第004章 もう一度揉む
御堂柊吾の心拍は乱れ、脈もばらばらだ。状態はかなり悪い。
あと半年遅れていたら、毒が心臓まで回って――その時点で、もう手の打ちようがなかっただろう。
でも今なら、まだ間に合う。彼女なら救える。
冬木涼子は、胸の奥に溜めていた息をそっと吐いた。
……
扉の外。
御堂湊と御堂澪は、まるで張りつくみたいに扉へ耳を寄せていた。けれど中からは、物音ひとつ聞こえてこない。
静かすぎる。中で何が起きているのか、さっぱりだ。
冬木涼子が――死んでいるんじゃないか。
御堂澪は、入って遺体を片づけるべきか、なんてことまで考え始めていた。
そのとき、江崎悠白が息を切らして駆けつけてくる。
江崎家の長男。代々医者の家系で、まだ二十五歳ながら腕は確かだ。御堂柊吾の主治医であり、友人でもある。
鍵のかかった扉を見て、悠白は焦った声を上げた。
「柊吾はどうなってる?」
御堂澪が答える。
「若様は中に。十五分ほど前に、若奥様も入りました」
「若奥様……?」
悠白は眉をひそめた。
御堂家が追い詰められて、いわゆる「祝い事で厄を払う」みたいな手段に走ったことは知っている。ここ二か月、次々と女が送り込まれてきた。
だが、柊吾を怖がって、その日のうちに追い返される者ばかりだった。まさか、本当に怖がらない女がいるとは。
――とはいえ、柊吾の容体は最悪だ。本人も女が近づくのを嫌う。この状況で女が入れば、発作が悪化する可能性が高い。下手をすれば、女の命も危ない。
もちろん女がどうなろうと、悠白は気にしない。気になるのは柊吾の状態だけだ。
悠白はドアノブに手をかけ、そのまま力を込めて扉を押し開けた。
御堂湊と御堂澪も深く考えず、続いて中へ飛び込む。
物音に気づいた冬木涼子が、すぐに指を唇へ当てた。
「しーっ。寝てるの。起こさないで」
駆け込んできた三人は、その場で固まった。
いつも冷たくて、近づくなと全身で言っているような御堂柊吾が――冬木涼子の膝に頭を預け、驚くほどおとなしく眠っている。
安らかに。まるで、そこがいちばん安全な場所だと言わんばかりに。
見間違いか?
三人は同時に目をこすった。だが、何度見ても同じ光景だった。
冬木涼子は声を落とす。
「用がないなら、先に出て。もう少し寝かせてあげて」
「は、はい、はいはいはい」
三人は何度も頷き、わたわたと後ずさって部屋を出た。
扉を閉めたあと、廊下に立ち尽くし、顔を見合わせる。
さっきのありえない光景が、頭の中で何度も再生されていた。
「……なんで、ああなるんだ?」御堂湊は呆然としたまま。
「清廉潔白な若様が、女の膝で寝るとか……」御堂澪も同じく呆然。
その横で、江崎悠白だけが眉間に皺を寄せていた。
柊吾の発作は、短くても十時間以上。痛みで生き地獄みたいになるのが常だ。
それが、あんなふうに静かに眠る? そんなことがあるはずが――。
……
御堂柊吾は、そのまま八時間眠り続けた。
こんなに穏やかに眠れたのは、何年ぶりだろう。
目覚めた瞬間、体が信じられないほど軽い。息が通る。胸の奥が、澄んでいる。
顔を横に向けると、冬木涼子がいた。
ベッドボードにもたれて眠っている。腕は彼の上にかかり、守るような形になっていた。
その姿を見た瞬間、胸の奥に、言葉にできないものが湧いた。
驚き。信じられなさ。……それから、ほんのりとした温かさ。
しばらく見つめてから、柊吾は視線を外し、そっと体を起こそうとする。
すると、眠りが浅かったのか、涼子がびくっとして叫んだ。
「柊吾!」
手が彼の手を探り当て、ぎゅっと掴む。
――夢を見ていた。
前の人生で、彼が無惨に死んだ場面。
そして自分が死ぬ直前の、あの冷たさと絶望。死にたくても死ねず、血が流れ尽きていくのをただ見ているしかない痛み。
その悪夢に引きずり上げられ、涼子は勢いよく目を開けた。
目の前には、深く、複雑な眼差しの御堂柊吾。
「悪い夢でも見たか?」
涼子は返事に詰まった。
けれど、彼の顔色が戻っているのを見た瞬間、ぱっと表情が明るくなる。
「旦那様、起きたのね! どう? どこか苦しくない?」
柊吾はじっと彼女を見つめ、わずかに首を振る。
「……ない」
「よかったぁ」
涼子は心底ほっとして、ベッドから降りようとした。だが急いだせいで、首筋がつってしまう。
「っ……」
「寝違えたのか?」
柊吾はそう言って手を伸ばし、彼女の首筋を指先でそっと揉みほぐす。
涼子が拒むはずもない。大人しく座って揉まれながら、甘い笑みを浮かべた。
柊吾がその視線に気づく。距離が近すぎる。触れ方も、親密すぎる。
彼ははっとして手を引いた。
すると涼子が、今度は彼の手を掴んで離さない。
「もうちょっと、揉んで」
甘えるような声。
柊吾は一瞬止まり、結局また手を上げて、黙って揉み続けた。
涼子はその間ずっと彼を見ている。明るく澄んだ瞳が、くしゃっと弧を描く。小さな月が二つ、そこにあるみたいに。
柊吾は居心地が悪くなり、二、三度揉んだところで手を引き、視線も逸らした。
「……もういいだろ」
振り向いた拍子に、涼子は彼の耳が真っ赤になっているのを見つけた。
かわいい……
前の人生では気づかなかった。彼って、こんなに初心なんだ。女の子に見られるだけで耳まで赤くなるなんて。
柊吾はその笑みを見逃さなかった。
「……何がおかしい」
「嬉しいの」
もう一度生きられて、また彼のそばにいられる。それが、ただ嬉しかった。
もちろん柊吾は、彼女の胸の内など知るはずもない。声が少し低くなる。
「出てくれ。悠白を呼べ」
「うん、わかった」
涼子は素早くベッドを降りた。ちょうど自分の部屋に戻って電話もしたい。
出る前に、ベッドの柊吾を振り返る。
「旦那様、降りる? 車椅子のほうが楽でしょ?」
返事を待つ間もなく、涼子はさっと彼を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこの形で、そのまま車椅子へ移す。
柊吾は言葉を失った。形のいい唇が、ぴくりと引きつる。
――十八歳だろ。どこにそんな力がある。
涼子は彼の驚愕など気にせず、軽い調子で言う。
「じゃあ行ってくるね、旦那様。お風呂入りたくなったり、何かしたくなったら呼んで」
そう言い終えるより早く、彼女は身を屈めて、彼の唇にちゅっと触れるだけのキスを落とした。
