第3章

 血が、裂けた指先からつうっと流れ落ち、セント・マーシー・メディカルセンターの床に落ちた。

 人々が息を呑み、悲鳴混じりに飛び退く。私は自分の腕を見下ろした。皮膚がめくれ上がり、裂けた傷口の奥で血管がどくどくと脈打っているのが見えた。

「救急に! 彼女を救急へ!」と看護師が叫び、車椅子を私に押し当て、無理やり座らせた。

 刺すように眩しい手術灯の下にいたのは、当直の研修医が一人だけ。持針器を握る手が震えている。

「指導医はどこ!?」看護師が噛みつくように言った。

「全員、アラリク様に最上階へ呼ばれて……」研修医がごくりと唾を飲む。

「……伴侶の方が急変したそうで……」

 もし以前に誰かが別の女を「領主の伴侶」などと呼んだなら、私は指にはめた血の契りの指輪を見せつけ、その場で侮辱だと訂正させただろう。

 けれど今、頭に浮かぶのはただひとつ――彼らの言う通りだ、ということだった。

 アラリクが最も胸の奥に置いているのは、エレナ。

 私は研修医の言葉を遮った。

「いい。縫って」

 彼がリドカインに手を伸ばす。

「局所麻酔を――」

「いらない。私は、生まれつき痛みがないの」

 そう言っても、彼はどうしても手を動かせなかった。傷があまりにも凄惨すぎたのだ。

 そのとき、救急の扉が蹴り開けられた。

 アラリクが、指導医を伴って大股で入ってくる。

「彼にやらせろ」

「この子に」私は研修医を指さした。

「あなたの医者はいらない」

 アラリクの顔が硬くなる。言い返そうとした、その瞬間――エレナから電話が入った。

 氷みたいに冷たい声が、一気に焦りへひっくり返る。

「エレナ? どうした? 皮膚が火みたいに熱い? ウルフズベインの残滓が反応してるのか?」

 私は小さく、嘲るように息を吐いた。

「今すぐ上に行く」アラリクは通話を切り、私を見据えた。

「戻るまでここで待て」

 誰よりも分かっていた――彼は戻ってこない。エレナのためなら、彼は何度でも私を捨てられる。

「縫って」私は血で汚れた腕を研修医に差し出した。

 二十分後、私は救急を出た。

 エレベーターのボタンを押そうとしたそのとき、半開きのVIPルームの扉の向こうから、アラリクの声が漂ってきた。

「全部、俺のせいだ。お前をまた妊娠させてしまった!」

 足が床に縫い付けられたように動かない。血が一気に頭へ上った。

「でもアラリク、これは私たちの赤ちゃんよ……」エレナの声は甘く、涙に濡れている。

「また手放したくないの」

 短い沈黙。やがてアラリクが折れた。

「分かった。来週、プライベート機を手配してお前を島に送る。産むまでそこで過ごせ。子どもが生まれたら、孤児を養子にしたって名目で連れ戻す。アリアの性格なら、うちの子を自分の子みたいに可愛がるだろう。そうすればお前の評判は汚れないし、子どもにも正当な居場所ができる」

 私は下唇を強く噛み、血の味を舌に感じた。

 それでもエレナは不安げだ。

「私が島にいる間に、アリアが妊娠したらどうするの?」

「それはない」アラリクの声が平坦になる。

「忘れたのか? 三年前、あいつが妊娠したとき、俺はあいつに『希少な寄生虫に感染した』って言って、胎児を切り出させた。ついでに、永久不妊の誓約を刻んだんだ――サンファイア・シールでな」

 全身が震え出した。肉体の痛みは感じない。それでもその瞬間、もっと酷いものが胸を貫いた――息をしているのに、内臓を削り取られるような感覚。

 三年前、彼は私に致死性の寄生虫がいると言った。私は迷いもなく手術台に上がった。真夜中に摘出され、「汚染物」として処分されたあの血まみれの塊は、寄生虫なんかじゃなかった。

 私の子どもだった。

 私の絶対的な信頼が、彼が私の血肉を殺すために使った刃だった。彼は私から赤子をえぐり出し、未来を断ち、今度は愛人の子を私に育てさせようとしている?

 冗談じゃない。

 少なくとも、私が消えるまであと二日しかないのだから。

 その夜、ペントハウスで。

 アラリクは帰ってこなかった。

 スマホはエレナの嘲りで何度も光った。

 私は見ることすらしない。荷造りをしていた。

 出ていく前に、壁に掛けられた私たち唯一の結婚写真を外そうと、つま先立ちになった。

 額縁は不自然なほど重い。手が滑り、裏板がぱこんと外れた。

 私たちの写真の裏から、もう一枚の結婚写真が滑り落ちる。

 同じポーズ。同じ構図。だが、ドレスの女はエレナだった。はにかむように微笑み、アラリクが彼女を見る目には、私には一度も向けられたことのない献身が宿っていた。

 裏返す。背面には一行だけ、書かれていた。

【陽光の下に隠しておく。だがこの瞬間、魂に刻まれた唯一の伴侶は君だ。】

 日付は、アラリクと私が血の契りを結んだその日と、ぴたり一致していた。

 私は怒りに笑い、そして結局泣いた。

 あの日、彼が三時間も遅れた理由が分かった。見知らぬ香水の匂いをまとっていた理由も。

 アラリクがいつも結婚写真を見つめ、どこか遠くに迷い込んだ顔をしていた理由も。

 彼は私を見ていなかった。私越しに――闇に隠していたエレナを見ていたのだ。

 私は机に向かい、用意しておいた関係解消の書類を引き出しから取り出し、指先を切って、自分の血印を強く押しつけた。

 それから伴侶の指輪を指から抜き、書類の上に置いた。

 最後に、エレナの結婚写真を重い額縁に戻し、書斎の壁のど真ん中に掛け直した。

「正しい女を、掛けておいたわ」

「二度と会いませんように」

 四日後。

 アラリクが帰宅した。

 島ではエレナが癇癪を起こし、彼を気が狂いそうになるほど追い詰めていた。なのにどういうわけか、彼の意志に反して頭はアリアへ戻ってしまう――いつも静かで、いつも従順なアリアへ。

 そして彼は目にする。闇に埋めておくべき結婚写真が、堂々と壁に飾られていることを。

 アラリクの瞳孔が激しく収縮した。

「な……なんでこの写真が、ここに掛かってる!?」

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