第29章 借りた者が返す

「いいか、これで飯一回分の貸しだからな」

水瀬遥人はそう言い添えて、手を離した。

神崎彩は彼の言葉など耳に入っていないようだった。彼女の意識はすべて素晴らしい古書に注がれており、瞳には再び光が宿っていた。まるで稀代の宝物を扱うかのように、指先でそっと表紙を撫でる。

その様子を見つめ、水瀬遥人は口の端をわずかに吊り上げた。

車内には、穏やかで静謐な時間が流れていた。

――車窓の外から、耳をつんざくようなクラクションが響くまでは。

プップーッ! と、急き立てるような、怒りに満ちた音が断続的に鳴り響く。

神崎彩はびくりと肩を震わせ、反射的に車窓の外へ視線を向けた。

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