第3章
「ただいま」
淳一郎の声は、いつもより穏やかに聞こえた。
その手には、銀座の老舗の金看板が印字された、美しい包装箱が提げられている。
「これは何?」
私は訝しげに彼を見た。
「とらやの和菓子だ」
彼は箱を私に手渡し、久しぶりに優しい笑みを浮かべる。
「君、ここの桜羊羹がずっと好きだっただろう」
「それと、これも」
彼はスーツの内ポケットから、空色の小さな箱を取り出した。
開けてみると、それは精巧なダイヤモンドのピアスで、夕陽を浴びてきらきらと輝いていた。
彼は私の頬を優しく撫でる。
「そうだ、今日、義父母に百万円を振り込んでおいた。君からの親孝行ということにしてある」
彼はいつもこうだ。私たちに何か揉め事があると、決まって物を買い、物質で埋め合わせをしようとする。
「苗美」
彼は私の手を握り、真剣な眼差しで私を見つめる。
「母さんが時々、少し強引なところがあるのは分かっている。妹の口調も、あまり配慮がない。でも、彼女たちを許してやってくれないか。結局、僕が共に一生を過ごすのは、君なんだろう?」
彼がどれだけ優しくそう言ってくれても、私の心は晴れなかった。
母から安否を尋ねる電話がかかってきた。
「苗美、最近どうしてる?」
母の気遣う声が聞こえる。
「元気だよ、お母さん」
私は声が普通に聞こえるよう、必死に努めた。
「淳一郎君は良くしてくれる?あのお婿さんは本当に気に入ってるわ。仕事は立派だし、人柄も落ち着いてる。しっかり捕まえておかなきゃだめよ」
「うん」
私は力なく笑った。
「隣の小林さんちの奥さんなんて、毎日てんてこ舞いよ。それに比べてあなたは今、どれだけ幸せか」
電話を切った後、私は手の中のダイヤモンドのピアスを見つめ、複雑な心境に陥った。
そう、傍から見れば、私は確かに幸せなのだろう。夫は立派な仕事に就き、家は裕福で、家政婦までいる……。
なのに、どうしてこんなにも苦しいのだろう?
「お義姉さん、何を見ているんですか?」
橘の妹が背後からやってきて、私の手にあるピアスを目にすると、その瞳に一瞬、嫉妬の色がよぎった。
「お兄様、お義姉さんに本当に優しいんですね」
「ええ」
私はかろうじて微笑んだ。
「でも……」
彼女は心配するふりをして言った。
「女性はやはり、自分のキャリアを持っていた方がいいですよ。雪奈さんのように、独り身でもあんなに輝いて生きられるんですから。私なら、役立たずの飾り物になんて絶対になりません」
飾り物……その言葉が、針のように私の心に突き刺さった。
翌日の午後、私は小百合を抱いて銀座へ買い物に出かけた。
私にとって、家にいることもまた一つの拷問だったからだ。
デパートの中は人々が行き交い、春の陽光がガラスの天窓から差し込み、大理石の床にまだらな光の影を落としていた。
私がベビー用品を選んでいると、遠くから聞き慣れた声がした。
顔を上げると、私はその場で凍りついた。
淳一郎と雪奈が、間近に迫ったアート展のプロモーションをしており、あるメディアのインタビューを受けている。周りには多くの見物人が集まっていた。
「早川先生、創作活動の中で最も記憶に残っている瞬間を教えていただけますか?」
女性記者が尋ねた。
雪奈は優雅に微笑む。
「海外での展覧会の前夜に、ある大切な人から激励のメッセージをいただいたことでしょうか。あのメッセージは、私に大きな力をくれました」
そう言うと、彼女はさりげなく淳一郎に視線を送った。
「では、橘さんは?」
記者は淳一郎に顔を向けた。
淳一郎は少し考え込む。
「結婚式の前日の夜ですね。あれは私の人生で最も忘れられない瞬間でした」
彼と雪奈は一瞬、視線を交わした。空気中には、彼らにしか分からない暗流が流れているようだった。
私の心臓は激しく鼓動し、ほとんど呼吸ができなかった。
さらに私を驚かせたのは、雪奈の首に着けられたダイヤモンドのネックレスが、昨日私がもらったピアスと全く同じデザインだったことだ!
同じカッティング技術、同じセッティングデザイン……。
急に気分が悪くなり、胸が詰まって何も言えなくなった。
「苗美さん?」
振り向くと、桐山慧が私の後ろに立っていた。その眼差しは複雑な色を帯びている。
「桐山さん」
私は平静を保とうと努めた。
彼はインタビューを受けている二人を見て、静かに言った。
「お似合いですよね、あの二人」
その言葉は、雷に打たれたかのように私の心臓を貫いた。
目頭が熱くなり、涙がこぼれ落ちそうになる。
「わ、私、失礼します」
私は小百合を抱きしめ、慌ててその場を離れた。
深夜、私はベッドで淳一郎の帰りを待っていた。
時計の針が午前一時を指した頃、ようやく玄関でドアが開く音がした。
淳一郎はふらついた足取りで寝室に入ってきて、体からはアルコールの匂いが漂っている。
「酔ってるの?」
私は身を起こした。
「少しな」
彼の声は不明瞭だ。
「桐山と何杯か飲んできた」
月光が障子を通して彼の顔に差し込み、私はふと、彼の上唇に小さな傷があることに気づいた。
「唇、どうしたの?」
「うっかり噛んだんだ」
彼はそっけなく答え、ネクタイを緩め始める。
「噛んだ?」
私は問い詰めた。
「苗美!」
彼は突然振り返り、氷のように冷たい眼差しを向ける。
「また何を穿鑿しようとしてるんだ?」
私は彼の口調に気圧された。
「部屋を分けたいの」
私は勇気を振り絞って言った。
淳一郎は動きを止め、私の方へ向き直る。その口元に冷笑が浮かんだ。
「実を言うと、今の君のその姿じゃ、僕も毎回かなり無理をしている。部屋を分けるのは、お互いにとって最良の選択だろう」
彼は踵を返し、客間へと向かう。
「望み通りに」
部屋には私一人が残され、水のような月光が、ことさらに冷たく感じられた。
私は携帯電話を取り、ブランドの公式サイトで同じデザインのダイヤモンドネックレスのページを見る。そこには、一つ買うともう一つプレゼント、というキャンペーンが表示されていた。
ダイヤモンドネックレスを買うと、ダイヤモンドのピアスが贈られる。
病的なほど楽観的な私は、漫然とSNSを眺めていた。
突然、雪奈のライブ配信がおすすめリストに現れた。
私は何かに憑かれたように、それをタップした。
画面の中の雪奈は、ほろ酔い加減でカメラの前に座っている。頬は酒のせいで赤く染まり、その眼差しは気だるげで、得意げだ。
ファンたちは皆、雪奈がとても嬉しそう、まるで恋をしているみたいだとコメントし、ファンサービスとして本音を話してほしいと煽っていた。
「まだ恋はしてないけど、今日は確かに嬉しい一日だったわ」
彼女はカメラに向かって妖艶に笑う。
「ご存知の通り、私は昔からクレイジーで自由奔放だから。かつて、好きな人の大切な日の前日に身を捧げたことがあるの。でも、彼は私を拒絶した」
私の血液が、一瞬で凍りついた。
「でも今日、彼は行動で後悔を示してくれた」
彼女は酔いと得意げな響きを声に乗せて続ける。
それを良くないと思う視聴者もいたが、すぐに他のファンが雪奈を擁護し始め、愛されていない方が不倫相手なのだと主張した。
雪奈は酔いの回った目でカメラを見つめる。
「彼の隣にいる女、競争相手だなんて言うと私の格が下がるわね。昔はまだ少しはチャンスがあったかもしれないけど、今は……」
彼女は最後まで言わなかったが、ファンたちは皆、その意味を理解していた。
「それに、人を奪うなんて何が面白いのかしら。相手の方からやって来て、私と一緒になりたいって懇願してくる。それこそが、女の腕の見せ所じゃない」
「彼の隣にいる女については……」
雪奈は軽蔑するように笑った。
「本当にかわいそうね」
私はライブ配信を閉じた。抑えきれない吐き気がこみ上げてくる。
すべての手がかりが繋がり、真実が津波のように押し寄せてきた。
私は立ち上がって化粧台の前へ行き、鏡の中に映る、虚ろな目をして、たるんだ体型の女を見つめた。
「橘苗美」
私は鏡の中の自分に静かに語りかける。
「まだ自分を騙し続けるつもり?」
鏡の中の女は答えなかったが、その眼差しは、確固たるものに変わり始めていた。
翌朝。厨房には味噌汁の香りが漂っていた。陽光が格子窓から差し込み、畳の上にまだらな光の影を落とす。
家政婦がフナのスープの入ったお椀を私の方へ運んできた。
「奥様、お義母様が、最近顔色が悪いからこれを飲んで体を補うようにと」
私はその乳白色のスープを見て、昨夜のすべてを思い出し、胃がむかむかした。
「飲まないわ」
私は静かに断った。
私はずっとこういうものが嫌いだったが、強引な義母は私の拒絶を無視し、子供のためだと言って時間通りに飲ませていたのだ。
「え?」
家政婦は呆然とする。
「ですが、お義母様がわざわざ……」
「飲まないと言ったら飲まないの」
私の声は穏やかなままだったが、眼差しは鋭くなっていた。
家政婦の顔色が一変し、皮肉っぽく言う。
「奥様は最近、随分と気が強くなりましたね。お義母様のご厚意まで無にするなんて」
私は手を止め、ゆっくりと彼女の方へ振り返った。
「佐藤さん」
私は彼女の名前を静かに呼んだ。その声には、これまでにない冷たさが宿っている。
「告げ口をしたいなら、今すぐ行ってきなさい」
家政婦の顔がさっと青ざめた。
「奥様、それはどういう……」
「あの方に伝えて。金のピアスがどこに隠されているか、私は知っているとね」
私は穏やかな口調を保ったまま、しかしその眼差しは刃のように鋭かった。
家政婦の顔色は見る見るうちに真っ白になり、スープのお椀を持つ手が震え始めた。
「な……何をおっしゃっているんですか?」
私は答えず、ただ静かに彼女を見つめ、口元に冷笑を浮かべた。
以前、家政婦が義母の金の指輪とピアスを盗むのを、私は見ていた。だが、義母が好きではなかったため、黙っていたのだ。
家政婦は慌ててスープのお椀を置き、そそくさと立ち去った。
ドアを閉める動作さえ、いつもとは違い、ひどく静かになっていた。
