第542章 ご恩に報いる術がなければ身をもってお返ししましょう

神崎彩は必死に断った。

けれど広住素子は聞く耳を持たず、どうしても彼女を連れていく気らしい。道中ずっと手首をがっちり掴んで離さない。逃げられるのが怖いのだろう。

個室の手前まで来たところで、神崎彩は咄嗟に天井を指さした。

「奥様、見てください。あれ、何ですか?」

「え? どれどれ?」

広住素子が足を止め、上を見上げた、その一瞬――神崎彩は手を振りほどき、くるりと踵を返して走り出した。

たとえ広住素子が、遅かれ早かれ自分の正体を知るとしても。

今日みたいな、こんな混乱の渦中だけは嫌だ。しかも全員、修羅場の当事者みたいな空気で――勘弁してほしい。

ところが。

数歩も行かないうち...

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