第3章

 車内には、長い沈黙が流れていた。

「お前も、戻ってきたんだな」

 亮一が唐突に口を開く。

 私は顔を向け、冷ややかに笑った。

「それがどうしたの? 生き返ったからって、私への感情が変わるとでも?」

 亮一は少し黙り込んだ。

「あの日は頭に血が上っていたんだ。何もかも上手くいかなくて、父さんには弟に跡を継がせるとまで言われた。だからお前を地下牢に閉じ込めたが……殺すつもりなんてなかった」

 少しは良心があったということか。

 だが、彼は自分が私を殺したと思い込んでいるのか? 絵理沙がこの手で毒を注射したことを、知らないというの?

 あの日、亮一が結婚指輪を投げ捨てて立ち去った後、絵理沙が地下牢に現れた。

「妹よ」

 彼女は私の前でしゃがみ込み、瞳に涙を浮かべていた。

「彼に許してやってほしいと頼んだの。でも……」

 私は、彼女が助けに来てくれたのだと思った。

「お姉ちゃん、お願い助けて。私、本当に何も知らないの」

 彼女はポケットから注射器を取り出し、私の首筋に狙いを定めた。

「ごめんね、さくら」

 針が血管に突き刺さり、冷たい液体が流れ込んでくる。毒だ。そして、止まらない痙攣が私を襲った。

「あんたは昔から私の影。愛人の娘には過ぎた幸せよ」

 彼女は私の指から結婚指輪を引き抜き、地面に投げ捨てた。

「これは本来、私が手にするはずのものだったの」

 血管を巡る毒素。体が跳ねる。

 その瞬間、私は悟った。

 母さんの死も、絵理沙が毒を盛ったのだと。

 前世の私は死に、母の復讐をする機会などあるはずもなかった。だから彼女は同じ手口で私を葬ったのだ。

 けれど、まさか私が記憶を持ったままやり直すことになろうとは、夢にも思っていないだろう。

 突然、亮一が身を乗り出し、強引に唇を塞いできた。

「さくら。絵理沙を助け出したら、あいつへの想いはきっぱり断ち切る。俺たちは一生一緒にいるんだ。前の人生で結婚した時に誓ったようにな」

 私は即座に彼を突き飛ばし、その頬をひっぱたいた。

「絵理沙が私たちを利用しているのが分からないの?」

 亮一の視線が泳ぐ。

「ま、まさか……」

 いや、こいつはとぼけているだけか? 彼女の手口を見抜いていながら、結局は利益に屈したのだ。

 倉庫の中。絵理沙は無残な姿で隅に縛られ、その瞳は『恐怖』に満ちていた。

 覚が焦燥しきった様子で彼女を見つめており、私たちの到着には気づいていない。

「覚? お前もいたのか?」亮一が眉をひそめる。

 覚が振り返った。その顔色はどす黒い。

「絵理沙が運んだ武器に偽物が混じってたとかで、賠償を要求されてる」

 金のネックレスを下げた中年男が歩み寄ってくる。

「藤原のお嬢さんが持ち込んだ品のおかげで、こっちは大損害だ。品質だけの問題じゃねえ、大口の顧客との関係にもヒビが入った」

「賠償額はいくらだ?」覚が歯噛みしながら問う。

「五億ドル。物品の損失に加え、納期遅延の違約金、それに俺たちの信用失墜に対する慰謝料だ」

 覚が驚愕に目を見開く。五億ドル。二つの家門の流動資産を合わせても届くか怪しい額だ。その時、覚が突然錯乱したように私を指差した。

「こいつも藤原の血縁だ! 藤原さくら……ここ数ヶ月、灰港で多くの取引を成立させてる。名前くらい聞いたことがあるだろう」

「お前が灰港の契約を譲らなかったせいで、絵理沙は功を焦ったんだ! この大型案件で自分を証明しようとしてな!」

 覚は私を乱暴に前へ突き出した。

「お前が絵理沙の身代わりになれ」

 私は鼻で笑う。

「どうしてそれが私のせいになるの? 彼女の能力不足でしょう」

 中年男が私を値踏みするように見回した。

「確かに、こっちのほうが値打ちはありそうだ」

「絶対に駄目だ!」亮一が怒声を上げる。

 すると、絵理沙が泣き叫び始めた。

「死にたくない……亮一、幼馴染でしょう? 私が殺されるのを黙って見ているつもり?」

「お願い、助けて……」

 亮一の決意が揺らぎ始める。彼は苦渋の表情で私を見た。

「さくら、絵理沙には守りが必要なんだ。分かってくれるよな?」

 私は静かに彼を見つめ返す。

「それじゃあ、私には守りがいらないと?」

 亮一が言葉に詰まる。覚が苛立ちを露わにした。

「さくらは元々余計な存在なんだ。早く決めろ、時間がねえぞ」

 数人の手下が私の腕を押さえにかかる。私は抵抗せず、ただ冷徹に亮一を見据えた。

「これが貴方の選択ね。覚えたわ。後悔しないで」

「金を作って必ず助けに来る。そうしたら結婚しよう」

 亮一が早口にまくし立てる。彼らは絵理沙を抱きかかえて去っていき、重厚な鉄の扉が閉ざされた。

 また、空虚な約束。

 彼は以前と何も変わっていない。私を愛していると口では言いつつ、行動では私が二番目だと証明し続ける。

 私と絵理沙のどちらかを選ばなければならない時、彼はいつだって躊躇なく絵理沙の隣に立つのだ。

 部屋に静寂が戻る。

 先ほどまで『敵』だった者たちが、一斉に私に向かって恭しく頭を下げた。

「ご苦労様」

 私は立ち上がり、首にかけていた家門のネックレスを外して目の前の男に手渡す。

「予定通りに」

 それは私が家に戻った際、父が歓迎の証として自ら着けてくれたネックレス。今となっては、私の身元を証明する唯一の品だ。

 闇の中から、黒いスーツを着た男が姿を現す。

「全て手はず通りです、さくら様」

 私は頷く。

「藤原家に私の訃報を届けなさい。いい? 絵理沙を救おうとして起きた、不慮の死よ」

 彼はシャンパングラスを掲げた。

「貴女様の再生に乾杯を」

 私はグラスを受け取る。

 私を傷つけた者たち、その全員の仮面をこの手で引き剥がし、相応の代償を支払わせてやる。

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