第78章

彼女はすでに家を出ていた。けれど離婚届を提出したわけじゃない以上、最低限の体裁くらいは取り繕っておかないといけない。九条家に余計な口実を与えれば、面倒が増えるだけだ。

紗月は小さく息を吐き、制服を脱いで車を出した。向かう先は、江景公寓。

玄関のドアを押し開けた瞬間、リビングの空気が重くのしかかってきた。息が詰まるほどに。

九条百合子がソファの上座に背筋を伸ばして座っている。顔色は鉄のように冷たく、手にはすっかり冷めた茶。

その隣には、白衣を着た中年の女が立っていた。医療バッグを提げている。

「お母さま」

一ノ瀬紗月は中へ入り、淡々と挨拶した。

「まだ私を母と呼ぶ口があるのね」

...

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