第4章
「離婚したいの!」
「何があったんだ?」
「高橋が浮気した!」
私は中島花のオフィスに立ち、低くも確かな声で言った。
中島花は顔を上げ、手にしていた赤ペンが宙で止まる。彼女の妊娠中のお腹はもうずいぶんと膨らんでいるが、それでもなお、毎日最後の瞬間まで仕事を続けることを譲らなかった。
「彼の言っていた出張、実は愛人と一緒に行ってたのよ」
私はバッグからスマホを取り出し、インスタグラムの画面を開いて彼女に渡した。
「これ、見て」
画面に表示されているのは田中千佐登のインスタグラムアカウント。最新の投稿は熱海の温泉で撮られた写真で、その投稿日時はまさしく高橋が『出張』だと言っていた数日間だった。写真には高橋の顔がはっきりと写っているわけではないが、そのぼやけた横顔と腕時計は、私には見慣れすぎたものだった。
「これ、誰?」
中島花は眉をひそめて尋ねた。
「田中千佐登。芸術学院の学生で、二十二歳」
私は平然と言った。
「半年前、渋谷のあのカフェで会ったウェイトレスよ。高橋が彼女のために喧嘩した、あの女」
中島花は息を呑み、明らかにその女の子を思い出したようだった。
「どうやってこのアカウントを見つけたの?」
「偶然よ」
私は苦笑した。
「今となっては、彼女は私のことなんて知らないか、あるいは全く気にもしてないんでしょうね」
中島花は写真をめくりながら、どんどん顔色を悪くしていく。
「あのクソ野郎……」
「あなたにお願いがあるの」
私は深呼吸した。
「三日以内に、離婚協議書を一枚用意してほしい」
中島花ははっと顔を上げた。
「三日? そんなに急ぐの?」
「早く全てを終わらせたいの」
私は言った。
「でも、私が離婚したがってることは、当分松本には言わないで」
松本と高橋は幼稚園からの親友で、松本と中島花は夫婦だ。そうすることで、松本を気まずい立場に置くのを避けたかった。
しかし、最終的に彼女は頷いた。
「わかった。私がなんとかする」
「あなたは大丈夫?」
彼女は心配そうに問い、私の少しやつれた顔に視線を落とした。
「十時に名古屋へ出張なの。新しい本の企画でね」
私は話題を変えた。
「だから、出発前にこの件を固めておきたかったの」
中島花はそれ以上は追及せず、こう言った。
「今、何か証拠はあるの?」
私はバッグからUSBメモリを取り出し、彼女の前に置いた。
「この中に、高橋のスマホから撮ったLINEのやり取りと、彼の車のドライブレコーダーのバックアップが入ってる」
それから、プリントアウトした書類の束をもう一つ取り出した。
「これは私たちの名義の財産明細と銀行の入出金記録。毎月初めに五十万円が同じ口座に振り込まれてるのがわかるはずよ」
大人の世界では、離婚するからといって仕事に手を抜くわけにはいかない。
幸い、私にはまだ子供がいなかった。そうでなければ、考えるべきことはもっと増えていただろう。
三日後、私は名古屋出張から戻り、直接中島花の家へ向かった。彼女はすでに離婚協議書を用意してくれており、松本航が隣に座って複雑な表情を浮かべていた。
「日本の法律じゃ、彼を無一文で追い出すことはできない」
中島花はそう説明し、私に書類を渡した。
「でも、彼の有責行為を考えれば、最大限の経済的利益を勝ち取れるわ」
「彼が有責配偶者である以上、財産分与で補償すべきだ」
松本が付け加えた。その声にはどこか申し訳なさが滲んでいる。
「法律で許される範囲で、君に最も有利になるよう手配したつもりだ」
私は書類を受け取り、感謝の気持ちを込めて二人を見た。
「ありがとう」
その夜、私と中島花は新宿の小さな居酒屋で飲んだ。お酒が進むと、話題は離婚からもっと深い話へと移っていった。
「ねえ、知ってる」
中島花はそっと呟き、膨らんだお腹を撫でた。
「時々、怖くなるの。松本が高橋みたいに、ある日突然心変わりするんじゃないかって」
「松本はそんな人じゃないわ」
私は彼女を慰めた。かつては自分も、高橋は私を裏切らないと固く信じていたにもかかわらず。
「結婚って本当に不思議よね」
彼女は続けた。
「紙切れ一枚で二人が結ばれて、それで? 愛情はすり減って、情熱は消えて、残るのは何なのかしら」
「責任と、選択」
私は呟いた。
「毎日が選択なのよ。愛し続けることを選ぶか、手放すか」
私たちは夜遅くまで語り合い、結局、中島花宅の畳の上で眠ってしまった。
翌朝、アラームの音で私は目を覚ました。出版社に電話して休みを取り、シャワーを浴びて、薄く化粧をした。体調は万全ではなかったが、それでも一番きちんとしたスーツを選んだ。ベージュのジャケットに紺色のペンシルスカート。重要な会議でいつも着る組み合わせだ。
今日、私は高橋義和に会いに行く。
鏡の前に立ち、私は深く息を吸った。
鏡の中の女は、瞳に固い意志を宿し、口元にはどこか捉えどころのない笑みを浮かべている。これは一つの戦いだ。そして私は、全ての武器を準備し終えていた。
高橋義和、この茶番を終わらせる時が来たわ。
——
田中千佐登がアプリでシェアしてくれた写真のおかげで、彼らが一緒に富士急ハイランドへ行き、一番高いジェットコースターに乗って、写真を撮ったことも知っている。
箱根の温泉にも行き、カップルスイートに泊まっていた。それから、千葉県でのバンジージャンプも。
義和はかつて、私を一緒にそこへ行こうと誘った。
それはとてもロマンチックで、そんなウェディングフォトを撮りたいとさえ言っていた。
でも私は断った。危なすぎるし、高所恐怖症だからと。
記憶が潮のように押し寄せる。
あの日、義和は興奮した様子でバンジージャンプのパンフレットを私に見せ、期待の光で瞳を輝かせていた。
「穂乃美、一緒に行こう! 高いところから落ちる瞬間、握り合っているのはお互いの手だけなんだ。なんてロマンチックだと思わないか!」
私は断った。今思えば、あるいはそれが、私たちの間に少しずつ亀裂が入り始めたきっかけだったのかもしれない。
年齢だけでなく、私たちの習慣も、趣味も、合わないところがたくさんあった。
愛が最も確かだった頃は、愛さえあればどんな困難も問題ないと思っていた。でも、現実はそうじゃなかった。
それらの問題は消えたのではなく、ただ隠れていただけ。
いつか突然爆発して、どちらかを血まみれに吹き飛ばすのを待っていたのだ。
待ち合わせの場所にて。
高橋義和はサングラスをかけ、冷たい表情をしていた。隣にいる女の子は、まさしく田中千佐登。彼女は義和の腕に絡みつき、まるで陽気な小鳥のようだった。
「今度はディズニーに行こうよ、ねえ?」
彼女は興奮して言った。その声は甲高くて耳障りだ。
「あなたの誕生日に、ミラコスタのレストランで食事して、それから花火を見るの……」
私は深呼吸し、彼らに向かって歩き出した。
「義和」
私は呼びかけた。
二人は同時に振り向いた。義和は私を見た瞬間、顔がさっと青ざめ、素早く田中千佐登の手を振り払った。
田中千佐登はきょとんとして、その瞳に一瞬の驚きと戸惑いがよぎった。
「み……穂乃美?」
義和はどもりながら言った。
「どうしてここに?」
「同じことを聞こうと思ってたところよ」
私は微笑み、視線を二人の間で行き来させた。
義和は田中千佐登の方を向き、突然ぶっきらぼうな口調になった。
「先に帰ってろ」
田中千佐登は唇を尖らせ、不満げな表情を浮かべた。
「でも、一緒に……」
「先に帰れって言っただろ!」
義和はほとんど怒鳴るように言った。
私はその光景を見ながら、悪戯心が湧き上がるのを感じた。
「一緒にどう? ここ、タクシーを拾うの大変だし。私の車、すぐそこに停めてあるから」
義和は、私が何かとんでもないことを言ったかのように、衝撃を受けた顔で私を見た。
田中千佐登はといえば、戸惑った様子で私たち二人を見つめ、どうしていいかわからないようだった。
数分後、私たち三人は私の車に乗っていた。私は高橋義和を後部座席で田中千佐登と並んで座らせ、自分は運転席に座った。車内の空気は切り裂けそうなほど重く、エアコンの作動音だけが微かに響いていた。
バックミラー越しに義和の強張った表情と田中千佐登の不安げな視線が見え、私は自ら沈黙を破ることにした。
「田中さんは芸術学院に帰るのかしら?」
私はまるで天気を尋ねるかのように、平然とした口調で尋ねた。
「穂乃美、一体何がしたいんだ?」
高橋が突然、怒りを込めて問い詰めてきた。
私は彼を無視し、田中に続けた。
「何を専攻しているの?」
「し……視覚デザインです」
田中千佐登は明らかに居心地が悪そうに、小声で答えた。
「あらそうなの?」
私は驚いたふりをした。
「私も大学の頃、デザインが好きで、その専攻にしようか迷ったの。指導教授はどなた?」
「佐々木教授です」
彼女は答えた。
「佐々木実?」
私は尋ねた。
「知ってるわ。うちの出版社のデザイナーの指導教官よ。彼の学生の作品はいつも個性的よね」
それを聞いた途端、田中千佐登の顔色は明らかに変わり、視線を彷徨わせ、私を直視できなくなった。
車内は再び沈黙に包まれた。芸術学院の門の前に着くと、田中千佐登は待ちきれないとばかりにドアを開け、振り返りもせずにキャンパスへと駆け込んでいった。
車内には私と高橋義和だけが残された。彼は後部座席から助手席へと移り、その顔は恐ろしいほどに曇っていた。
「あなたが渋谷に借りてるマンションで、少し話しましょうか」
私は静かに言った。
「今日のこれはどういうつもりだ?」
彼は再び問い詰めた。その声は怒りと不安に満ちている。
私はすぐには答えず、運転に集中した。赤信号で止まった時、私は彼の方を向き、微かに笑った。
「別に理由なんてないわ。ただ、あなたに恥をかかせたかっただけ」
私は、声は柔らかくも、確固たる意志を込めて言った。
「さあ、離婚協議書の話をしましょうか!」
