第2話 監視カメラの映像が全員を黙らせた

木製品が砕ける音。

その音に凛は聞き覚えがあった。

小さな古い木箱だった。桐の木地で、角は長い年月に磨かれて丸みを帯びている。

幼い頃から、この屋敷で何か悔しい思いをするたびに、凛はあの狭い自室へ戻り、蓋を開けてきた。

中には祖父の若い頃の白黒写真と、祖父が自ら撮ってくれた凛の写真が入っている。ずっと前に、祖父が直接手渡してくれたものだ。

「これはお前が預かっておけ。わしが耄碌したら、見せてくれ」

凛がたった一つ、持って行くと決めた私物だった。

それを咲良が凛のリュックから引っ張り出し、飛び石の小径に叩きつけた。

蓋が砕け、写真が枯れた苔の上に散らばった。

咲良はしゃがみこみ、写真を拾うのを手伝っているかのように見せて、指先がさりげなく鋭い木片をかすめた。

小さく息を呑み、「っ……」と声を漏らして左手を持ち上げた。

鮮やかな血の粒が、散らばった写真の上に落ちた。

それから顔を上げたときには、目の縁に涙が溜まっていた。声には絶妙な震えと無垢をまとい、その音量は、玄関から飛び出してきたばかりの春奈に一言一句届くよう正確に調整されていた。

「お姉ちゃん……なんで家のものを盗ったの?ちゃんとしまおうとしただけなのに、箱を投げつけて……私にまで、傷をつけるなんて思わなかった……」

春奈は咲良の血の滲む手を一目見て、顔色を変えた。

咲良の肩を抱えるようにして、凛を睨みつけた。

「泥棒して、そのうえ人を傷つけるの!」

声が怒りで甲高く尖っていた。

「咲良にそんなことを。十八年も育ててやった雑種が、よりによって私たちの実の娘に手を出すなんて!」

健吾も回廊から歩み出て、春奈の隣に立った。

「今日は妙に後腐れなく出ていくと思った」

声は落ち着いていた。とっくに予測していた事実を確認するような口調だった。

「着替え一つ持たないわけだ。最初から金目のものを鞄に仕込んでいたんだな。お前のような貧乏くさい土地の血筋は、どう足掻いても骨の髄まで下賤だ。情けをかけたのが、こちらの落ち度だった」

通話を終えた修也が、物音を聞きつけて梅の木の陰から大股で回り込んできた。

地面に割れた木箱を一瞥し、春奈の肩にすがって小さく啜り泣く咲良を一瞥し、それから凛へと視線を向けたときには、眉間にくっきりと皺が刻まれていた。

「なるほど」

修也は手を上げ、門口で施錠の準備をしていた家政婦二人に命じた。

「こいつは遠野家の財物を盗み、咲良に見つかって故意に傷を負わせた。そのリュックを全部ひっくり返して中を改めろ。今日から、遠野家のものは糸一本たりとも持ち出させるな」

それから身を翻して、凛に向き直った。

「こんな大勢の前では言いたくなかった」声は低く、意図的にゆっくりとした間合いで紡がれた。「だが、今日お前が咲良にしたことを見て、はっきり言っておいた方がいいと判断した」

凛は修也を見たまま、何も返さなかった。

「三年前、婚約を結んだとき、お前のことを遠野家の娘だと思っていた。今、真実が明らかになって——婚約相手が咲良でよかったと、心から思っている」

咲良が春奈の肩から顔を上げた。睫毛に涙が残っていた。

「修也くん、やめて……お姉ちゃんはもう十分かわいそうだよ……」

「お前は優しすぎるから、踏みつけにされるんだ」修也はため息をつき、軽く咲良の肩を抱いた。

そして、もう一度凛に視線を戻した。

「婚約は破棄する。今後、お前と五十嵐家は一切の関係がない」

凛はしばらく黙っていた。

それから、ふっと俯いて笑った。

苦笑ではない。冷笑でもない。面白くもない冗談を聞かされたあと、礼儀として返すような笑みだった。

「婚約破棄」

凛はその言葉を繰り返した。署名済みの契約条項を確認するような口調だった。

「五十嵐くん、ひとつ勘違いしてる」

目を上げて修也を見た。

「婚約破棄は、あなたに通知してもらうことじゃない。この婚約が結びつけていたのは、元々あなたと私じゃない。五十嵐財閥と遠野建設よ。そして今、私が破棄したのは、遠野家が持っていた私の婚事への代理権」

修也の表情が凍りついた。

「だから、この婚約をあなたが破棄する必要はない。私がここを出た、その一秒と同時に終わっている」

そう言って凛はスマホをポケットに戻し、屈んでリュックを拾い上げた。

「それから、あの木箱は祖父が私にくれたもの」

凛の声は高くない。それでも、その場にいる全員の耳をまっすぐに切り裂いた。

「十八年間、私は遠野家のものを、一つとして持ち出したことはない」

ポケットからスマホを引き出し、画面を上にした。

「まだ私がここにいるのは、あなたたちに引き止められているからじゃない。人証がいるうちに、片をつけておきたいことがあるだけ」

指先が画面を三度叩いた。

修也が向いている白い壁が、不意に光った。

庭の高所にある、普段は閉ざされたままの窓のあたり。壁一面が、巨大なプロジェクションスクリーンに変わった。

そして、その場の全員が次の映像を見た。

咲良が凛のリュックからあの木箱を引きずり出し、高々と持ち上げ、ありったけの力を込めて石畳に叩きつけた。しゃがみこんだ咲良が木片へ手を伸ばし、鋭い縁を自分の掌に当てて引いた。血の粒が写真の上に落ちた。

映像は、咲良が顔を上げ、目に涙を浮かべ、まさに「どうしてお姉ちゃんは私を傷つけるの」と口にしようとする三秒前で、止まっていた。

庭が、深い井戸の底のように静まり返った。

咲良の顔色が、白から蝋のような黄ばみへと変わっていった。

口が動いた。だが、声はひとつも出てこなかった。

修也の視線が、壁に映る映像と凛の間を行き来した。喉仏が一度動いた。それでも、言葉にはならなかった。

沈黙を破ったのは春奈だった。声からは先ほどまでの勢いが消えていた。

「こんな合成映像、金を出せば誰にでも作れる。こんな偽の動画で咲良を陥れようっての?」

凛はスマホをポケットへ戻し、屈んでリュックを拾い、砂埃を払った。立ち上がり、視線を春奈、健吾、修也の順に走らせ、最後に咲良の小刻みに震え始めた膝の上で止めた。

「この映像はすでに夜梟プラットフォームのブロックチェーン保存ノードにアップロードしてある。ハッシュ値は本日深夜零時、東京地方検察庁刑事部と埼玉県警本部に同期される。偽造だと思うなら、この二つの機関に技術鑑定の申請を出せばいい」

警察という言葉を聞いた瞬間、咲良は露骨に慌てた。春奈の袖を小さく引き、声が弱々しく揺れた。

「もうやめようよ、お母さん……お姉ちゃんは十分かわいそうだよ。警察にでも捕まったら、これから先、どうするの……」

「咲良!」修也が堪らず声を上げた。「お前は本当に優しすぎる。こんな時にまであいつの心配を」

咲良は何も言わず、再び春奈の肩へ顔を埋めた。袖口を掴むその手の指節が、白く色を失っていた。

健吾の顔色が、ようやく変わった。

凛を見据えた。声が乾いていた。

「お前は……いったい何者なんだ……」

言い終わらないうちに、石門の柱の外から、激しい咳の音が転がり込んできた。

その場の全員が、不意に振り返った。

門の向こうに、いつの間にか人が一人、立っていた。

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