第4章 注目の奪い合い
エヴァは玄関口に立ったまま、セバスチャンを見つめていた。
男は入口に立ち、そこにいる全員へ視線を走らせる。まるで道端の標識でも眺めるみたいに、どうでもよさそうに。
挨拶もない。笑みもない。頷きさえない。
そのままリビング中央のソファへ歩いていき、どさりと腰を下ろす。長い脚を気だるげに組んだ。
屋敷が、三秒ほど静まり返る。
最初に動いたのはアイヴィーだった。
コールの腕を離し、スカートの裾を整え、さっき注いだばかりのレモネードを手に歩いていく。優雅な立ち振る舞い。柔らかな足取り。どの瞬間も、カメラがいちばん綺麗に拾う角度を踏み抜いている。さすが、プロだ。
「こんにちは、セバスチャン」
声は軽やかで、ほどよく恥じらいを滲ませて。
「長くお車に乗られて、お疲れでしょう? ここのレモネード、とても美味しいんです。どうぞ」
セバスチャンはまぶたを持ち上げ、彼女を見た。
たった一度だけ。
それから、テーブルの上に置かれていた自分のミネラルウォーターを手に取り、蓋を開けて一口飲む。
アイヴィーの手が宙で止まる。グラスの中で氷が、ちり、と小さく触れ合った。
静かすぎる光景だった。
静かすぎて、エヴァにはアイヴィーの自尊心がひび割れる音まで聞こえそうだった。
「甘いものはあまり召し上がらないのかも」
隣でアメリアが小声で呟く。アイヴィーのために逃げ道を作ってやるように。
けれどアイヴィーに、他人の作った逃げ道なんて必要ない。
彼女は微笑み、グラスをテーブルに置くと、何でもない顔でセバスチャンの隣へ腰を下ろした。
「でしたら、喉が渇いたときにどうぞ」
演技はたしかに上手い。普通の人間なら、とっくにその場を離れている。なのにアイヴィーの顔には気まずさひとつない。拒まれても気にしない、寛大で余裕のある女を完璧に演じてみせる。
だが――セバスチャンは、それきり彼女を一度も見なかった。
コールがたまらず動く。
アイヴィーの横に立ち、上からセバスチャンを見下ろした。
「受け取らないのは勝手だ。でも、せめて礼くらい言えよ」
ようやくセバスチャンが反応する。ゆっくり顔を上げ、コールを見る。口元がわずかに動いた。
「君は――」
ひと呼吸。記憶の中から、どうでもいいファイルでも探すみたいな間。
「ウィットロック家の三男だったか」
コールの顎が硬くなる。
「そうだ」
「なるほど」
セバスチャンはソファにもたれた。
「覚えてる。去年、君の父親のチャリティディナーで飲みすぎて、トイレで二十分吐いてた。スタッフが兄を呼んで、引きずっていったな」
コールの耳まで一気に真っ赤に染まる。
「それで?」
セバスチャンの声音は平坦だった。天気予報でも読み上げるように。
「君が私に社交マナーを説くつもりか」
ティファニーが口元を押さえて吹き出す。アメリアは気まずそうに視線を逸らした。アイヴィーの睫毛がかすかに震え、その奥で動揺が走る。
コールは拳を握りしめた。だが何も言えない。この男に口で勝てないことは、自分でもわかっている。
そこへ、ようやく司会者が現れた。
派手な花柄シャツを着た中年男、マーカス。毒舌で有名な男だ。ぱん、と手を叩いて全員に着席を促す。
「ようこそ、『The Estate』へ。これから二十一日間、秘書も、クレジットカードも、マネジャーもなし。君たちにあるのは、お互いだけだ」
ぐるりと一同を見回し、作り物っぽい笑みを浮かべる。
「ルールは簡単。男五人、女五人。自由にペアを組んでもらう。ペア成立の二人は同じ寝室を共有、行動も生活も基本一緒。ペアを作れなかった者は地下室行きだ」
ざわっ、と空気が揺れた。
「一緒の部屋?」
ティファニーが目を丸くする。
「二十一日間も?」
コールは信じられないものを見るようにカメラを振り返った。
マーカスはにやりと笑う。
「これはリアリティショーであって、サマーキャンプじゃない。視聴者が見たいのは礼儀正しい握手じゃなく、本物の化学反応だ。じゃあ、先に女性陣から選んでもらおう。アイヴィー、今日いちばん注目度が高いのは君だ。最初にどうぞ」
アイヴィーが立ち上がる。すべてのカメラが彼女に向いた。
セバスチャンを見つめ、優しく微笑む。
「セバスチャン、私と組んでいただけますか?」
場が静まる。
セバスチャンはソファに座ったまま、顔も上げない。
「嫌だ」
一言。
迷いも、説明も、慰めもない。
アイヴィーの笑みが、そのまま凍りついた。カメラは彼女の表情の変化を容赦なく捉える。最初は信じられないという色。次に必死で繕う平静。そして最後に、スカートの裾を握りしめた指先が露わにした屈辱。
十八年間、姫様として育った彼女は、人前で拒絶されたことがない。
マーカスが咳払いし、無理やり場をつなぐ。
「えーと、じゃあアイヴィーはあとで選び直してもらうとして。次。ティファニー?」
ティファニーは手を振ってパスした。さっきのアイヴィーの惨状を見て、二人目の晒し者になる気はないらしい。抜け目ない。
「アメリア?」
アメリアは、もう一人の男性参加者である投資家のダニエルを選び、すんなり成立した。
「エヴァ?」
マーカスがエヴァの名前を呼んだ、そのとき。
ティファニーが唐突に口を挟む。
「ちょっと待ってよ」
首を傾げ、面白がるように笑う。
「エヴァってリアムと付き合ってるんでしょ? だったら普通、そのままペアじゃないの? それとも――」
わざと語尾を引き延ばし、エヴァとリアムのあいだで視線を滑らせる。
来た。
リアムが勢いよく立ち上がった。エヴァを見る唇が乾いている。
「エヴァ、俺は……」
「私とリアムはもう別れたわ」
エヴァの声は大きくない。けれど、どのカメラにもはっきり届くには十分だった。
場内が沈黙する。
「え……?」
アイヴィーの表情が一瞬だけ崩れる。
リアムの顔は灰色に近い。
「エヴァ、そんな……。俺にはまだ、説明する機会だって」
「何を説明する必要があるの?」
エヴァは彼を見た。まるで今日の天気でも話すような声音で。
「終わった関係に説明なんていらない。しかもリアム、ここで言ってあげたことに感謝してほしいくらいよ。外で言うよりはマシでしょう? 少なくとも、ここにはカメラがあるもの。どれだけ苦しそうか演じるには好都合じゃない」
リアムの喉仏が上下した。口を開き、閉じ、結局何も言えなくなる。
ティファニーの挑発は不発だった。エヴァが恥をかくどころか、みっともないのはリアムのほうだ。
「よし」
マーカスが手を叩く。わざとらしく空気を切り替えながら。
「じゃあエヴァ、君は誰を選ぶ?」
エヴァが口を開くより先に、低い声がソファのほうから飛んだ。
「彼女に選ばせる必要はない」
