第005章 一つしか選べない

「もちろんですとも」

神崎彩はそう答えると、グラスの酒を一気に飲み干し、手酌でなみなみと次の酒を注いだ。

その傍らで、九条莉奈は自分が完全に蚊帳の外に置かれていることに気づいた。神崎彩が古狸たちを相手に余裕綽々と立ち回る姿を見て、対抗意識が鎌首をもたげる。

彼女は負けじとグラスを掲げ、強張った笑みを浮かべた。「小林社長、先日は失礼いたしました。少々衝動的すぎましたわ。お詫びの印に、この一杯を捧げます」

言葉こそ謝罪だが、その態度は依然として上から目線だった。

何しろ彼女は箱入り娘の「お嬢様」だ。こうした接待の場を経験したことがなく、自分が口を開けば相手は必ず顔を立ててくれると、そう思い込んでいるのだ。

だが彼女は忘れている。小林和也こそが、かつて彼女が侮辱した相手であることを。

契約の日、小林和也が彼女に手を出そうとした際、彼女は彼を散々に罵倒したのだ。

だから今、小林和也は彼女を見ようともせず、その顔を立てる気などさらさらなかった。

九条莉奈は気まずさに襲われたが、一度口に出した以上、引くに引けない。彼女は硬い表情のまま、無理やり酒を喉に流し込んだ。

慣れない強酒を急いで飲んだせいで、喉が焼けるように痛み、一口も飲まないうちに激しく咳き込んでしまう。

隣に座っていた西園寺蓮は、その様子を見て彼女の背中を優しくさすった。

そして彼女の手からグラスを取り上げ、小林和也に淡々と言った。「九条は大学を出たばかりで、酒の席には不慣れなのです。小林社長、この酒は私が代わりに頂きます。どうか彼女に免じて、ご容赦願いたい」

言い終わると、彼は九条莉奈のグラスに残っていた半分以上の酒を、一気に飲み干した。

この行動は、九条莉奈が彼の人であることを意味する。少しでも目端の利く人間なら、西園寺蓮の顔を立てて、九条莉奈の過去の過失を追及したりはしないだろう。

だが彼は忘れていた。この酒席には、神崎彩も座っていることを。

その光景を目の当たりにした神崎彩は、胃の中に流し込んだ三杯の酒が突然燃え上がったように感じた。激しい痛みと、強烈な吐き気が込み上げる。

あいにく小林和也は、執拗に彼女へ酒を注ぎ続けており、彼女を潰す気満々だ。

西園寺蓮はその様子を見て、さすがに不憫に思ったのか、彼女のグラスを押さえ、冷淡に言った。「神崎秘書の分も、私が飲みましょう」

「西園寺社長は本当にお優しい」小林和也は皮肉っぽく笑った。

「そうですね、西園寺社長。一人は九条さん、もう一人は神崎秘書。二人分の酒を肩代わりするというのは、少々不公平ではありませんか?」

別の同僚も追随した。

彼らの地位は西園寺蓮とは雲泥の差だが、彼らはあくまで片岡グループを代表している。ここで片岡グループの威厳を損なうわけにはいかない。

それに酒席において、西園寺蓮のこの振る舞いは片岡グループに対する極めて大きな非礼にあたる。

彼らには理がある。恐れることはない。

最後の一人も調子を合わせた。「その通りです。西園寺社長が全部飲んでしまっては、我々はどうすればいいんです? いっそ、どちらか一人だけ選んで、その分だけ肩代わりするというのはどうです?」

相手が言い終わらないうちに、西園寺蓮の顔色は恐ろしいほど冷え切っていた。

個室は一瞬にして死のような静寂に包まれた。

神崎彩は何も言わなかった。

もし西園寺蓮が彼女の酒を飲むと主張すれば、片岡グループの人間も無茶はできないと分かっていた。最悪の結果は、提携が決裂し、契約できないことだ。

だが彼女は口を開きたくなかった。西園寺蓮がどう選ぶか、見たかったのだ。

その時、九条莉奈が期待に満ちた瞳で彼を見つめた。「蓮兄さん、私、お酒飲みたくない……」

そう言いながら、テーブルの下で彼の手を絡めた。

彼はその手を握り返し、目で合図した。『騒ぐな』と。

その光景は、他の人間の目には、情熱的なアイコンタクトとして映った。

テーブルの男たちは一斉に笑い出した。「どうやら、西園寺社長の選択は決まっているようですね」

その通りだ。西園寺蓮が考えたのは、九条莉奈は温室育ちの少女で、こんな場には慣れていないということだ。

神崎彩は違う。彼女は様々な顧客との折衝に慣れており、どんな厄介な相手でも解決する方法を知っている。

今日の件は、彼女に任せるしかない。

帰ってから、よく言い聞かせて宥めればいい。

彼はそう考えた。神崎彩が今、重度の胃病を患っており、酒を飲めば胃出血を起こして取り返しのつかないことになるなどとは、露知らずに。

彼女は唇を血が滲むほど噛み締め、一言も発さず、口元に自嘲気味な皮肉の弧を描いた。

結局、彼女がどれほど苦しもうと、九条莉奈の一声「蓮兄さん」には敵わないのだ。

周囲の耳障りな笑い声に、頭がガンガンと鳴り、視界が揺らぐ。

小林和也が再び手を伸ばし、彼女に酒を注ぐ。「神崎さん、さあ、続けましょう!」

神崎彩は目を閉じ、必死に精神を安定させると、小林和也に微笑んだ。「小林社長が飲みたいとおっしゃるなら、もちろんとことんお付き合いします。ですが、飲む前に、プロジェクトの話を少しさせていただけませんか?」

小林和也は答えず、酒を注ぎ終えて椅子に座り直すと、笑った。「神崎さんは何を急いでいるんです? 今日はまだ一口も食べていないでしょう。今日の魚は少し味が薄い気がするんですが、どうです、味見してみては」

その場にいるのは古狸ばかりだ。小林和也の言外の意味を即座に理解した。契約したければ、西園寺グループが利益を譲歩しろということだ。

本来なら契約書の内容は確定していたはずだ。突然こんな手を使ってくるとは、足元を見て火事場泥棒を働くようなものだ。

西園寺蓮の顔色が曇った。

利益を譲れないわけではない。だが一度譲歩すれば、西園寺グループは完全に受動的な立場に追い込まれる。

それでは今後、西園寺グループの面目が立たない。

彼は神崎彩に視線を送った。たとえ今日契約できなくても、利益の譲歩だけは絶対にするな、と。

神崎彩は淡々と視線を返し、ゆっくりと小林和也に微笑んだ。「では小林社長、塩を何割ほど足せば丁度よいとお考えですか?」

彼女は小林和也の言葉に合わせ、相手の底値を探った。

酒席で唯一、彼らの会話を理解できていないのは九条莉奈だった。

彼女は西園寺蓮のそばに寄り、小声で言った。「蓮兄さん、神崎秘書って頭おかしくなったの? 塩加減を何割とかで計算するわけないじゃない」

西園寺蓮は答えず、沈んだ顔で神崎彩を見た。

神崎彩は彼を無視した。

小林和也は彼女の言葉を聞き、満面の笑みを浮かべた。「二割足せば、丁度いいだろう」

神崎彩は笑って応じた。「二割、もちろん可能ですわ」

言葉が落ちた瞬間、その場にいた数人の顔色が変わった。

西園寺蓮は鋭い視線を飛ばした。あれほど明確に合図を送ったのに、彼女はいったい何をするつもりだ?

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