第2章 トラックで彼女を迎えに帰る
そう言った瞬間、林川真司の目つきがあまりに生々しくて、神崎結菜の肌にぶわっと鳥肌が立った。
瞳を冷やし、言い返そうとした、そのとき――玄関の扉が開いた。
養父の沢渡建一が入ってくる。ほのかな酒の匂い。リビングの妙な空気を見て眉をひそめ、結菜を睨んだ。
「まだ出て行ってないのか。今度は何を騒いでる」
「あなた、ちょうどいいところに!」
沢渡惠子がぱっと目を輝かせ、駆け寄る。
「詩織のネックレスがなくなったのよ! 絶対、神崎結菜が持っていったんだわ!」
沢渡詩織も目を赤くして寄ってくる。か弱くて、可哀想な娘を絵に描いたような顔で。
「お父さん……あのネックレス、お父さんとお母さんが初めて私にくれたプレゼントなの。普段も大事にしまってて……妹を責めたいわけじゃないけど……」
沢渡建一はしばらく黙り込んだあと、唐突に言った。
「いい。もうこの話は終わりだ」
そして結菜の前へ来ると、釘を刺すように続ける。
「お前も一応、俺のことを父親と呼んだことがある。ネックレスは持って行ったならそれでいい。ただし、戻ってから沢渡家に二度と縋りつくな」
問いただしもしない。最初から、結菜が犯人だと決めつけている。
正義面して立派なことを言いながら、やることはこれ。薄っぺらい偽善――笑わせる。
神崎結菜は淡い冷気を湛えた目で建一を一瞬だけ見つめ、ゆっくり唇を吊り上げた。
「じゃあ、賭けましょうか。もし私が持っていったなら、好きにすればいい。でも、違うなら――」
視線で四人をなぞり、声を平らに落とす。
「あなたたち四人が跪いて、私に頭を下げて謝る。どう?」
「正気!? あんた、頭おかしいんじゃないの!」
沢渡惠子が怒鳴りつける。詩織の目にも一瞬陰が走ったが、口を開くより先に林川真司が待ってましたとばかりに頷いた。
「いいね。賭けよう! さあ、脱げるよな?」
もう二度と会えないかもしれない。なら今のうちに目の保養でもしておくか――そう言わんばかりに、林川真司の目がぎらつく。身体の奥がじわりと熱くなるのが自分でも分かった。
だが予想に反して、神崎結菜は服に触れもしない。
数歩で詩織のそばのゴミ箱へ行き――
腰を屈め、そこから一筋の輝きをつまみ上げた。
きらめくルビーのネックレス。
「これが、あなたの大事で、大好きで、つけるのも惜しいネックレス?」
結菜はネックレスにくっついた果物の皮を軽く払うと、口元に嘲りの弧を描いた。
詩織が何をするかなんて最初から分かっていた。だから先に、ゴミ箱へ捨てておいた。
白から赤へ、怒りと羞恥で歪んでいく四人の顔。可笑しくて、喉の奥に笑いがせり上がる。
「どうするの? 賭けは賭け。ひとりずつ跪く? それとも四人まとめて?」
言い終えた瞬間、林川真司の顔は鉄青になり、慌てて視線を逸らした。
沢渡惠子は真っ赤な顔で硬直し、詩織は蒼白になって、嗚咽を漏らしはじめる。
「お父さん、お母さん、真司……私、なんでゴミ箱に……。絶対、あの子が私を陥れたの。信じて……」
「もういい」
沢渡建一が眉を寄せ、場を収めるように言う。
「ただの誤解だ。こんなことで騒ぐな。詩織、お前のうっかり癖は直せ。結菜も大げさにするな。家族だったんだ、頭を下げるだの何だの――」
「お父さんの言うとおり!」
詩織が即座に乗り、勝ち誇った目で結菜を見る。
「神崎結菜、私がうっかりしてただけ。もういいでしょ? これ以上、ねちねちしないでよ」
惠子もすぐに息を吹き返し、腰を据え直した。
「この家で外の人間はあんた一人なんだから疑われるのは当然よ! 沢渡家でただ飯ただ住まいだったくせに、少し言われたくらいで何よ!」
林川真司は口笛を吹いて、鼻で笑う。
「神崎結菜、調子に乗るなよ。俺が跪く? お前なんかに?」
三人とも建一の曖昧な仲裁に甘え、何事もなかったような顔をしている。
結菜は最初から分かっていた。冷笑し、頷く。
「……いいよ」
背負い直したバッグの紐を整え、玄関へ向かう。ドアの前でふと振り返り、四人を見据えた。
「覚えておいて。いつか必ず、あなたたちが心から跪く日が来る」
扉が閉まるや否や、沢渡惠子の罵声がまた飛んできた。
結菜は唇をほんの少し上げ、庭へ出た――その瞬間、門前の車に視線を奪われる。
古びた大型トラック。錆だらけの車体には無数の擦り傷。タイヤは泥だらけで、フロントガラスにはひびまで入っていた。
運転手は四十代ほどの男。洗い褪せたジャケット姿で、車の脇に立っている。
結菜を見つけるなり目を輝かせ、駆け寄ってきた。
「お嬢様、お迎えに上がりました! 私、周藤と申します。ご家族のほうから、お屋敷へお連れするようにと」
神崎結菜は目を瞬かせた。
田舎の貧乏な両親――そう聞かされていたのに、運転手まで雇っている?
それに、お嬢様?
「お嬢様はご家族の末のご令嬢でございます」
周藤がにこにこと補足し、結菜は小さく頷く。思わず怪物みたいなトラックを見上げた。
「……これは?」
「神崎徹様が手ずから改造されたものだそうで。お嬢様への“初対面の贈り物”だとか」
周藤は内心頭を抱える。
神崎徹は幼い頃から改造車に取り憑かれ、これまで潰した高級車の数は展示会が開けるほど。
最近は「終末廃墟風」にハマり、軍用級の高級素材まで手配して、一か月以上こもって作ったらしい。
性能は市販の高級車の大半を置き去りにし、安全性は戦車級。鋼板からシートのネジ一本まで、値札を見たら目が飛び出る。
欠点はただ一つ。外見がボロすぎて、泣けるほど不格好なこと。
結菜様みたいな綺麗なお嬢さんが、こんな車に乗ってくださるだろうか――。
周藤は頭をかき、申し訳なさそうに言った。
「もしお気に召さなければ、すぐに車隊を呼んで、お選びいただきます!」
車隊。
どうやら沢渡家の思い込みは、盛大に外れていたらしい。
「いいえ。この車、嫌いじゃない。行きましょう」
神崎結菜は淡々と言い、背伸びして高いドアノブに手を伸ばす。
周藤が慌てて駆け寄り、ドアを開けた。その瞬間、ようやく気づく。
結菜が背負っているのは、たった一つの帆布のバッグだけ。
「お荷物は沢渡家に? 私が取って参ります」
「これだけ。ほかはない」
その答えに周藤は一瞬固まり、すぐに言い直した。
「ではお先にお乗りください。ご両親がお持たせくださった贈り物を沢渡家へお届けし、すぐ戻ります」
結菜が頷き、手足を使う勢いで助手席へよじ登ろうとした、そのとき――
背後から、詩織の耳障りな笑い声が飛んできた。
「うわ、神崎結菜! こんな車で帰るの?」
