第33章 誘惑するつもり

去っていく北野の母の背を見送りながら、伊原綾音はふうっと深く息を吐いた。気が緩んだ途端、頬にひりつくような痛みが走る。そっと手を当てると、ずきりと痛んだ。

あの人はそう簡単に振り切れそうにない。目の前のこの状況を、どう収めるか考えなければ。

綾音はそのまま踵を返し、車へ向かった。

少し離れた場所に立っていた澄川奏斗は、伊原綾音の後ろ姿をじっと見つめたまま、ぼんやりしていた。綾音が車に乗り込むと、執事がそばまで歩み寄る。

「坊ちゃま、お戻りいたしましょう」

一人は大きく、一人は小さく、並んで車へ向かう。

帰り道。信号待ちの車内で、澄川奏斗はノートを取り出し、さらさらと一文を書いた。...

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