第4章
ポケットの中で、スマホが短く震えた。
マルクはネクタイを直すふりをして、素早く端末を取り出す。
画面が点灯する。表示されたのは、エリンナからの短い一行だけだった。
「マルク。私とソフィアはもう行きます。お幸せに」
行く? 出ていくってことか?
この九年間、エリンナが俺のもとを離れるなんて言ったことは一度だってなかったのに!
心臓が鷲掴みにされたように激しく収縮する。指先が画面の上で硬直し、ようやくマルクは理解した。自分は今、エリンナを失おうとしているのだと。
半狂乱になってリダイヤルする。
だが、受話器から聞こえてきたのは、あの聞き慣れた優しい声ではなかった。無機質で冷たい、自動音声のアナウンス。
「おかけになった電話番号は、現在使われておりません……」
「あなた、どうしたの?」
クロディーアが筋肉の強張りに気づき、首を傾げる。その瞳の奥には、鋭い警告の色が潜んでいた。
喉に綿を詰め込まれたような息苦しさ。
「……俺は行く」
マルクは低い声で言った。
「正気?」
クロディーアは微笑みを崩さないまま、マルクの二の腕に爪を深く食い込ませる。
「今日は私たちの婚約披露宴なのよ!」
「マルク!」
グレスがワイングラス片手に歩み寄ってきた。ナイフのように鋭い眼光。
「こんな時に馬鹿な真似はよせ」
ソフィアが地面に跪いていた光景が、脳裏にフラッシュバックする。あの胸を引き裂くような「ゴッドファーザー」という叫び声が、鞭のように魂を打ち据える。
マルクは大きく息を吸い込むと、クロディーアの手を乱暴に振り払った。背後で上がる悲鳴や制止の声も構わず、大股で宴会場を飛び出す。
「あいつは怒ってるだけだ」
ハンドルを握る指の関節が白く浮き上がる。自分に言い聞かせるような、催眠じみたつぶやき。
「俺を怖がらせたいだけなんだ。あいつは俺を愛してる。本気で出ていくはずがない。ソフィアにだって父親が必要だ……二人はきっと家にいる」
家に帰れば。彼女の前に跪けば。誓いを立てれば……。
けたたましいスキール音を上げ、車が別荘の前に急停車した。タイヤと地面が擦れ合い、悲鳴のような音を立てる。
屋敷に明かりは灯っていない。
それは夜闇の中に佇む、沈黙した墓標のようだった。
ドアを閉める間も惜しんで車を飛び出す。玄関の扉を突き破るような勢いで開け、震える指でリビングのシャンデリアを点けた。
「エリンナ?」
広々としたホールに、上擦った声が虚しく響く。
返事はない。
三段飛ばしで階段を駆け上がり、主寝室のドアを押し開ける。
クローゼットは開け放たれていた。高級スーツが並ぶ俺のスペースとは対照的に、エリンナの側は──もぬけの殻だった。
「嘘だ……」
マルクはよろめきながら廊下の突き当たり──ソフィアの部屋へと走る。
ピンク色のドアが半開きになっていた。
壁を手探りしてスイッチを入れる。
明かりがついた。
小さなベッドはそこにあった。だが、それがかえって絶望を深めた。
ユニコーンの柄のシーツは消え失せ、剥き出しのマットレスだけが残されている。本棚も、おもちゃ箱も空っぽだ。壁にはソフィアが拙いタッチで描いた家族の絵があったはずだが、今は剥がされたテープの跡が斑点のように残るだけ。
膝をつき、ベッドの下へ手を伸ばす。
そこはソフィアの秘密の隠し場所だった。
……何もない。
二人はすべてを持ち去ったのだ。
まるで最初から、この家には存在していなかったかのように。
強烈な眩暈がマルクを襲い、その場にへたり込む。
その時、階下で玄関のドアが開く音がした。
マルクは弾かれたように顔を上げる。灰色の瞳に、瞬時に光が宿った。
帰ってきた!
そうだ、そうに決まっている! あいつが出ていけるはずがないんだ。あんなに俺を愛してたんだから。ソフィアもパパから離れられないはずだ。荷物を持って外を一周して、俺を脅そうとしただけに違いない。
「エリンナ!」
マルクは転がるように部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。
玄関ホールには人影があり、背を向けてドアを閉めているところだった。
「やっぱり、行かないでくれたんだな!」
震える声で叫びながら駆け寄る。
「ごめん、俺が悪かった。あいつらに君を虐めさせるべきじゃなかったんだ。行かないでくれ、頼む、何でも言うことを聞くから。ソフィアと俺を置いていかないでくれ……」
失ったはずの光を取り戻そうと、その背中に強く抱きつく。
人影は悲鳴を上げんばかりに身をすくめ、勢いよく振り返った。
マルクの手が、空中で凍りつく。
目の前に立っていたのは、エリンナではなかった。
使用人の女が、怯えた様子で彼の腕を振りほどいた。
「あいつらは?」
マルクは使用人の肩を鷲掴みにする。声は掠れ、ひび割れていた。
「エリンナとソフィアはどこだ? どこに行った? 買い物か? それとも公園か?」
使用人は恐怖に目を見開き、震える唇で答えた。
「だ、旦那様……奥様とお嬢様は……旦那様が、迎えにいらしたのではなかったのですか?」
