チャプター 5 *

アンジェリーナ視点

グレース・スターリング――アリアの母親が、三十分後に到着した。

姿を見るより先に気配がした。廊下を急ぎ足で駆ける音、息を切らしながら私の名を呼ぶ声。

「アリア! アリア、どこ!?」

扉が勢いよく開いた。

記憶の中のままの人だった。四十代半ば、髪は乱れたポニーテールにまとめられ、油と醤油の匂いが染みついた、汚れた飲食店の制服を着ている。整った顔立ちは、長年の疲労で少しずつすり減っていた。目尻には細かな皺――いわゆるカラスの足跡。

だが今、その目は怯えで獣みたいに見開かれていた。

「……ああ、神さま……」校長室の椅子に座る私を見つけた瞬間、声が震えて裏返った。「ああ……ねえ、あなた……無事なの――?」

次の瞬間には飛びつかれていた。手があちこちに伸び、腕、脚を確かめ、顎を持ち上げて首元をのぞき込む。

「頭、ぶつけた? ふらつく? どこか痛い? 背中は? 首は?」

「ママ、平気――」

「三階よ!」手が小刻みに震えている。「ウィルソン先生が三階だって言ったの! 死んでたかもしれないのよ! あなた――」

「でも死んでない」私は彼女の手をつかみ、じっと押さえた。「見て。かすり傷ひとつない」

彼女は私を凝視し、それから息が詰まるほど強く抱きしめてきた。

元のアリアの記憶が背景を補ってくれる。グレースは中華料理店で週六日、十時間勤務。毎晩、厨房の油の匂いをまとって帰宅し、食費を浮かせるために残り物を持ち帰る。

学校から連絡を受けた瞬間に職場を飛び出してきたのだろう。着替える暇すらなかったに違いない。

そして今、彼女は私の髪に顔を押しつけて泣いていた。

「病院に行くわよ」彼女は言った。「今すぐ。保健室の先生が何て言ったって関係ない。ちゃんと全部検査してもらうの」

「スターリングさん――」ウィルソン先生が口を挟もうとした。

「連絡してくださって、ありがとうございました」グレースの声が硬くなる。「でも、連れて帰ります」

彼女は私の手をつかみ、扉へ向かって引っ張った。

誰も反論しなかった。

パック病院は町外れにあった。

グレースは道中ずっと狂ったみたいに飛ばし、三十秒おきに私の様子を確かめた。

「頭、痛い?」

「ううん」

「胸は? 肋骨は?」

「大丈夫」

「本当に? 怪我ってすぐ出ないことも――」

「ママ。平気だって」

彼女は白くなるほどハンドルを握りしめた。「窓から飛び降りたのよ」

「落ちただけ」

「ウィルソン先生はそう言ってなかった」

私は答えなかった。

午後七時、病院の駐車場に入った。

検査は二時間かかった。

「すべて正常です」最後に医師はそう言い、カルテを不機嫌そうに睨んだ。まるで紙切れが個人的に喧嘩を売ってきたみたいな顔で。「骨折なし。内出血なし。脳震盪の兆候もありません」

「そんなはずないわ」グレースが言う。「三階から落ちたのよ」

「承知しています」医師は私を見た。「とても運がよかったね、お嬢さん」

運がいい。そうだろう。

――運じゃない。六歳から叩き込まれてきた着地の仕方で降りただけだ、と私は心の中で言った。筋肉の記憶は、どの身体に入っていようと関係ない。

けれど私はただ頷いた。「そうみたいです」

グレースは納得しなかった。「一晩、入院させてください。経過観察で」

「スターリングさん、それは――」

「関係ないの」また声が割れた。「お願い。安全のために、一晩だけ。どうか」

医師はため息をついた。「それで安心できるなら」

「安心するわ」

こうして私は二階の三人部屋に入れられた。

グレースは手続きの書類を書くために席を外した。彼女がいなくなった途端、私は枕に身を預けて、ようやく力を抜いた。

病院のベッド。夜間の経過観察。規則的な食事。誰も私を殺そうとしていない。

……悪くない。むしろ、かなりいい。

前の人生は、常に警戒し続ける日々だった。食事は毒を盛られているかもしれない。会合は待ち伏せかもしれない。枕の下には銃、太腿にはナイフを固定して眠った。

どんな部屋でも最強でいる――そんな五年間。

確かに力は陶酔的だった。敬意。恐怖。

だが同時に、心底疲れるものでもあった。

今の私は、普通の人生をやり直せる二度目の機会を手にしている。

望むなら。

私はベッド脇のテーブルからリンゴを手に取った。放り上げる。受け止める。

もう一度、放る。

記憶が押し寄せたのは今日の午後だった。指が狼の牙のペンダントを握りしめた、その瞬間に。

ファイルをダウンロードするみたいなものじゃない。むしろ……誰かの人生を早送りで生きる感覚。

全部見た。全部感じた。

一週間前。

元のアリアは、昼休みに、べつに友だちでもない二人の女子と座っていた。エマとセレン。自分たちのほうがましだと思えるから、そばに置いておくタイプの友だち。

「絶対、言うべきだよ」エマがサラダの上でフォークをくるくる回しながら言った。「いちばん最悪でも、何が起こるっていうの?」

アリアの心臓はばくばくしていた。「わたし、わかんない……」

「ねえ、あんたさ、新学年始まってからずっとカイ・マシューズに惚れてるじゃん」セレンが身を乗り出し、にやりと笑う。「手紙書きなよ。古典的にさ。男子ってああいうの、かわいいって思うんだって」

「そう思う?」

「もちろん」

だからアリアは家に帰って、手紙を書いた。

ノートの紙に、胸の中をそのまま流し込むみたいに。入学初日からあなたに気づいていたこと。彼の笑顔を見ると、身体の奥があたたかくなること。かっこいいだけじゃなくて、優しくて、賢い人だと思っていること。

最後にこう署名した。アリア・スターリングより、愛をこめて

翌朝、その手紙を彼のロッカーに入れた。

そして二十四時間、彼女は希望を抱いていた。

もしかしたら、向こうも好きになってくれるかもしれない。もしかしたら、チャンスをくれるかもしれない。

それから、あの投稿を見た。

カイが手紙の写真を載せていた。文字は一言残らず読める。アリアの乱れた筆跡。余白に描いた落書き――小さなハート、ばかみたいな小さなハート。

キャプション。「笑、身のほど知らずにも自分にチャンスがあると思ってるの誰だと思う?😂」

学校の半分くらいをタグ付けして。

一時間もしないうちに、いいね三百四十七。コメント八十九。

「うわ、誰この子?」

「アリア・スターリング?あの大人しい子?」

「父親ってオメガだか何だかじゃなかった?」

「かわいそ、格が違いすぎるのわかってない」

「これはきつい笑」

「悲しすぎて無理w」

スクリーンショットはあっという間に広がった。インスタのストーリー。スナップチャット。ティックトック。グループチャット。

昼休みには、全員が知っていた。

アリアの屈辱が、私には肉体の傷みたいに感じられた。

彼女は昼休みの間、トイレに隠れていた。息ができないほど泣いて、消えてしまいたくて、死にたくて。

三日間、学校を休んだ。

母親は風邪だと思っていた。本当の理由なんて、知りもしなかった。

そしてようやく登校したとき、アリアは、もうそのうち収まるかもしれないと思った。

間違いだった。

今日。最後の授業。開始十分前。

アリアがロッカーから教科書を取り出していると、ベラ・モリソンが現れた。

「ねえ、アリア」

ベラの声は甘くて、親しげだった。

アリアは振り向く。「あ……こんにちは、ベラ」

「ちょっと来てくれる?聞きたいことがあるの」

アリアは空き教室までついていった。

もっと用心すべきだったのに。

中へ足を踏み入れた瞬間、別の三人の女子が背後で扉を閉めた。

ベラの笑顔が消えた。

「で。あんた、私の彼氏に手紙書いたんだって?」

「彼は――わたし、あなたたちが付き合ってるなんて――」

「関係ない」ベラが一歩近づく。「カイが私に何て言ったか知ってる?あんたが哀れだって。あんたみたいな負け犬が、自分にチャンスがあると本気で思ってたって」

ほかの女子が笑った。

「わたし、ただ――」アリアの声が震える。「ごめんなさい、そんなつもりじゃ――」

「そんなつもりじゃなかった?全校の前で自分を恥さらしにするつもりじゃなかったって?」ベラが首を傾げる。「それとも、オメガの家に生まれてきたつもりじゃなかったって?」

笑い声が増す。

「見てよ。泣きそう」

「毎晩、泣きながら寝てそう」

「ブスで貧乏って大変だよね」

ベラがアリアの顔のすぐ前まで詰め寄った。「身のほどってものを覚えな。あんたみたいな子はね、カイみたいな男を夢見る資格もない。ラブレターを書く資格もない。そんなことをする資格も――」

ベラはアリアを突き飛ばした。

強く。

アリアはよろめいて、机の角にぶつかった。

「その必死な――」

もう一度、突き飛ばされる。

アリアは倒れた。頭が机の角に当たって、鈍い音がした。

痛みが頭蓋の中で弾けた。まぶしくて、鋭くて、なにかがおかしい。

首筋を、あたたかいものが伝っていくのを感じた。

血だ。

女子たちの笑いが止まった。

「やば――」

「ベラ、あの子――」

「行くよ。今すぐ」

彼女たちはアリアを置き去りにした。

アリアは立ち上がろうとした。できなかった。視界がにじみ、部屋が回った。

なんとか扉まで這っていき、開けた。

次の教室へ、無意識のままふらふら歩いた。

自分の席に座る。

どこもかしこも痛い。全部がおかしい。

けれど、騒ぎを起こしたくなかった。面倒な存在になりたくなかった。

だから、机に額を伏せた。

そして三十分後、彼女の心臓は止まった。

そこで私は目を覚ました。

アンジェリーナ――世界最強のアルファ、四十九の群れを征服した覇者――が、いじめで殺された十五歳の少女の身体の中で、目を開けたのだ。

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