第六十章 松籟

車がゆっくりと路肩に停まった。

一葉は目を開け、車窓越しに入口に掲げられた控えめな真鍮のプレートを一瞥した――「松籟」、二文字、余分な装飾は一切ない。

この名前には覚えがあった。公開営業はなく、ネット予約も受け付けず、会員資格を持つ客のみを迎える店で、年間に開放される席数はわずか百二十席だという。

彼女はそのことを頭の片隅に置いたまま、何も言わなかった。

暁弦はすでに車を降り、彼女側に回ってドアを開けていた。

一葉が降り立ち、顔を上げた瞬間、視線が暁弦の肩越しに、レストランの正面玄関左側およそ三メートル先へと吸い寄せられた――詩緒がそこに立っていた。

今夜の装いは念入りだった。藕色...

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