第319章 旦那と家に帰ろうとしない

橘薫にそう言われ、神崎彩の脳裏には、シンクの前に立って食器を洗う水瀬遥人の姿がふと浮かんだ。

確かに彼は、彼女に家事の類を一切させていなかった。

田中さんがいる時は、田中さんがやる。

七海がいる時は、七海がやる。

誰もいない時は、水瀬遥人がやる。

彼女の手を煩わせたことは、本当に一度もなかった。

今日、橘薫に指摘されるまで、神崎彩はそのことに思い至りもしなかった。

水瀬遥人。

彼の優しさは、まるで春の夜の雨のように、音もなく彼女の心を潤していく。

彼女の胸の奥底が、ふと、ひどく柔らかく解けていった。

その様子を見て図星だと悟った橘薫は、彼女の腕を小突いて艶めかしく笑った。...

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