第5章 老人の正体はまさか?

不破蓮がエレベーターに乗り込むと、助理がすぐ背後に続いた。

病院を出てしばらくしてから、齐藤泰がようやく口を開く。

「ボス、総一郎様は見つかりました。この先、どう動きます?」

齐藤泰の問いに、不破蓮は煙草を一本くわえて火をつけた。深く吸い込み、ふっと煙を吐く。

「どうもこうもない。ひとまず、好きにさせとけ」

齐藤泰の表情が渋くなる。さらに探るように続けた。

「まさか……本当に総一郎様の言うとおり結婚するんですか? 相手の見合い相手、顔も知らないのに」

不破蓮は苛立ちを隠さず、煙草を地面へ放り捨て、靴底でぐり、と揉み消した。

「耄碌してんだよ、あの人は。結婚? あるわけないだろ。人を付けろ。裏で見張れ。二度と勝手に消えさせるな」

「了解です」

齐藤泰は頷いたものの、なお不安げに言う。

「でも……総一郎様を怒らせたら、また家出されます。いったん機嫌を取って、不破家に連れ戻したほうが……」

半年前――不破総一郎は、不破蓮が結婚を拒んだことに腹を立て、家族に何も告げず姿を消した。

不破蓮の手の者が、探し出すのにかかったのは半年以上。ようやく見つかったときには、総一郎は北凌総合病院に入院していた。

発見したのは、総一郎が退屈しのぎにふらりと外へ出たところだった。だが見つかっても、子どものように意地を張り、どうしても帰ろうとしない。

不破蓮には、どうすることもできない。放っておくしかないが、時間ができれば顔だけは出す――そんな状態が続いていた。

総一郎のあの我がままを思い出し、不破蓮はこめかみを押さえて強く揉んだ。

「下手に合わせたら、あの人は『完璧無欠の命の恩人』と結婚しろって言い出す。発想が飛びすぎてるんだよ。次に何を思いつくか分かったもんじゃない」

吐き捨てるような口ぶりに、疲れと無力感が滲む。

その“命の恩人”というのは――総一郎が家を出ていた間、発作を起こした彼を病院へ運び、半年ものあいだ世話をしてくれた人物だ。

総一郎の話では、顔立ちは美しく、性格は穏やかで心が綺麗。彼がその女性を語るたび、どこか誇らしげに頷くのを、不破蓮は覚えている。

不破蓮としては、会えたら相応の謝礼を渡し、本人の口から総一郎に断ってもらうつもりだった。

だが――何日待っても、影すら見ない。

謝礼どころの話ではない。

総一郎があまりにも断言するからこそ黙っているが、正直、結婚を迫るための作り話ではないかと疑いたくなるほどだった。

一方その頃、特別VIP病棟。

不破蓮を追い返したばかりの不破総一郎は、病室でぶつぶつと怒りをこぼしていた。

「臭いガキめ。せっかくの良縁を蹴りやがって……そのうち一生独り身で誰にも相手にされんぞ」

「いい歳して結婚もしない。不孝者め……考えるだけで夜も眠れんわ」

その愚痴の途中、コンコン、とノックの音がした。

不破総一郎は、不破蓮が戻ってきたのだと思い、わざと返事をしない。

室内が静かなままなので、扉がほんの少しだけ開き――細い隙間から覗くように顔が差し込まれた。

神崎結菜だった。

不破総一郎の背中は怒りでこわばり、今にもぷりぷりと湯気を立てそうな気配。

「お爺さん」

神崎結菜は小さく呼びかけ、静かにベッド脇まで歩いた。

聞き慣れた声に、不破総一郎がはっと振り向く。神崎結菜だと分かると、顔がぱっと明るくなった。

「おお、結菜! 会いたかったぞ! ほら、早く座れ。顔を見せてみろ」

神崎結菜はベッド脇の椅子に腰を下ろし、さっきまでの苛立った様子を思い出して尋ねた。

「今日はどうしたの? 誰かに怒らされた?」

不破総一郎は鼻を鳴らし、頬をふくらませる。

「混小子のせいだ。あのどうしようもないガキめ」

神崎結菜はくすっと笑い、宥めるように声を柔らかくする。

「もう、お爺さん。子ども相手にムキにならないの。臭いガキのことで怒らないで」

不破総一郎は年寄りだが、気持ちは妙に若い。病院でも暇さえあればゲームに熱中している。

神崎結菜は深く考えず、どうせゲームで子どもに負かされたのだろう、と受け取った。そんなことは以前にもあった。

しばらく宥めているうちに、不破総一郎の機嫌は少しずつ戻っていく。

神崎結菜は医師を呼び、定期検査を頼んだ。数値に大きな異常はなく、ひとまず安心できる結果だった。

医師が去り、病室に二人きりになると、神崎結菜は表情を改める。そっと不破総一郎の手を握り、言った。

「お爺さん。これからはもっと身体を大事にして。私……前みたいに頻繁には来られなくなる」

不破総一郎が目を丸くする。

「結菜……どうした。どこへ行くつもりだ?」

神崎結菜は深く息を吸う。不破総一郎の寂しそうな目を正面から見返せず、視線を少し落として答えた。

「実の両親が見つかったの。これから一緒に暮らす。だから……お爺さんと会える機会、少なくなると思う」

親がどんな人なのかも、行き先が苍海市からどれほど遠いのかも、彼女にはまだ分からない。

不破総一郎は小さくため息をつき、それでも優しく言った。

「向こうへ行ったら、必ず知らせろ。会えなくてもいい。連絡は絶対に切るな」

そう言うと、不破総一郎は服の内ポケットからカードを取り出し、神崎結菜の手へ押し込む。

「これは爺の気持ちだ。持っていけ。新しい家の住所も教えろ。退院したら会いに行く」

神崎結菜は反射的に首を振った。

「お爺さんのお金なんて、受け取れない」

だが不破総一郎は譲らない。眉を寄せ、強い口調で言い切る。

「気持ちだ。受け取れ。でなければ怒る。もし親が、お前を大事にしないようなことがあったら……そのときは忘れず、爺のところへ来い」

さらに紙を取り出し、番号を書いて手渡す。

神崎結菜の胸がきゅっと痛んだ。

不破総一郎が決して裕福ではないことを、彼女は知っている。このカードに入っているのは、彼の残りの人生を支える金かもしれない。

それでも拒めば、彼を傷つける。

神崎結菜はカードを握りしめ、静かに頷いた。

「ありがとう。新しい家に着いたらすぐ連絡する。お爺さんも、しばらくは自分を大事にして」

別れの時間が近づく。

神崎結菜は鞄の中を探り、あらかじめ用意していた現金とカードをそっと取り出すと、不破総一郎の枕の下へ滑り込ませた。

そして立ち上がり、微笑む。

「お爺さん、もう遅いから。時間ができたら、また来る」

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