第10章 謎のゲスト
オーディション当日。雲の切れ間から差し込んだ陽光が会場の外壁を照らし、きらきらと眩しく反射していた。
目黒千音は、華やかで上質なロングドレスを纏って控室エリアへ現れた。歩くたびに裾がさらりと揺れ、まるで絵画から抜け出してきた妖精のようだ。
その瞬間、ざわりと視線が集まる。
新谷浩辰も裏方にいた。千音を見た目、目に一瞬だけ驚き――いや、称賛に近い色が走ったが、すぐに平然とした顔に押し隠す。
一方、目黒思月は嫉妬で目が赤くなるほどだった。千音を見つめる胸の底に、どす黒い怨みが溜まっていく。
(今日だって出番はないくせに……なんで、あんなに綺麗にしてるのよ)
しかも、あの頬の傷。美しさを損なうどころか、妙に張りつめた気配を足していて――余計に人を惹きつける。
思月はふと、傷跡が少し薄くなった気がした。
……気のせい?
確信が持てない。その曖昧さが、嫉妬を雑草みたいに増殖させる。
千音はその視線に気づき、口元だけで意味深く笑った。
思月は慌てて嫉妬を押し殺し、親しげに距離を詰める。腕まで絡め、軽く揺らしながら甘ったるく言った。
「お姉ちゃん、今日ほんと綺麗だね」
知らない者が見たら、仲のいい姉妹にしか見えないだろう。
だが周囲では、ほかの歌手たちがひそひそと囁き合っていた。
千音の「噂」を聞いたことがある者たちは、露骨な軽蔑を目に浮かべる。
「ねえ、目黒千音じゃない。浩辰がなんで婚約したのか分かんない。昔の情でも残ってんじゃない?」
派手な衣装の女性歌手が、わざとらしく笑った。
「身のほど知って、さっさと身を引けばいいのに」
「浩辰と思月の邪魔よね」
「ほんと、図々しい」
言葉の刃が、ちりちりと肌を刺す。
千音は騒がず、けれど怯みもしなかった。口角に薄い嘲りを浮かべて言う。
「知らないの? 私、新谷浩辰は思月に譲るって決めてるの。嫌がってるのは新谷家のほうよ」
声は大きくない。それでも、その場の空気が一瞬止まった。
思月がすぐに、困ったふりで取り繕う。けれど、その言葉は周囲へ釘を刺すためのものだ。
「そんな……お姉ちゃん。新谷のおじさまも言ってたよ? 新谷の嫁は、お姉ちゃんだって」
――ほら見なさい。引くふりして結局しがみつく。
そう言外に告げる。
周囲の視線が、さらに冷たくなる。
「計算高い……。思月が可哀想」
思月と仲のいい歌手が、庇うように前へ出た。
千音はちらりと思月を見て、唇を薄く笑わせる。
「うちの母は、娘を一人しか産んでないの。……この子は、姉と呼べるほどの格じゃない」
その瞬間、思月の顔が引きつった。
そこへ、別の女性歌手が興奮した様子で駆け込んでくる。瞳がきらきらしていた。
「ねえ、知ってる!? 立花様も来てるって! それに、今日は“シークレットゲスト”までいるらしいよ!」
石を落としたみたいに、空気が波立つ。
さっきまで千音を嗤っていた連中も、あっさり話題をそっちへ移した。
「立花様って、あの立花帝!?」
「見初められたら終わりじゃん。顔も才能も反則でしょ」
「シークレットって、もっとすごい人? 誰?」
「まさか……立花一夜、立花社長だったりして」
「一目見られるだけで十分……!」
あちこちで、弾んだ声が跳ねる。
思月も横で聞きながら、そっと拳を握った。瞳に欲が灯る。
――このチャンス、逃すわけない。
千音は立花帝が来ること自体は知っていた。だが、シークレットゲストまでいるとは思っていなかった。
立花帝以上の「格」なんているのだろうか。
そう考えた途端、なぜか脳裏に立花一夜の顔が浮かぶ。
千音の頬がかっと熱くなり、慌てて首を振って思考を追い払った。
今回のオーディションは生配信だ。出演者たちはステージ下の待機エリアに座り、順番を待つことになっている。
千音もそこへ向かった。足取りは優雅で、先ほどの嘲笑などなかったかのように落ち着いている。
だが、待機エリアの手前で声が飛んだ。
「ねえ、あんた出場者じゃないでしょ? ここ、関係者席じゃないんだけど」
「そうそう。場所取らないで。ここは参加歌手のエリアなの」
次々と同調の声。向けられる眼差しは露骨に侮蔑的だった。
その様子を見て、思月の瞳が細くなる。
そして、善意を装って言った。
「お姉ちゃん、みんな心配してるんだよ。ここにいたら、また変な噂を言われるかもって。……それでも座りたいなら、私の隣にどう?」
千音は思月を一度だけ見たが、答えない。
そのまま静かに歩き、騒がしい中心から離れた隅の席へ腰を下ろした。嘘くさい甘さも、敵意も届かない距離。
やがて開演の時間が迫り、会場の熱がじわじわと高まっていく。
空気そのものが、期待でざらついているみたいだった。
司会者が舞台へ上がり、マイク越しに響かせる。
「それでは皆さま、本日のシークレットゲストをお迎えしましょう!」
観客も出演者も息を呑む。
不思議な静けさが落ち、聞こえるのは小さな呼吸音だけ。
――幕が開いた。
眩い照明が、ステージ中央へ収束する。
そして次の瞬間。会場の視線が、ゲスト席へ吸い寄せられ――凍りついた。
そこにいたのは、立花一夜だった。
仕立てのいい黒いスーツ。背筋の通った立ち姿。
冷ややかな横顔は、彫刻家が削り上げた完成品みたいに整っている。
ただ、その瞳の冷たさだけは、真正面から見返すことを躊躇わせた。
控室エリアは一気に沸き立つ。
女歌手たちは目を輝かせ、髪を直し、口紅を確かめ、必死に「いい印象」を作ろうとする。
思月も例外じゃない。
彼女はこっそり、口パク用の録音機器を整えた。目に浮かぶのは熱。立花一夜を歌で虜にする――そんな甘い夢だ。
(私が選ばれれば、人生は一気に……)
想像の中で、贅沢な生活の輪郭が膨らんでいく。
そのとき。客席側で立花帝が千音を見つけ、微笑んで軽く頷いた。
千音は、准婚約者として彼がこれまで自分に示してきた「友好」を思い出し、小さく笑って返す。
――しかし。
ふと視線を上げた瞬間、千音の目が立花一夜と、真正面からぶつかった。
