第7章 1週間の時間
新谷家。
目黒思月はベッドに横たわり、虚ろな目で天井を見つめていた。涙が、止めどなく目尻からこぼれ落ちていく。
「ママ……どうして……。どうしてお姉ちゃんは、あんなふうに私を陥れて、辱めるの……!」
嗚咽混じりの声に、継母はきつく思月を抱きしめる。
「思月……あの子はね、私たち母娘が頼る人のいないのをいいことに、好き放題いじめてくるのよ」
二人して泣きじゃくるその姿は、まるで自分たちこそ被害者だと訴えているみたいだった。
そこへ目黒家当主が歩み寄る。顔色は陰り、目黒千音を見る視線には怒りが渦巻いていた。
「見ろ。お前がしでかしたことを!」
指を突きつけられ、千音は眉をひそめる。
「……私に、何の関係があるの」
「お前が『みんなで思月を探しに行こう』なんて言い出したから、あんな大騒ぎになったんだろうが。目黒家の面目は丸潰れだ!」
当主は苛立ちを隠さず、千音を睨みつける。
「元々、やったのは思月でしょう。どうして私のせいになるの」
千音は頑なに顔を上げ、父を真正面から見返した。瞳の奥に滲むのは、悔しさと理不尽さだ。
間違えたのは思月なのに。どうして父は、善悪も確かめずに自分だけを責めるのか。
「まだ言い訳する気か? 思月はいい子だ。そんなことをするはずがない。お前が嫉妬して、わざと罠にはめたに決まってる」
父は説明を聞く気すらない。結論ありきの断定が、岩みたいに揺るがない。
「違う! 私はやってない!」
「もういい。お前の落とし前だ。思月のために一曲作れ。グラミーを獲らせるんだ」
言い切って、父は一拍置いた。
「それから会社の株もだ。お前の持っている分のうち5%を、思月に譲渡しろ。慰謝料代わりだ」
氷のように冷たい声。交渉の余地は一片もない。
千音の背筋を、ぞくりと寒気が這い上がった。胸の奥から広がる冷たさが、瞬く間に全身を覆い、指先がわずかに震える。
夏目家が目黒家に変わったこと――それだけでも十分だというのに。母の遺産として本来彼女が守るはずだった持株30%まで、父は平然と奪い取ろうとしている。
こんな仕打ち、心が冷え切らないはずがない。
けれど千音は理解していた。今の目黒家で、自分はあまりにも孤立している。この場で父と決定的に決裂すれば、状況はさらに悪化するだけだ。
ゆっくり息を吸い、怒りと悔しさを押し殺す。千音は視線を父に戻し、あえて弱々しい仮面をかぶった。
「お父さん……本当に、私には心当たりがありません。誓って言います。これは私が仕組んだことじゃない」
それでも父の表情は動かない。千音は続けた。
「控室の外、監視カメラがありましたよね。映像を確認すれば、すぐ真実が分かります」
その瞬間、思月の顔色がさっと抜けた。血の気の失せた白さ。カメラを見られたら、自分のやったことが全部露見する――それが分かっている。
「……調べなくていいよ!」思月が慌てて声を上げる。「お姉ちゃんが違うって言ってるんだし、きっと誰かが裏で悪さしてるの」
継母の腕の中から顔を上げ、涙声で畳みかける。
「姉妹の仲を裂こうとしてる人がいるのよ。監視カメラを見たって、役に立つものなんて出ないかもしれないし……」
焦りが滲み出ている。隠したいという気持ちだけが、あからさまだ。
千音は思月を横目に見る。
「妹の潔白のためにも、きちんと調べるべきよ」
信じないなら、見ればいい。誰が腹黒くて、誰が手段を選ばないのか――はっきりする。
「お姉ちゃんは私を死なせたいの!?」思月が喉を潰す勢いで叫んだ。「こんなことがあって私だって苦しいのに、まだ追い詰めるの!?」
その言葉に、家の空気が揺れる。各々思うところはあっても、誰も「監視カメラを見よう」とは言い続けなかった。
千音がなおも口を開きかけたとき、当主が手を上げて遮る。
「もういい。思月が『調べない』と言うなら、この件は終わりだ」
そう言い捨て、当主は真っ先に部屋を出ていった。
千音は唇を噛む。納得などできない。それでも、今は引くしかなかった。
騒動のあと、千音は自室へ戻った。ベッドに腰を落とすと、力が抜けたようにぐったりと沈み込む。
空洞みたいな目。世界の色が、全部灰になった気がした。
そのとき――スマホが「ピコン」と鳴った。立花一夜からのメッセージ。
画面を開いた千音は、思わず目を見開く。
そこには、目黒家に関する犯罪の証拠がいくつも添付されていた。その中の一つが、彼女の思考を完全に止める。
祖父が怒りで発作を起こしたのは、自分のせいではない。父と継母が、意図的に仕組んだことだった。
悪辣。言葉が追いつかない。
しかも二人は平然と嘘をつき、「千音のせいで祖父が倒れ、ICUで昏睡状態になった」と彼女を縛りつけた。
――だから、今でも祖父の顔を見に行けない。
千音はスマホを握りしめた。指先が白くなるほど強く。
憎い。利益のためなら何でもする連中。底が抜けたみたいに、どこまでも醜い。
けれど現実は残酷だった。目黒グループはほぼ父の掌の中。経済面でも千音は締め上げられ、身動きが取れない。
この状況で祖父の仇を討ち、自分のものを取り返すなんて――簡単なはずがない。
考え込んだところへ、再び通知音。
立花一夜から、もう一通。
「明日、曽我介のところへ行って顔の治療を受けろ。婚約の件は一週間で片づける。その後、すぐに入籍する」
千音は一瞬、呆けた。
(……支配欲、強すぎない?)
甥の婚約話なのに、なぜそこまで急かすのか。まるで自分が結婚するみたいに。
だが、すぐに思い直す。一週間――それは、彼女が想定していた期間と一致していた。
立花一夜の力なら、強引に介入して婚約を破壊することもできたはず。それでも彼は、千音が自分で片づける選択を残した。
胸の奥に、かすかな温かさが灯る。
一方その頃。
目黒思月は自室に戻っても悔しさが収まらず、電話を手に取って新谷浩辰へかけた。
「浩辰兄さん……お願い、信じて。私、目黒千音に陥れられたの……!」
繋がった瞬間、思月は泣き出す。
「……そうかよ」
浩辰の声は覇気がない。思月が別の男と裸で絡み合っていた光景が、どうしても頭から離れなかった。
けれど思月は、空気を読むのが上手い。だからこそ浩辰を夢中にさせたのだ。
甘えるように、媚びるように言葉を重ねて、怒りをほどいていく。
そして改めて、涙声で訴えた。
「お姉ちゃん、絶対に嫉妬してるの。だから私を恥かかせたの。ねえ、この件で私のこと嫌いにならないで……」
「思月、もちろん信じてる。だが今は、お前の姉を繋ぎ止めるのが先だ。数日後に歌手のオーディションがある。あれも、あいつの力が必要なんだ」
浩辰は低い声で宥める。
思月はぴたりと泣き止み、猫なで声に変えた。
「うん……浩辰兄さんの言う通り。じゃあ早く、お姉ちゃんに電話して。絶対に私を手伝うって言わせて」
