第31章

長川輝夫は、彼女の静かな横顔をじっと見つめた。ふいに、ひどく遠い人のように感じる。

もう彼女は、逆らわず従うだけで、彼の言葉に唯々諾々としていた宮原知子ではなかった。

長川輝夫は黙り込む。

書斎には、向かい合う二人の息づかいだけが残った。

土曜の夕暮れ。空からは細い雨が糸のように降っている。

宮原知子はベージュのカシミヤのコートを羽織り、ふくらみ始めた腹をそっと撫でながら、小岩青子と並んでマンションを出た。小岩青子の手には透明の傘。

「知子、本当に覚えてないの? 大学の頃いちばん好きだったピアニスト、今夜コンサートなんだよ!」小岩青子は目を輝かせる。「やっとのことで二枚取れたの。...

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