第5章 ベッド一つ
全員が、いっせいに振り向いた。
セバスチャンが立ち上がる。ゆっくりとエヴァのほうへ歩き、彼女の目の前で足を止めた。
テレビで見るより背が高い。視線がエヴァの顔に落ちた瞬間、精密機器で全身をスキャンされるような感覚が走る。
眺めるのではない。値踏みだ。
「俺と組め」
問いでも誘いでもない。断定。
背後でアイヴィーが息を呑む音がした。リアムの焼けつくような視線が、背中に突き刺さる。コールが信じられないという顔で目を見開いているのもわかった。
いい気味。
エヴァは顔を上げ、セバスチャンの暗い瞳をまっすぐ見返す。口元がわずかに持ち上がった。
「いいわ」
マーカスが横でぼそりと呟く。
「これだよ、リアリティ番組ってやつは」
カメラが狂ったみたいに二人へ殺到する。視界の端で、アイヴィーの顔が、あの忌々しい白いドレスみたいに真っ白になっていた。
その夜、エヴァとセバスチャンに割り当てられたのは、邸宅2階でいちばん広い部屋だった。
ベッドはひとつ。
馬鹿みたいにでかいダブルベッドが、ひとつだけ。
リビングの中央で、さっき全カメラの前でセバスチャンに拒絶されたばかりのアイヴィーは、必死で保っていた余裕の仮面を少しずつ剥がされつつあった。
なのに、立て直しが早い。早すぎて、エヴァでさえ感心しそうになる。
「じゃあ、私はリアムを選ぶわ」
声はまた柔らかく整えられ、気にしていないふうの軽やかさまで乗せていた。リアムへ向き直り、小さく首を傾げる。
「リアム、私と組んでくれる? 私たち、昔から知ってるもの。きっと相性もいいと思うの」
リアムはその場に立ち尽くしたまま、アイヴィーを通り越してエヴァを見ていた。
エヴァは見ない。
「……わかった」
リアムの声は掠れていた。
マーカスが口笛を吹く。
「いいねえ。ハリウッド期待の若手スターと国民的ヒロインの組み合わせか。視聴者は好きそうだ」
アイヴィーはリアムの腕に絡みつき、エヴァへひと目だけ笑みを向ける。
その目は見慣れている。
――見た? あなたがいらないものなんて、私はいつでも簡単に拾えるのよ。
残念だったわね。
それ、私が捨てたゴミだから。
残りのペア決めはすぐ終わった。
ティファニーはコールを選んだ。どちらも乗り気には見えなかったが、残り物同士で他に選択肢がない。
最後はジュリアンとナディア。
ペア決定後、マーカスがぱんと手を叩く。
「ここから先は、世話係も執事もなし。料理、掃除、洗濯、何もかも自分たちでやってもらう。最初のミッションは大掃除。各ペアに持ち場を割り振るから、2時間で終わらせろ」
ポケットから折りたたんだ紙を何枚か取り出す。
「くじ引きで場所を決める」
アイヴィーが引いたのはリビング。エヴァが引いたのは地下室とガレージだった。
アメリアが眉をひそめ、小声で囁く。
「地下室の範囲、リビングの3倍はあるわ。それにずっと汚れてるの。前の撮影で大道具が山ほど積んであったし……」
エヴァはアイヴィーを見た。
彼女は手袋を整えながら、ほとんど見えないほど小さな笑みを口元へ隠していた。
くじ引き、ね。
本当に公平なら笑えるわ。
「行くぞ」
セバスチャンが立ち上がり、地下室のほうを見た。
「あなたは来なくていい」
エヴァが言う。
「私ひとりで片づけられる」
答えはない。
彼はそのまま階段へ向かった。
エヴァもついていく。
地下室はアメリアの言葉以上にひどかった。埃は指で文字が書けるほど積もり、隅には廃棄された照明スタンドや、錆びついた金属フレームが積まれている。空気は湿っていて、黴臭い。
金属フレーム。
錆。
腹部に鋭い幻痛が走った。あの廃工場の光景が一瞬、脳裏を掠める。
エヴァは深く息を吸い、それを押し込めた。
あれは終わったこと。いや、まだ起きていないことだ。
起こさせない。
彼女はほうきを掴み、黙々と作業を始める。文句はない。甘えもない。
外で生きた18年が、彼女にいろいろ教えた。たとえば30平米の安アパートでも隅々まで光るほど掃除する方法。限られた時間で最大の仕事を片づけるやり方。
セバスチャンは何も言わなかった。
ジャケットを脱ぎ、シャツの袖をまくり、重い照明スタンドを運び始める。
動きには無駄がない。このケーニグセグで乗りつけた億万長者は、肉体労働ですら制作チームのスタッフより手際がいい。
1時間後。
地下室は見違えるように片づいていた。
2人が上へ戻ると、ちょうどアイヴィーがリビングから出てくるところだった。白いTシャツに、目立たない程度の埃が少しだけついている。カメラの前では、ちょうどよく頑張って見える汚れだ。
その後ろからリアムが出てくる。モップを手にしていたが、エヴァを見るなりそれを置いて追いかけてきた。
「エヴァ、話せないか。5分でいい」
「無理」
「頼む。5分もくれないのか?」
「リアム」
エヴァは足を止め、振り返った。
「カメラの前でそんなふうに頼むのは、視聴者に自分を一途な男だと思わせたいから? それとも私にそう思わせたいの?」
リアムは言葉を失う。
「どっちにしても無駄よ」
エヴァは歩き去った。リアムはその場に杭を打たれたみたいに立ち尽くしていた。
午後3時。
厄介なことが起きた。
エヴァがキッチンから水を持って出てきて、廊下の角を曲がったとき。
どん、という音の直後、アイヴィーの悲鳴が響いた。
駆け寄ると、アイヴィーが床に倒れている。そばには水たまり。倒れたモップがちょうどその横に転がっていた。彼女は足首を押さえ、もう涙を浮かべている。
最初に飛んできたのはコールだった。
「アイヴィー! どうした?!」
「わ、私……滑っちゃって……」
アイヴィーは涙を浮かべた目で顔を上げ、エヴァを見た。
「床に水があって……誰がこぼしたのかわからなくて……」
名指しはしない。彼女は決して直接は言わない。
ただ方向だけ示せば、あとは誰かが勝手に罪人へ仕立ててくれる。
案の定。
コールが立ち上がり、エヴァを睨んだ。
「エヴァ、おまえがやったのか?」
「見たの?」
「おまえ、そっちから来ただろ!」
「キッチンから来たの。キッチンへ行く人間は、全員この廊下を通るわ」
コールは口を引き結ぶ。エヴァの言い分が正しいことはわかっている。だが彼の本能は、アイヴィーの側に立つようできていた。
18年積み上げた習慣は、理屈より強い。
「アイヴィーが嘘をつくわけないだろ!」
声が強まる。
「そうね」
エヴァは冷ややかに言った。
「18年間、一度もあんたたちの前で嘘なんてつかなかったものね」
