第7章 お涙頂戴は通用しない。お前が作ったのは豚の餌か?

全員の視線がエヴァへ集まった。

エヴァは一歩、前へ出る。ジュリアンを見上げ、涼やかな笑みを浮かべた。

「ジュリアン。アイヴィーの足って、そんなに大切に扱わなきゃいけないものなの? さっき捻ったばかりなのに、歩かせて戻らせるつもり」

ジュリアンが警戒するように目を細める。

「……何が言いたい」

「言いたいのはね」

エヴァの笑みはいっそう柔らかくなる。

「いちばん大事にしてる“お兄さん”なんだから、ここは別荘まで走って戻って、いちばん履き心地のいい靴を選んで――持ってきて――自分の手で履かせてあげるべきじゃない?」

わざと、「自分の手で」を噛んで聞かせる。

ジュリアンが固まった。

アイヴィーもきょとんとしている。エヴァが突然、自分を庇うような口を利くなど想像していなかったのだろう。

「それ、いい!」

ティファニーが即座に便乗した。

「ジュリアンお兄様ってアイヴィーのこと大好きなんでしょ? 絶対やってくれるよね。映像にも映えるし、感動的じゃない」

カメラマンは空気が読める。すぐさまレンズがジュリアンの顔へ寄った。

エヴァはジュリアンを見つめる。

拒めば、“溺愛する兄”の看板が揺らぐ。受ければ――なお面白い。

ジュリアンは奥歯を噛み、エヴァをひと睨みした。

「……そこから動くな」

アイヴィーにそう言い捨て、別荘へ向かって駆け出していく。

——10分後。

ジュリアンは柔らかなソールのサンダルを抱えて戻ってきた。

砂浜に片膝をつき、片手でアイヴィーの足首を支えながら、もう片方の手で砂まみれのピンヒールを慎重に脱がせる。次いで、サンダルを丁寧に履かせた。

アイヴィーは俯き、頬をうっすら染めて小さく言う。

「……ありがとう、お兄さん」

周囲からは感嘆の声が漏れた。仲のいい兄妹、微笑ましい光景――そう映る。

エヴァは少し離れた場所で、その一部始終を黙って眺めていた。

いいわね。

好きなだけ“兄妹愛”を見せつければいい。カメラが鮮明に切り取れば切り取るほど、距離が近く映れば映るほど——あとで血が繋がっていないと暴かれたとき、視聴者の反応はもっと派手になる。

その反動が跳ね返る日を、エヴァは楽しみに待つだけだ。

ビーチ企画が終わる頃には、太陽が西へ傾いていた。

オープンエアキッチンの作業台には、すでに不穏な空気が立ちこめている。

10人のゲストは5組に分かれ、それぞれコンロをひとつずつ使っていた。

コールとティファニーは、土のついた野菜の山を前に呆然としている。ティファニーは嫌そうに指先でレタスをつまみ上げ、泥だらけの葉をぶら下げたままカメラへ文句を投げた。

「これ、どうやって洗うの? 泥が葉っぱの中まで入り込んでるんだけど! 無理!」

一方、アイヴィーとリアムのコンロは完全な散々な状態だった。

リアムはハリウッドの制作現場育ちで、電子レンジでサンドイッチを温めるだけでもパンを焦がすタイプ。アイヴィーに至っては、ウィットロック家で18年間、コップ一杯の水すら誰かが運んでくれる暮らしだった。

「リアム……火、強すぎない?」

アイヴィーはフライ返しを持っているくせに、フライパンから1メートルは距離を取っている。

フライパンの油はすでに黒い煙をもくもく上げていた。

リアムが慌てて火加減を調整しようとして、緊張で逆方向に捻る。

ぼっ——!

火が跳ね上がった。

「きゃあっ!」

甲高い悲鳴と同時に、アイヴィーはフライ返しを放り投げ、リアムの背中に隠れる。

リアムは近くの蓋を掴み、震える手でフライパンに被せようとするが、狙いが定まらない。何度か外して、熱い油がぱちぱちと跳ね、手の甲にかかる。

ようやく火を抑えた頃には、鼻を刺すような焦げ臭さが一帯に広がっていた。

オープンエアキッチンは、もはや地獄絵図。

——ただし。

エヴァとセバスチャンの場所だけを除いて。

包丁がまな板を滑る。すっ、と軽い音。

エヴァは下処理した魚に均等な切れ目を入れ、塩と黒胡椒を振る。指先で軽くなじませ、味を染み込ませた。

「ジュワッ——」

熱したフライパンに魚を落とすと、心地よい焼き音が弾ける。火加減は完璧で、皮目はあっという間に黄色へ。

エヴァがちらりと右を見る。

そこにいるセバスチャンは、ナイフを握り、動きが恐ろしく速い。大きな生肉を迷いなく切り分け、余計な筋を落とし、最も美しい霜降りだけを残す。

無駄はない。一刀ごとが正確だ。

切り分けたステーキ肉が、自然な流れでエヴァの手元へ押しやられる。

彼女は何も言わずトングでそれを取り、別のフライパンへ。溶けたバターにローズマリー、にんにくの香りが立つ。

会話は一切ない。

相談も、指示も、確認もない。

彼が切る。彼女が焼く。彼女が調味料を取る。彼が皿を寄こす。

まるで何百回も合わせてきたペアダンスみたいに、淀みなく流れていく。

15分後。

5組の料理が、長いテーブルへ並べられた。

マーカス監督が椅子を引き寄せ、どっかり腰を下ろす。手にはナイフとフォーク。

「今日の審査員は俺だ」

皿の縁をこん、と叩く。

「今夜おまえらが食うのはご馳走か、それとも毒物か。見せてもらおうじゃないか」

最初に向かったのはティファニー組。

皿には茹で野菜の山。塩はムラだらけで、葉のあちこちに泥が残っている。

マーカスは露骨に嫌な顔をし、皿を押しやった。

「原始人の食生活でも体験させる気か? 0点」

ティファニーは白目を剥いたが、さすがに言い返せない。

次に、アイヴィーとリアムの皿の前で止まる。

そこにあるのは、真っ黒な塊。元の食材が何だったかすらわからない。焦げと苦みの臭いだけが強烈に主張している。

アイヴィーはすぐ前へ出た。俯いた睫毛に、涙が滲む。

「ごめんなさい、マーカス。私、本当に頑張ったんです……キッチンに立ったことなんてなくて。みんなのために作ろうとしたら、手まで油で赤くなっちゃって……」

右手を差し出す。手の甲に、たしかに小さな赤みがある。

リアムが即座に彼女を庇うように腕を回した。

「マーカス、アイヴィーは本当に頑張ったんだ。火加減が難しすぎた。彼女のせいじゃない」

マーカスは椅子の背にもたれ、2人を眺めた。

「頑張った?」

口元に浮かんだのは冷笑だった。

「おまえら、努力って言葉の意味を勘違いしてないか」

アイヴィーが凍りつく。

「これはサバイバル系リアリティ番組だ。ハリウッドのオーディション会場じゃない」

マーカスは黒焦げの塊を指差す。

「まともな食材をゴミにしておいて、頑張りました、手も赤くなりました。だから何だ? 食材を無駄にするために払った努力を表彰でもしてほしいのか?」

その場の空気が、すとんと落ちた。

アイヴィーの顔から血の気が引いていく。唇が震え、言葉が出ない。

リアムが焦って声を荒げる。

「言い方を考えろよ! 彼女は女の子なんだぞ、そんなにきつく言う必要があるか!」

「心配なのか?」

マーカスは皿をぐい、と前へ押し出した。

「いいだろう。愛があるなら簡単だ。この炭の塊、全部食え。食い切ったら合格にしてやる」

前のチャプター
次のチャプター