第120章

翌朝。N市の霧がまだ街を薄く覆うころ、目立たない黒いセダンが狩野邸の門前に静かに停まった。

絵里奈は厚手のベージュのトレンチコートに身を包み、細すぎる身体の線を隠している。手には杖を強く握りしめ、踏み出すたび右脚の奥がずきりと疼いた。――あの事故の凄惨さを、忘れるなと告げるみたいに。

「ゆっくりでいい」

智哉はすでに車の脇に立っていた。彼女の姿を見つけると数歩で寄り、あまりにも自然に片手をドアフレームの上へ添える。頭をぶつけないように、という配慮。

その仕草が、優しすぎた。紳士的すぎた。

狩野邸の中にある、常に息を詰めさせられる緊張――いつ侮辱が飛んでくるかわからない、あの窒息感と...

ログインして続きを読む