第3章

 里美は真樹にべったり張り付き、顔を覗き込んでは舌打ちしたり、大げさに世話を焼いたりしている。

 そして、矛先を私に向けた。

「まだ恥をさらせば気が済むの? 莉々ちゃんの容体は誰のせいでもないわ――息子に八つ当たりするのはおやめなさい! 書類にサインすれば、みんな前に進めるのよ。あの子はもう逝ったの。どうするつもり? 家に遺体を置いておく気?」

 彼女の口から出る言葉は、すべてがナイフだった。しかも彼女は、自分がその刃をねじ込んでいることに気づいてすらいない。

 昨日の夜、私を家に呼び戻したのは彼女だ。その一本の電話が、真樹と咲良に娘に危害を加えるための時間を与えたのだ。彼女は真実を知っていたのだろうか? それとも、ただ息子の「便利な手駒」にすぎなかったのか?

 どちらでもいい。

 私は真樹に歩み寄り、もう片方の頬を張った。

 これでおあいこだ。彼はただ呆然と立ち尽くしている。

 里美が悲鳴を上げて、彼の顔に手を伸ばす。私は自分の手を見下ろした――赤く腫れ上がり、じんじんと痛む。

「痛い? よかったわね。自分の子供が苦しんでいるのに、誰も気にかけてくれないっていうのは、そういう痛みよ。さあ、出て行け。これ以上何か言ったら、頭にこれを投げつけるわよ」

 私は窓枠にあった水筒を掴み取った。

 里美の唇が震えた。何か言いたげだったが、それを飲み込んだ。

 沈黙は十秒ほど続いただろうか。

 真樹が我に返った。彼は再び私の携帯電話を奪い取り、二人がかりで私の腕を掴んだ。まただ。引きずられる。また。

 私は叫んだ。また。

 今度は廊下に人が増えていた――給水カップを持った家族連れ、カートを押す看護師、エレベーターから降りてきた若い医師。全員が足を止め、こちらを凝視している。

 真樹はすぐに手を離し、演技モードに切り替えた。視線を落とし、声を震わせる。

「皆さん、申し訳ありません。娘が脳死状態になり、妻はその事実を受け入れられずに錯乱しているんです。臓器提供をしたいのですが、彼女は……今はまだ、気持ちの整理がつかないようで。妻のつらさもわかりますから」

 彼は拳を目元に押し当てた。この男は、意のままに涙を流せるのだ。

 人々がひそひそと話し始めた。

「あの奥さん、頭がおかしくなっちゃったのかしら……」

「医者がもう判断を下したんだろ? 何に抵抗してるんだ?」

「正直、旦那さんのほうがまともに見えるな」

 私は好奇の目に晒されながら立ち尽くしていた。まるで公衆の面前で丸裸にされたような気分だった。この廊下にいる誰もが、私を狂人だと思っている。

 その時、廊下の向こう側から柔らかな声が漂ってきた。

「真樹さん? 皆さんお待ちですよ」

 咲良だ。白衣に眼鏡、きっちりと結い上げた髪。彼女は真樹に歩み寄ると、その腫れ上がった顔を一瞬心配そうに見て、すぐさま表情を取り繕った。人前では、彼女は慎重だ。

 彼女は私の方を向き、医者としての声を装った――冷静で、同情的で、プロフェッショナルな声を。

「工藤さん、お気持ちは痛いほどわかります。ですが、莉々ちゃんの数値はすべて不可逆的な低下を示しています。このまま延命措置を続けることは、彼女の苦しみを長引かせるだけです。お辛いのはわかりますが、決断されることが、あの子のためでもあるんです。提供の準備はすべて整っていますし、これを待っているご家族も大勢いらっしゃいます。記者会見の手配も済んでいます。大きな決断だとは思いますが、しかし――」

「嘘つき」

 廊下に一瞬の静寂が落ちた。

「莉々は脳死なんかじゃない。あなたの診断はデタラメよ。私は何もサインしない。転院させるわ」

 咲良の表情は変わらなかったが、クリップボードを持つ指に力がこもった。

「工藤さん、根拠のない言いがかりはやめてください」彼女は傷ついたように溜息をついた。「私はもう十時間以上も働き詰めで、他にも患者さんが待っているんです。できることはすべてやったのに、詐欺師呼ばわりされるなんて……」

 囁き声は、あからさまな非難の声へと変わった。

「神崎先生はこの病院でもトップクラスの名医だぞ。間違いなんてあるわけない」

「この女の人、完全に錯乱してるわ」

「これじゃ医者へのいやがらせだ」

 すべての視線が針のように突き刺さる。だが、引くわけにはいかない。今だけは。

 真樹が一歩近づいてきた。「絵里奈、静かな場所で話し合おう。な? おいで」

 彼が手を伸ばしてくる。私は身をよじって後ずさった。

「触らないで!」

 咲良が近くに立っていた二人の職員と視線を合わせた。わずかに頷く。

 どこからともなく警備員が現れ、私の肩を掴んで壁に押し付けた。

 咲良は隣の看護師に冷ややかに告げた。「自傷他害の恐れがあります。鎮静剤の準備を」

 真樹も間髪入れずに同意する。「やってくれ。このままじゃ彼女自身が傷つく」

 看護師が注射器を持って歩み寄ってきた。針先が光を反射する。

 あの針が刺されば、私は意識を失う。そして目が覚めた時には、莉々の心臓はもうないだろう。前回と同じように。

 私は暴れた。叫んだ。誰も助けようとはしない。野次馬たちは首を横に振るか、目を逸らすだけだ。

 この廊下にいるすべての人にとって、私はただの「頭のおかしい女」にすぎないのだ。

 家族には連絡した。二時間かかると言われた。時計を見る――まだ半分も経っていない。

 間に合わない。誰も間に合わない。

 針が迫ってくる。近い。

 首筋に触れる感触すらありありと感じられる。冷たい。

 莉々、ごめんね――

 その時だった。

――チン。

 廊下の突き当たりで、エレベーターのドアが滑るように開いた。

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