スピード婚後に大物の宝になる

スピード婚後に大物の宝になる

洛陽柱 · 連載中 · 451.0k 文字

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紹介

婚約の三日前、彼女は目撃してしまった。婚約者と義理の妹が、密やかに肌を重ね合うその現場を。すべてが崩れ落ちるような絶望のなか、叩きつける大雨に打たれながら立ち尽くす彼女を、一人の男が拾い上げた。

「やっと、見つけた」

彼は壊れものを扱うように彼女を抱きしめ、そう囁いた。一夜の情熱のままに彼と婚姻届を交わした彼女は、やがて思い知る。この男こそが、財務省の内閣政務官であり、巨大コングロマリットの最高経営責任者であることを。

そして同時に、彼女は気づき始める。失われた八年間の記憶の奥に、決して普通ではない己の正体が隠されていることに——。

チャプター 1

狭くて薄暗いクローゼットの中で、目黒千音は呼吸することすら忘れていた。

たった一枚の板を挟んだ向こうから漏れてくるのは、婚約者と義妹の、だらしない喘ぎ声。

「あっ……浩辰兄さん、もっと優しく……」

千音は胸元を押さえた。指先が震える。痛い。心臓を握り潰されるみたいで、息が吸えない。

鼻先に漂う薔薇の香り。

さっきまで「サプライズ」の象徴だったはずのそれが、今は――自分の滑稽さを笑っているみたいだった。

もうすぐ婚約。だから三日前、千音は先にこの新居へ戻ってきた。大きな薔薇の花束を抱え、クローゼットに身を隠した。

彼を驚かせるために。

――その結果、見せつけられたのは裏切りだった。

「浩辰兄さん……本当に、お姉ちゃんと結婚するの? あっ……」

ベッドがぎし、と軋む。

淫らな言葉の合間に混じる、男の荒い息。

「するわけねえだろ。あのブスにも多少価値があるから婚約してるだけだ。結婚とか吐き気する。顔の傷? ムカデみたいでさ。欲情できるかよ」

嫌悪を隠しもしない声。

千音は拳を握り締めた。爪が掌に食い込み、頬の傷がじくじく疼く。

――あのとき。「気にしない」「一生守る」

そう言ったのは、全部嘘だったの?

会話はまだ終わらない。

「お姉ちゃん、母親の遺産の権利握ってるでしょ。奪い取ってから捨てないと。今捨てたら、こんな便利な道具どこにあるのよ」

義妹の声が、ふっと陰に沈む。

「……悔しい。あのブス、命だけは無駄に強い。拉致して輪姦させようとしたのに、逃げ切ったんだから!」

「焦るなって、ベイビー。今だってあいつ、俺たちのために必死に働いてるだろ? お前がスキャンダルに巻き込まれたときも、俺がちょっと甘い言葉かけただけで、あいつが主役の身代わりになった。お前の歌が売れたのだって、あいつが曲作って、お前が口パクするのを手伝ったおかげだ」

男が、愉快そうに笑う。

「今捨てたら、誰がお前を“国際的スター”にしてくれる?」

目黒思月は甘ったるく笑い、新谷浩辰の腰へ脚を絡めた。

「じゃあ浩辰兄さん。早く……お姉ちゃん、片づけてね」

「月月、やっぱお前最高。気持ちよすぎる……あのブスなんか、お前の足元にも――」

肉のぶつかる音。喘ぎ声。

どれだけ時間が過ぎたのか。千音は眩暈と耳鳴りに耐えながら、暗闇でただ息を殺していた。

ようやく二人の気配が遠ざかる。

現実に引き戻された千音は、勢いよく扉を押し開け、ふらつきながら寝室を出た。

外は土砂降り。薄い服に雨が叩きつけられても、気にする余裕なんてない。

彼女は花束をそのままゴミ箱へ放り投げた。

三年前。拉致されて、輪姦されかけた。

――あれも、浩辰と思月が仕組んだものだった。

救いの手を差し伸べてくれた恩人だと信じ、三年間、奴隷みたいに使われた。

義妹のために徹夜で作曲し、口パクの影武者までやった。

婚約者のために取引先へ頭を下げ、接待の席で触れられても歯を食いしばり、契約を取った。

その結果、新谷グループは一気に大手へ。

思月は、飛ぶ鳥を落とす勢いの人気スターに。

そして何かあればいつも、千音が身代わり。

今回もそうだ。思月の浮き名を、浩辰の指示で千音がかぶった。ネットは袋叩き。ファンの罵詈雑言が止まらない。

……笑える。

千音の“尽くし”は、二人の恋の踏み台でしかなかった。

雨の夜を、屍みたいに歩き続け――やがて、ガラの悪い連中に目をつけられた。

ニヤニヤ笑いながら囲んでくる視線に、欲望と貪りが滲む。

先頭の男が腰へ腕を回し、濡れて張り付く服の上を値踏みするように視線を這わせた。

「おっ、どっから来た姉ちゃん? 顔も身体もいいじゃねえか。兄弟、今日は当たりだぞ」

じりじり迫ってくる。

「やめて! 近寄らないで!」

我に返り、必死に抵抗するが、数の暴力には勝てない。

あっという間に地面へ押さえつけられた。

男の一人が得体の知れない液体の瓶を取り出し、乱暴に口へ流し込んでくる。

熱い液体が喉を滑り落ちた瞬間、身体が勝手に熱を帯びていく。意識が遠のき、視界が霞む。

「新型の媚薬だ。手に入れたばっかで試してねえんだよ。今日はお前で実験だ。天国見せてやるからなぁ!」

下卑た笑い声。

千音は歯を食いしばり、必死に身をよじった。目には生への執念が宿る。

そのとき、黒い高級車が何台も路肩を走り抜けた。

千音は喉が裂けるほど叫ぶ。

「助けて!」

――けれど車は止まらず、雨の向こうへ消えていく。

絶望が胸の奥にじわじわ広がった。

もう終わりだ。そう思った瞬間。

闇の中から、数十人の屈強なボディガードが雪崩れ込んだ。

混混たちは反応する間もなく、容赦ない拳と蹴りを浴びる。悲鳴が雨音に混じって飛び交った。

千音は地面にへたり込み、遠のく意識の中で、雨幕の向こうに一台のマイバッハを見た。

ドアが、ゆっくり開く。

中には男がいた。

仕立てのいい黒いスーツ。冷ややかで、品のある佇まい。荒れた現場と、あまりにも不釣り合いだった。

冷たい雨が骨まで染みるのに、媚薬は体内で炎みたいに燃え上がる。

氷と火の狭間で意識が溶け――

次に気づいたとき、千音は男のいる車内へ運び込まれていた。

眉宇に宿る気品と沈着。まるで古い貴族の末裔みたいな男。

鋭い眼差しが、彼女を貫く。

そして――どこかで見たことがある気がした。

男は千音の顔に手を伸ばし、目を細める。

「……寧々?」

覗き込まれたその瞬間、車が動き出し、千音は体勢を崩して男の胸へ倒れ込んだ。

硬い胸板。腕の中にある、揺るぎない安全。

雄の匂いが鼻腔を満たし、最後の理性に火をつける。

浩辰が裏切ったなら――自分だって、壊れていいじゃない。

千音の腕が勝手に男の首へ絡み、震える唇が男の唇へ重なる。

必死で、貪るように。

拙い舌先が唇をこじ開け、口内へ滑り込んだ瞬間。

男の呼吸が乱れた。

「寧々……本当に、お前なのか」

寧々? 誰――。

疑問が浮かぶより早く、情欲の波が思考をさらっていく。

千音は男の襟を掴み、熱に震える身体で縋りついた。

霞んだ瞳で懇願する。

「お願い……助けて……」

男は彼女を抱き寄せ、深く口づけた。

「……寧々。頼んだのは、お前だ」

温かな手が服の内側へ潜り、柔らかな胸を確かめるように弄ぶ。

甘い刺激に堪えきれず、千音は腰を反らせ、太腿を男の高価なスーツへ擦り付けた。

どうすればいいのか分からない。

情けなく、縋るように見上げると――

男の喉仏が、ゆっくり上下した。海みたいに深い瞳が、暗く沈む。

「……ホテルへ」

再び目を覚ましたとき、千音は全身が軋むように痛かった。

隣には、背の高い男が横たわっている。

背を向けた広い肩。引き締まった背筋。肌の熱と、張り詰めた気配だけで、胸が早鐘を打つ。

昨夜の記憶が一気に蘇り、頬が熱くなる。

幾度も、幾度も。男は彼女を宥めるように導き、体位を変え、窓際へ押しつけた。ネオンに濡れた夜の街を背に、容赦なく――。

千音は唇を噛み、恐る恐る顔を確かめようと身を起こす。

その瞬間、男がわずかに身じろぎした。目を覚ましかけている。

――まずい。

千音は息を殺し、身体を引いた。心臓が跳ねてうるさい。

薄い朝の光の中、横顔を盗み見る。

脳裏に浮かんだ名前に、血の気が引いた。

立花帝。

……昨夜、自分は国民俳優の立花帝と寝た?

千音は胸の内の嵐を押し込み、そっと布団をめくる。床に散らばった服を拾い集め、手早く身につけ、音を立てないよう部屋を出た。

自宅に戻った途端、スマホが震えた。

表示された名に、胃の奥がひくりと痙攣する。

新谷浩辰。

不機嫌を隠しもしない声が耳を刺した。

「目黒千音、昨夜どこ行ってた? 電話も出ねえし……何して遊んでたんだ?」

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