第75章 誘拐

時間を巻き戻す。

前谷琴音の車がマンションのゲート前に滑り込んだ。停車した途端、琴音はシートベルトを外し、後部座席へ身をひねって片瀬奈菜を起こそうとする。

――その瞬間。

外から車のドアが乱暴に引き開けられた。

反応する暇もない。ざらついた大きな手が琴音の口を塞ぎ、鼻を刺す消毒液の臭いが染みついたタオルが顔面へ押しつけられる。息が詰まる。視界がぐにゃりと歪み――ぷつり、と暗転した。

琴音の身体が、糸の切れた人形みたいに座席へ崩れ落ちる。

「急げ」

もう一人の男が声を潜め、まだぼんやりしている奈菜を抱え上げようと手を伸ばした。

その手が触れるより早く、後部座席から小さな影が跳ね...

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