第3章
部屋に戻っても、ソフィアはまだ私の腕の中でしゃくり上げていた。
私はそっと彼女をベッドに寝かせる。赤く腫れ上がった目が私を見つめ、震える声が問いかけてきた。
「ママ……どうしてパパとおばあちゃんは、あんなに私を嫌いなの?」
その問いは、鋭利な刃物のように私の心臓を突き刺した。私はベッドの縁に腰を下ろし、彼女を抱きしめることしかできない。返す言葉が見つからなかったからだ。
どう伝えればいいというのだろう。
彼女の父親は卑怯者で、祖母は最初から彼女を家族だなんて思っていなかった、などと。
「いい子だから、聞いて」
私は彼女の髪を優しく撫でた。
「おばあちゃんは……そうね、私たちのことが少し苦手なのかもしれない。でもね、遠くにいるお祖父様とお祖母様は、あなたのことをとても愛しているわ。ずっと会いたがっているのよ」
ソフィアが顔を上げ、その瞳に微かな光が宿る。
「本当に?」
「ええ、本当よ」
私は彼女の頬を濡らす涙を指で拭った。
「ソフィア。今すぐこの家を出て、お祖父様たちに会いに行きたい?」
彼女は唇をきゅっと噛み締め、長いこと迷っていた。
「でも……でも、もうすぐクリスマスだもん」
彼女は消え入りそうな声で言った。
「パパ、約束してくれたの。クリスマスは一緒に過ごすって」
今夜あんなに傷つけられたというのに、彼女の心にはまだ、マルクに対する一縷の希望が残っていたのだ。
私には、その小さな希望をこれ以上打ち砕くことなどできなかった。
「……わかったわ」
私は小さく溜息をつく。
「じゃあ、クリスマスが終わってから行きましょう」
◇
クリスマスの当日。家の中は恐ろしいほど静まり返っていた。
マルクは帰ってこない。グレスも不在だ。
ソフィアはお気に入りの真っ赤なドレスを着て、朝からずっとリビングで待ち続けていた。
「ママ、パパは忘れちゃったのかな?」
午後になり、ついに彼女が不安げに尋ねてきた。
私が慰めの言葉を探そうとしたその時、突然チャイムが鳴り響いた。
ソフィアは弾かれたように飛び上がり、満面の笑みを咲かせた。
「パパだ!」
玄関へと飛んでいく彼女の後を、私も急いで追いかける。
だが、ドアの向こうに立っていたのは、黒いスーツを着た見知らぬ男だった。彼は恭しく頭を下げた。
「奥様、お嬢様。旦那様からの言いつけで、クリスマスパーティーの会場へお送りいたします」
「パパが待ってるんだ!」
ソフィアが興奮した様子で私を振り返る。
「ママ、早く! パパが待ってるよ!」
胸の奥で不吉な予感が渦巻いた。だが、娘の喜びように水を差すことはできず、私は拒絶の言葉を飲み込んだ。
車は豪奢なホテルのエントランスに滑り込んだ。ソフィアは私の手を引き、はやる気持ちを抑えきれない様子でロビーへと入っていく。
そして、案内された宴会場に足を踏み入れた瞬間――私の全身の血が凍りついた。
そこはクリスマスのパーティー会場などではなかった。
マルクとクロディーアの、婚約披露パーティーだったのだ。
繋いだ私の手の中で、ソフィアの手が硬直した。
彼女はステージの上で寄り添うマルクとクロディーアを呆然と見つめ、その小さな顔からは血の気が引いていた。
「あら、誰かと思えば」
私たちに気づいたクロディーアが、マルクの腕に手を絡ませたまま歩み寄ってくる。その顔には優雅な微笑が張り付いていた。
彼女の視線はソフィアの着ている赤いドレスを舐めるように一瞥し、私へと向けられる。
「本当に……招かれざる客ね」
「すぐに帰ります」
私はソフィアの手を強く握り返した。
「お待ちなさい」
不意にグレスが現れ、私たちの行く手を阻んだ。
「せっかく来たのだから、祝福の言葉くらい置いていったらどう?」
シャンパングラスを手にした彼女は、すれ違いざまに「うっかり」私にぶつかってきた。中身が私のドレスにぶちまけられ、グラスが床に落ちて砕け散る。
「あら嫌だ、ごめんなさいね」
彼女はわざとらしく口元を押さえた。
「どうしてそんなに不注意なのかしら?」
「ぶつかってきたのは、そちらでしょう」
私が冷ややかに言い返すと、グレスの表情が一変した。
「なんですって? 私に口答えするつもり?」
乾いた音が鳴り響き、頬に熱い痛みが走った。不意打ちの平手打ちに、私はたたらを踏む。
「ママ!」
ソフィアが悲鳴を上げた。
「このクズが。自分が何様のつもり?」
グレスが再び手を振り上げる。
私はその手首を掴んだ。
「もう十分でしょう!」
「放しなさい!」
クロディーアが冷酷な声を放つ。
「グレス様に手を上げるなんて、身の程知らずもいいところよ」
彼女が目配せをすると、二人のボディガードが即座に詰め寄ってきた。一人が私の腕をねじ上げ、もう一人が膝裏を蹴りつける。私は強制的に床に膝をつかされた。
「謝りなさい」
クロディーアが見下ろす。
「私は何も間違ったことはしていない」
奥歯を噛み締め、私は顔を上げた。
視線の先にはマルクがいる。
一瞬、彼と目が合った。その瞳には苦悩と罪悪感の色が浮かんでいたが――彼はただそこに立ち尽くし、身じろぎもしなかった。
彼は、沈黙を選んだのだ。
その瞬間、私の心に残っていた最後の残り火が、完全に消え失せた。
「まだ減らず口を?」
グレスが激昂する。
「思い知らせておやり!」
ボディガードの拳が私の体に振り下ろされる。激痛に体がくの字に折れるが、私は歯を食いしばり、決して悲鳴など上げるものかと耐え忍んだ。
「謝れと言っているのよ!」グレスが叫ぶ。
「嫌よ」口の端から血を流しながら、私は睨み返す。
再びの拳。今度は肋骨に入った。息が詰まり、視界が明滅する。
「やめて!」
ソフィアが突進してきた。私を庇おうと小さな体で割って入るが、ボディガードにあっけなく突き飛ばされる。
彼女は床に倒れ込み、膝を擦りむいた。
だが、彼女はすぐに起き上がると、マルクの方へと駆け寄った。
そして――
彼女はその場に跪き、額を床に打ち付けたのだ。
「ゴッドファーザー様!」
その呼び名は、悲痛な叫びとなって会場に響き渡った。
「ママを許してください! お願いします! ママは何も悪くないの! 悪いのは私たちです! 私たちが来ちゃいけなかったんです!」
マルクの体が、凍りついたように硬直した。
自分の娘に。愛しいはずのソフィアに。
あろうことか『ゴッドファーザー』と呼ばれたのだ。
マルクの顔色は紙のように白くなった。
彼はソフィアの額から滲む血を見つめ、ようやく重い口を開いた。
「……もういい」
ボディガードの手が止まる。
マルクが歩み寄り、押し殺したような低い声で告げた。
「その人たちを放せ」
「マルク、何を――」
クロディーアが口を挟もうとする。
「放せと言っているんだ」
有無を言わせぬ圧力がそこにあった。
ボディガードが私を解放する。
私はすぐに這い上がり、まだ震えているソフィアを抱きしめた。
マルクは複雑な瞳で私たちを見つめ、声を潜めた。
「一度戻りなさい。今夜……今夜必ず戻って説明する」
私は何も答えず、ソフィアを抱きかかえてその場を去った。
ソフィアは私の首に腕を回し、泣きじゃくった。
「ママ、もうここにいたくない。おじいちゃんのところへ行こう? 愛してくれるって言ってたよね?」
目頭が熱くなり、視界が歪む。
「ええ……今すぐ行きましょう」
その夜、私は部屋にある私とソフィアの荷物をすべてまとめた。
二度と、この場所に戻ってくることのないように。
