心から称賛していた。

その瞬間、三年間抱き続けた淡い恋心は、跡形もなく消え去った。
私がどれだけ静かに尽くしても、夫にとって私は単なる「計算高い代用品」に過ぎなかったのだ。

その夜、私は夫に離婚届を突きつけた。
鼻で笑い、「嫉妬か? 俺の気を引きたいのか?」と嘲る夫。
だが、私が記入した離婚理由――『夫のインポテンツのため』という一文を見た瞬間、彼の表情が一変した。

夫は私を強引に壁へと追い詰め、冷酷な笑みを浮かべて囁く。
「俺が本当にそうなのか……。今ここで、身体で証明してやろうか?」

チャプター 1

芽衣は雨の中、髙野拓海に車の鍵を届けに来た。だが個室へ入る前に、扉の向こうから話し声が漏れてくる。

「拓海、由佳が帰国したぞ。芽衣とは、いつ離婚するつもりだ?」

芽衣の足が、ぴたりと止まった。

半開きの扉の隙間から見えたのは、ソファに腰を預けた男の姿。

髙野拓海は背もたれに身を沈め、シャツのボタンを二つ外している。覗く鎖骨。長い指先には煙草が一本。ゆらゆらと漂う煙の向こうで、彫りの深い整った横顔が、気怠げに笑っていた。

「だよな」

幼なじみの西田圭介が、からかうように口笛を吹く。

「お前と由佳って、こっちじゃ誰もが認める美男美女だっただろ。あのとき芽衣が横からかっさらわなきゃ、今ごろ子どもだっていたんじゃねえの?」

「ほんとそれ」

誰かが鼻で笑う。

「芽衣みたいな腹黒い女が、髙野夫人とか無理だろ。林谷由佳は今や有名なヴァイオリニストだぞ? 芽衣は? ただの専業主婦。何で張り合えるんだよ」

髙野拓海はゆっくり煙を吐き出した。切れ長の目に、どこか艶めいた色が差す。

「比べようがないな」

ふわりと落ちた一言が、刃みたいに芽衣の胸へ突き刺さった。

顔から血の気が引く。身体がぐらりと揺れる。

――ああ。彼も、そう思っていたんだ。

分かっていたはずなのに。

もっと早く気づくべきだったのに。

その瞬間、掌に鋭い痛みが走った。見れば、鍵を握り締めすぎて先端が皮膚を裂いている。

半時間前、髙野拓海から電話があった。

車の鍵を家に忘れた、と。

傘を取る暇もなく、芽衣は鍵を掴んで飛び出した。

タクシーは捕まらない。だから走った。

3km。20分。雨に打たれ、ずぶ濡れのまま。

……それで、これ。

ほんと、馬鹿みたい。

芽衣は鍵を個室前のシューズボックスの上に置き、赤く滲んだ目を伏せたまま踵を返した。

……

別荘に戻った時には、もう夜10時を回っていた。

灯りをつける。

壁に飾られた結婚写真が目に入る。

かつては甘く見えたその一枚が、今はただ眩しくて、痛かった。

髙野拓海は芽衣の幼なじみだった。

小さい頃からずっと好きだった。

高校を卒業したら想いを伝える――そう決めていたのに、その前に彼は林谷由佳と付き合い始めた。

二人は二年も交際し、結婚間近だった。

だが、その頃、髙野家に異変が起きた。

拓海の父親が投資に失敗し、一気に破産した。

そして、その夜のうちに林谷由佳は姿を消した。

よりにもよってその時期、芽衣は髙野爺さんの命を救った。

芽衣が拓海を想っていると知った爺さんは、独断で二人の結婚を決め、拓海にそれを強いた。

拓海が望んでいないことくらい、芽衣にも分かっていた。

それでも。

相手は、子どもの頃からずっと好きだった人だった。

だから芽衣は、恥知らずだと自分を責めながらも、爺さんの采配に従った。

拓海は芽衣を、隙につけ込んだ女だと思っていた。

恩を笠に着て結婚を迫った女だと思っていた。

結婚して三年、一度としてまともに触れてこなかった。

けれど芽衣は、それでもよかった。

同じ屋根の下で暮らしていれば、いつか情が生まれる。

そう信じていた。

だから仕事もやめた。

進んで専業主婦になった。

彼が忙しければ、静かに待った。

彼が冷たければ、黙って受け入れた。

自分は林谷由佳じゃない。

でも、林谷由佳の一万倍、尽くすことはできる。

林谷由佳は去った。けれど自分は去らない。

そう思っていたのに。

今日、彼の口からはっきり「比べようがない」と聞かされた瞬間、芽衣はふっと、何もかもが空しくなった。

結局、彼の目にも、自分は他の連中が言うのと同じ女でしかなかったのだ。

横から奪った女。

腹に一物ある女。

計算づくで高野家に入り込んだ、あざとい女。

三年間の気遣いも、三年間の我慢も、彼にとっては、地位にしがみつくための小細工にしか見えなかったのだろう。

林谷由佳が帰ってきた。

なら、自分は退くべきだ。

芽衣は潤んだ目を伏せ、シャワーを浴びて、清潔な服に着替えた。

それからパソコンを開き、離婚協議書を書き始める。

離婚理由の欄に差しかかった時、報復めいた感情が胸の奥からせり上がり、唇を噛みながら数文字を書き込んだ。

書き終えるとそれを手にリビングへ行き、髙野拓海の帰りを待った。

どれほど経っただろう。

やがて窓の外でエンジン音が鳴った。

まもなく、扉が開く。

髙野拓海が入ってくる。

広い肩、引き締まった腰。全身から漂う矜持と冷たさは、立っているだけで人を圧する。

ジャケットを脱ぎ、カフスを外す。

露わになった前腕は、無駄なく締まり、力強い。

髙野家は帝京市でも指折りの富豪だ。

髙野拓海はその一人息子。

幼い頃から叩き込まれたのは、将棋、騎射、経済、商才。18歳で博士課程を終え留学し、21歳で家業を継いだ。そして、わずか5年で髙野グループを華国の長者番付に押し上げた。

彼の人生は、凡人が一生かけても届かない高みにある。

芽衣はそんな彼を見つめ、ふいに思う。

目の前に立っているのに、どうしてこんなにも遠いのだろう、と。

髙野拓海が歩み寄り、艶を含んだ低い声で言った。

「どうして鍵を入口に置いて帰った」

芽衣は彼を見据える。

「中に入ってきてほしかったの?」

水を飲もうとした彼の手が、わずかに止まった。

細い目が芽衣を一瞥する。

きっと、答える価値もない問いだと思ったのだろう。

彼は何も言わなかった。

芽衣も追及しない。

ただ、テーブルの上の白い紙を見つめる。

「林谷由佳、帰ってきたのね」

その言葉に、拓海の淡々とした表情がわずかに揺れた。

彼は芽衣を見る。その目からは何の感情も読み取れない。

「君に関係あるか?」

芽衣は小さく笑った。

三年。

彼はいつも、この口調だった。

冷たすぎず、近すぎず。

同じ屋根の下にいるだけの赤の他人へ向ける声。

いや、他人以下かもしれない。

他人になら、彼だって少しくらいは愛想を見せる。

芽衣には、その手間すら惜しむのだ。

でも、もうどうでもいい。

「あるわよ」芽衣は言った。「だって、私はあなたの妻だもの」

テーブルの上の書類を手に取り、彼の視線をまっすぐ受け止める。

「自分の夫が元恋人とやり直そうとしてるなら、妻としては空気を読んで身を引くべきでしょう?」

髙野拓海が目を細めた。

芽衣は唇の端を少しだけ上げる。

「髙野拓海、離婚しましょう」

空気が一瞬、しんと静まる。

彼は、まさかそんな言葉が出るとは思っていなかったのだろう。

瞳の奥に淡い波紋が走った。

「……何だって?」

「離婚しましょう、って言ったの」芽衣は感情を失ったみたいに繰り返す。「どう? 嬉しい?」

「芽衣」

髙野拓海は彼女の名をフルネームで呼び、その目で逃がさぬように見据えた。

「あれだけ手を尽くしてでも俺と一緒になりたがったくせに、今さら離婚だと?」

過去に触れられ、芽衣の長い睫毛がかすかに震える。

「好きに思えばいいわ。ここ数年は、私があなたに迷惑をかけたってことにしておく。だから、今はきれいに別れましょう」

「きれいに、だと?」

髙野拓海は節だった指でネクタイをゆるく引いた。

次の瞬間、ぐっと身を屈め、芽衣へ迫る。逞しい腕が芽衣の横へ伸び、狭い空間へ閉じ込めた。

「嫉妬してるだけだろ。林谷由佳が戻ってきたから」

薄く笑う。

冷たい笑みだった。

「離婚だなんて言えば、俺の気を引けるとでも思ったか。そうして自分の立場を守るつもりか?」

芽衣は無意識に、手の中の離婚協議書を強く握り締めた。

「芽衣、言っておくが――無駄だ」

男の嘲るような声が、刃のように耳を貫く。

芽衣は喉を一度強く鳴らし、とうとう堪え切れず、離婚協議書を彼の胸に叩きつけた。

「髙野拓海、自惚れも大概にして」

胸の奥の酸っぱい痛みを押し殺し、言い放つ。

「私はもう署名したわ。問題ないなら、髙野社長もサインしてくださる?」

書類は彼の胸元からするりと滑り落ちた。

髙野拓海は冷笑し、それを拾い上げる。

視線を下へ走らせ――離婚理由の欄を見た瞬間、目の色が一気に沈んだ。

【離婚理由:夫のED】

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