第88章

九条湊は固まった。自分の耳を疑う。

関係がこじれて以来、一ノ瀬紗月は彼に対して、皮肉と冷笑ばかりだった。台所に立つどころか、まともな笑顔すら見せてくれなかったのに。

「い、いい!」九条湊は思いがけない厚遇に舞い上がり、勢いよく何度も頷く。瞳の奥は狂喜でいっぱいだ。「全部、紗月の言うとおりにする」

一時間後、ダイニングのテーブルにはごちそうがずらりと並んだ。

一ノ瀬紗月は、秘蔵のロマネ・コンティまで開けている。深い紅がクリスタルグラスの中でゆらりと揺れ、濃密な香りがふわりと立ちのぼった。

「湊。このところ、いろいろあったでしょ。私たち、少し冷静にならないと」紗月はグラスを持ち上げる。...

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