第2章
「覚!」絵理沙はわざとらしく私を庇う素振りを見せた。
覚の言葉を聞き、父の顔色が土気色に変わる。
「どういうつもりだ! 藤原家と西村家は代々の盟友だぞ。その絆を断ち切るつもりか!」
覚は父の怒気にも怯まず、強気な視線を返した。
「藤原の親父さん、俺は絵理沙しか認めねえ。彼女以外はありえねえんだよ」
絵理沙はすぐに立ち上がった。
「覚、さくらちゃんにそんなこと言わないで。この子は幼い頃に家を追われた、可哀想な身の上なのよ」
母は私が裏社会に巻き込まれることを何よりも嫌っていた。だから私が幼い頃に家を出て、父の世界とは一切の関わりを持たせずに私を守り続けてくれたのだ。実際、父が姿を見せることなど一度もなかった。
母が亡くなるまでは。
死後、突然現れた父は「お前をしかるべき家に嫁がせて、身を固めさせるのが母の遺言だ」と言った。
以前の私はそれを信じていた。だが今思えば、不審な点ばかりだ。
「可哀想だと?」覚は鼻で笑った。
「同情を引こうとしてるだけだろ。その手口が反吐が出るぜ」
「いっそ二人とも絵理沙お姉様に差し上げたら? 優秀なお姉様なら、お二人を同時に満足させられるはずですわ」
私はゆっくりと立ち上がった。
「さくら!」絵理沙の顔が瞬時に赤く染まる。
「よくもそんなことを……! あなたが戻ってきて後ろ盾を得ること、それこそが亡くなったお母様の願いでしょう?」
その虚飾に満ちた顔を見ていると、腹の底から怒りが込み上げてくる。だが、私はそれをぐっと飲み込んだ。
「どちらかを選べ!」父が私を睨みつけた。
「絵理沙と覚が愛し合っているというなら、お前は亮一に嫁げ」
「断ると言ったら?」私は反抗的な目を向けた。
父は激昂して立ち上がり、手にしていたグラスをテーブルに叩きつけた。
「いい加減にしろ!」
父は私の首にかかっている家紋入りのネックレスを指差した。
「お前は今、藤原家の人間だ! 家の利益を最優先に考えろ! お前の唯一の役目は政略結婚だ!」
また「家の利益」か。
前世、亮一と結婚して間もなく、父は「家業の損失補填」という名目で、母が遺してくれた全財産を私から奪い取った。私は生き残るために必死で足掻いたが、結局は捨て駒にされたのだ。そして絵理沙は、その金を使って見事に後継者の座を手に入れた。
二度と、彼らに殺されるような真似はさせない。
「辺境の『灰港』でのビジネスが、三週間連続で赤字だという話は耳にしています」
私は冷静に切り出した。
「私に管理させてください。あそこで私の価値を証明してみせます。もし灰港の利益を回復できなければ、その時はどんな縁談でも言いなりになりますから」
父は呆気にとられたようだった。私が家の財務状況を把握しているとは思わなかったのだろう。
その時、不意に亮一が口を開いた。
「行かせてやればいい」
彼は私を一瞥した。おそらく私を厄介払いして、その隙に絵理沙に再アプローチするつもりなのだろう。
絵理沙は沈黙していた。私が成功するはずがないと高を括っているのかもしれない。
父はしばし黙り込んだ後、重々しく頷いた。
「期限は三ヶ月だ。成果が出せなければ、戻ってきて大人しく嫁に行け」
私は心の中で誓った。今度こそ母の遺産を守り抜き、辺境で本物の力を手に入れてやると。
***
三ヶ月後、灰港の埠頭。
深夜、私は倉庫の入り口に立ち、積み込みを終えたばかりの木箱を見つめていた。胸に確かな達成感が込み上げてくる。
母が遺した資金と人脈を駆使し、私は瞬く間に埠頭の利権を掌握し、独自の密輸ルートを構築した。わずか三ヶ月で三千万ドルを超える武器取引を二件も成立させたのだ。父を見返すには十分すぎる成果だった。
だがそれ以上に重要なのは、母の死因を調査する中で掴んだ手がかりだ。母の死には、どうやら藤原家の人間が関わっているらしい。
母の命日である今日、私は誰にも告げず、一人で墓参りに戻ってきていた。
だが墓地へ足を踏み入れると、見覚えのある人影がすでに母の墓前に立っていた。
絵理沙が振り返り、私を見て驚いたふりをする。
「あら、さくらちゃん? 三ヶ月も連絡がつかないから心配していたのよ。今日ならきっと戻ってくると思って待っていたわ」
彼女は心配そうな表情を貼り付けて近づいてきた。
「灰港での暮らしはどう? あそこは危険な場所だと聞くわ。ずっと案じていたのよ」
私は答えず、ただ静かに彼女を見つめた。
「穴埋めのために、いろんな男性と関係を持ったって噂よ。昔のあなたなら知りもしなかったような人たちとね。どうやってそんなに早く取り入ったのかしら」
彼女は一呼吸置き、その瞳に悪意を閃かせた。
「辺境の仕事はもう引き渡しなさい。あなたみたいな子に務まる役目じゃないわ」
私は冷ややかに笑った。
「あの契約は私が直接交渉してまとめたものよ。私自身の能力でね」
絵理沙は私の反論に意外そうな顔をした。前世の私は彼らの言いなりで、母の遺産に手を出されても、継承権を奪われても、一言も言い返せなかったからだ。
「あなたが傷つくのが怖いのよ」彼女は再び憂い顔を作った。
「後ろ盾もないあなたが、一人であんな危険な真似をしていたら、いつか火の粉が降りかかるわ」
「火の粉を心配すべきは、ご自分のほうではありませんか」
私は彼女の首元を指差した。
「悪事は控えたほうがいいわよ。でないと、彼らと同じ末路を辿ることになるわ」
「いい加減にしろ」
背後から亮一の声が響いた。
「姉を脅すとはどういうつもりだ、さくら」
彼は大股で近づくと、乱暴に私の腕を掴んだ。
「絵理沙に謝れ」
絵理沙を庇うその姿を見て、私の心に残っていた最後の一欠片の幻想も粉々に砕け散った。
「どうして私が?」
私は彼の手指を強引に引き剥がし、その拘束から逃れた。
「善人ぶるのはやめて。あなたにその資格はないわ」
亮一の手が空中で止まり、何か言いたげに口を開いたが、横から絵理沙が彼を制止した。
彼もまた、私の変化に違和感を覚えたのだろう。
私はきびすを返し、その夜のうちに翌朝一番の灰港行きの便を予約した。
だが、空港のロビーで、またしても亮一が立ち塞がった。
「絵理沙が昨夜取引したブツに混ぜ物がしてあったらしくてな。敵対組織に拘束された!」
彼は焦燥しきった様子で、私を無理やり外へ連れ出そうとする。
「私には関係ない話ね」
私は彼の手を振り払った。
「お前のせいだぞ。お前がいなければ、絵理沙だってあんなに焦って功績を上げようとはしなかった!」
「彼女がヘマをしたのは、全部お前の責任だ! 彼女が無事に戻るまで、お前を一歩も外には出さん!」
