第2章
ポケットの中で携帯が震えだした。一度、二度。
その微かな振動には気づいていたが、応答するつもりは毛頭なかった。
計画通りなら、私は今もまだ「意識不明」のはずだ。
側溝の中で静かに横たわっていると、雨水と泥の混じった匂いが鼻腔を満たす。右脚の痛みはすでに麻痺し、頭部の傷口からはゆっくりと血が滲み出ていた。一分、一秒と時間が過ぎるにつれ、私の忍耐は少しずつ削られていく。
突如、雨の日の静寂を鋭い声が破った。
「誰か側溝に落ちてるぞ!」
スーツ姿のサラリーマンだった。彼は側溝の縁に立ち、驚愕の表情でこちらを見下ろしている。
すぐに、さらに多くの通行人が集まり、ひそひそと話す声が頭上で聞こえ始めた。
「転落したみたいだな……」
「かなりひどい怪我に見える……」
「早く救急車を!」
私は「意識不明」の状態を保ち、彼らの噂話に身を任せた。
やがて、救急車のサイレンが遠くから近づいてきて、私は慎重に担架に乗せられた。
集まった近所の人々が指をさしながら、誰かが溜め息混じりにこう言うのが聞こえた。
「この気の毒な奥さん……」
病院のベッドで「目覚めた」時、病室には看護師が一人いるだけだった。
脚は固定され、頭には包帯が巻かれ、手の甲には点滴の針が刺さっている。
私が目を開けたのに気づくと、看護師はすぐに駆け寄ってきて容態を確認した。
「佐藤さん、ようやくお目覚めになりましたね」
看護師は優しく言った。
「ずっと携帯が鳴っていましたよ。たくさんの不在着信と未読メッセージが届いています」
彼女は引き出しから私の携帯を取り出し、手渡してくれた。
画面には二十件以上の不在着信が表示されており、そのほとんどが『義母』からだった。
「お義母様が何度も、あなたの状況を尋ねるお電話をくださいました」
看護師の表情には、一抹の同情が浮かんでいた。
「とても心配されているご様子でしたよ」
私は力なく頷き、頃合いを見計らって目に涙を浮かべた。
「主人は、私がここにいることを知っているのでしょうか」
私は震える声で尋ねた。
「彼は、私が夕食の準備に戻るのを家で待っているはずなんです」
看護師の表情がどこか奇妙に曇った。何か言いたげだったが、最終的にはただ、ゆっくり休むようにと私を慰めるだけだった。
半時間も経たないうちに、病室のドアが乱暴に開け放たれた。
私の義母、友沢幸子が、医療スタッフの制止を振り切って飛び込んできた。
髪は相変わらずきっちりと結い上げられているが、顔色は蒼白で、目は血走っている。
「この疫病神が!」
彼女は数歩でベッドに駆け寄ると、立て続けに二発、乾いた音を立てて私の頬を張った。
私は避けもせず、彼女の平手が顔に叩きつけられるのを甘んじて受けた。
痛みで涙が勝手に流れ落ちる。私はか細く呼びかけた。
「お母様……」
その「お母様」という呼び方が、彼女をさらに怒らせたようだった。
「恥知らずな女! お前が与一を殺したんだ!」
彼女は苦痛と憎悪に満ちた声で咆哮した。
「お母様、何を仰るのですか? 与一さんが死んだ、ですって?」
私は咄嗟に手の甲の針を引き抜き、起き上がろうとしたが、脚の固定具で体勢を崩し、床に強く打ち付けられた。
「まだとぼけるつもりかい!」
友沢幸子は駆け寄ってくると、私に殴る蹴るの暴行を加えた。
「あんたは人殺しだ! ガス漏れで爆発して、与一は即死だったんだよ! 全部あんたのせいだ!」
私は床にうずくまり、表向きは極度の衝撃と悲嘆の表情を浮かべた。
物音を聞きつけた病院の警備員が駆けつけ、暴れる友沢幸子を引き離した。
私はその隙にベッド脇の松葉杖を掴み、どうにか体を支える。
「信じません、与一さんはきっとご無事です!」
警備員が友沢幸子を取り押さえる混乱の中、私は一歩ずつ足を引きずりながら病院の出口へ向かった。涙はずっと流れ落ちていた。
「待ちなさい! 人殺し! 罪を認めなさい!」
友沢幸子は警備員に押さえつけられながらも、なおもがいて私に叫び続ける。
後ろでは医療スタッフが、治療に戻るようにと呼びかけている。
彼らはおそらく、夫を失ったばかりの可哀想な女が、その死を受け入れられずに現場へ向かおうとしているのだ、と考えたのだろう。
私はただ、自分の計画の成果を、この目で確かめなければならなかった。
この目で見るまでは、本当に安心することなどできない。
——
アパートの下は、すでに野次馬の住民でごった返していた。
規制線が建物全体を隔離し、数人の警官が秩序を保っている。火はすでに消し止められ、消防車は去ったばかり。現場には数名の警官と、爆発原因を調査する鑑識官だけが残っていた。
私は松葉杖をつき、足を引きずりながら規制線に近づいた。
外から見る限り、家の焼損はそれほどひどくない。ただ、我が家の窓が爆風で吹き飛ばされ、ガラスの破片が地面に散乱しているだけだった。
「下がってください、ここは立ち入り禁止です」
一人の警官が手を伸ばして私を制した。
私ははっと顔を上げ、涙と、血の滲む額の包帯を彼に見せつけた。
「主人がまだ中にいるんです、お願いです、中を見させてください!」
私の声は嗄れ、半ば錯乱していた。
警官の表情はたちまち複雑なものに変わった。彼は小声で言った。
「お気の毒に、奥さん。あなたは……?」
「私は佐藤美絵紗、ここが私の家です!」
私は彼の袖を掴み、声を張り裂けんばかりに叫んだ。
「夫の与一、友沢与一がまだ中にいるんです!」
私の声は、さらに多くの人々の注意を引いた。
私は松葉杖を手放し、雨上がりの湿った地面にへたり込んだ。ズボンとギプスをはめた脚が、たちまち側溝から溢れた汚水に濡れたが、そんなことは構わなかった。腫れ上がった顔の五指の跡と、血の滲む額の包帯が、私に十分な同情を集めてくれた。
「中に入れてください……お願いします……」
私は嗚咽を漏らし、涙がとめどなく頬を伝った。
見物人たちが小声で囁き始めた。
「あの方よ、子供ができないって言われてた、可哀想な奥さん」
「毎日遅くまで働いて、病気のお義母さんの面倒も見てたって聞くわ」
「旦那さん、風邪ひいて今日は家で休んでたらしいじゃない」
「可哀想に、あんなに甲斐甲斐しい人だったのに……」
このひそひそ話こそが、私の求めていたものだった。
近所の人々が私をどう評するかはわかっていた——子供はできないが、それでも甲斐甲斐しく務めを果たす良い嫁。義母にいびられても文句一つ言わない良い妻。この事故において、私は完璧な被害者像を演じきっていた。
二人の警官が歩み寄り、左右から私を支え起こした。
「佐藤さん、落ち着いてください。捜査にご協力をお願いします」
私はパトカーのそばへ連れて行かれ、ほどなくして、友沢幸子も別のパトカーで連れてこられた。
彼女は私を見た瞬間、目に骨の髄まで達するような憎悪を迸らせたが、今回は警官がいたため、軽率な行動は取れなかった。
警察署へ向かう車中、私はここが小さな交番ではなく、専門の法医学者がいる正規の警察署であることに気づいた。
一抹の不安が心をよぎる。
彼らはこれを、事故ではないと疑っているのだろうか?
警察署内で、私と友沢幸子は別々の部屋に通された。
二人の刑事が私を簡素な取調室に入れ、一人が質問し、一人が記録を取る。
「佐藤さん、緊張なさらないでください。これはあくまで、決まりに則った事情聴取です」
年配の刑事は穏やかに言った。
私は頷いた。目にはまだ涙が潤んでいる。
「いくつか、ご説明いただきたい点がありまして」
彼は手帳を開いた。
「事件当時、アパートの窓は全て固く閉められていたことがわかっています。ガス漏れの状況下では、これは少々不自然です」
私は目を見開き、驚いた表情を作って見せた。
「私が家を出る時は、窓は閉めていませんでした!」
「もしかしたら、友沢さんご自身が閉められたのでは?」
若い刑事が口を挟んだ。
私は少し考え、頷いた。
「そうかもしれません……与一さん、風邪をひいていたので、寒くて窓を全部閉めてしまったのかも……」
年配の刑事は続けた。
「あなたはスペアリブを煮込んでいたのに、火をつけたまま家を出られた。この状況で外出するのは、少々危険だとは思いませんでしたか?」
「家に山芋がなくて。主人は山芋とスペアリブの煮込みが好きなので、近所に買いに行くよう言われたんです。火は彼が見てくれると」
私は自分の手元に視線を落とした。
「まさかこんなことになるなんて……」
そこまで言うと、私の声は嗚咽に変わった。
年配の刑事の眼差しが、さらに鋭くなる。
「あなたが家を出られた時、友沢さんは意識のある状態でしたか?」
その質問は不意打ちだった。私は顔を上げ、彼の探るような視線と向き合った。
