第4章

翌朝、病院へ行こうとドアを開けた瞬間、行く手を阻まれた。

望遠レンズやマイクを構えた七、八人の記者たちが押し寄せ、フラッシュの嵐が視界を白く染める。パシャパシャという無機質な音が、耳障りに鳴り響いた。

「城崎奥様! 昨夜、城崎社長が六本木の会員制クラブで、綾瀬さんのために大立ち回りを演じた件について、どう思われますか?」

「社長が綾瀬さんを抱きかかえて店を出る写真も流出しています。お二人の親密な関係について、ご存知でしたか?」

私は一瞬、言葉を失った。

ポケットの中でスマートフォンが震える。友人の林田朝香から、数枚の写真が送られてきていた。

写真の中の城崎漣は、昨夜と同じスーツに身を包み、綾瀬亜美をお姫様抱っこしていた。彼女は彼の胸に頭を預け、甘ったるい笑みを浮かべている。別の写真には、漣が男の顔面を殴りつける瞬間が捉えられていた。その瞳は、人を殺しかねないほど凶暴な光を宿している。

記事の見出しには、こう踊っていた。

『城崎社長、深夜の騎士気取り。泥沼不倫か』

写真を見つめ、ふと笑いが込み上げてきた。

城崎漣。あなたって人は、本当に一途ね。

「城崎奥様、何かコメントをいただけますか」

若い研修中の女性記者が、マイクを突きつけてくる。

私は顔を上げた。

「不倫をした夫と、既婚者と知っていて関係を持った女。私に何を言わせたいの?」

記者は一瞬怯んだが、すぐに冷笑を浮かべた。

「ですが、私の知る限りでは、あなたは昔、金のために城崎社長を捨てたそうじゃないですか。彼が成功してから、今度は情に訴えて結婚を迫った。彼を本当に愛しているのは、綾瀬さんの方なのでは?」

彼女の胸元で揺れるIDカードに目をやる――研修生、とある。

「あなた、綾瀬亜美の友達でしょう」

私は淡々と言い放った。

彼女の顔色が変わる。

私は口元を歪めた。

「あの時、私と結婚するために手段を選ばなかったのは城崎漣の方よ。私が彼と結婚したくてしたと思っているの?」

「わ、私は客観的な事実を述べただけです!」

彼女は顔を真っ赤にして叫んだ。

「そんなに嫌なら、どうして離婚しないんですか? 結局は城崎家の財産が惜しいんでしょう?」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、鼻の奥から熱いものが溢れ出した。

ぽた、ぽたと鮮血がアスファルトに落ち、赤い花を咲かせていく。

周囲からどよめきが起こる。

「うわ、嘘ついて良心が痛んだんじゃないか?」

「カッとなったんだろ。旦那の浮気なんて耐えられるわけないしな」

私はティッシュを取り出し、鼻血を拭いながら静かに言った。

「のぼせたわけじゃないわ。私、病気なの。もうすぐ死ぬから、最近よく鼻血が出るのよ」

その場が、凍りついたように静まり返る。

数秒の沈黙の後、研修生の記者が冷ややかに言い放った。

「仮病で同情を誘うつもりですか? 城崎奥様、男を繋ぎ止めるためなら、本当に手段を選ばないんですね」

彼女は踵を返し、去っていく。その背中は、綾瀬亜美と同じくらい醜悪に見えた。

私はその場に立ち尽くし、人混みに消えていく彼女を見送った。

ねえ、城崎漣。見て。

赤の他人ですら知っているわ。あなたが私を愛していないことなんて。

それから、綾瀬亜美の友達は、彼女と同じくらい胸糞が悪いわね。

——

動画はネット上で拡散され、炎上していた。

トレンド一位:『#城崎社長深夜の騎士気取り泥沼不倫疑惑』

コメント欄を開くと、私への罵詈雑言で埋め尽くされている。

『結婚したくないならしなきゃいいじゃん。今さら被害者ぶって何なの?』

『典型的な性悪女。昔は金のために男を捨てて、今は金のために結婚したんだろ』

『城崎社長が可哀想。綾瀬さんこそ真実の愛でしょ』

中には私を擁護する声もあった。

『お前ら口を慎め! 真相も知らないくせに黙ってろクソが!』

私はそれらのコメントを見て、ふと笑ってしまった。

真相?

別に、奇妙な話じゃない。ただ十年前、母が稀な遺伝性の血液疾患と診断されただけの話。

医師は言った。この病気は遺伝する確率が極めて高い。私に、そして私の未来の子供にも。

あの日、母は洗面器一杯分の鼻血を出し、失血過多で三日間意識を失った。

目を覚まして最初に放った言葉は、これだった。

「萌。城崎漣君と別れなさい」

私は母の手を握りしめ、泣きながら言った。

「お母さん、彼はそんなことで私を嫌ったりしない」

母は私を見つめた。その瞳は、慈愛と痛みで揺れている。

「馬鹿な子ね。あの子がいい子なのは知ってるわ」

「でも、あの子の両親は離婚して、誰も彼を必要としていない。毎月わずかな生活費だけで、まるで孤児のように生きているのよ」

母の声が詰まる。

「あの子はいい子よ。勉強もできて、心も優しくて、本当にいい子」

「でもね、彼の翼はまだ薄すぎるの」

「お祖母さんを背負って、その上あなたまで背負ったら……あの子はもう、飛べなくなってしまうわ」

その頃、漣のお祖母さんも病気で入院していた。

お祖母さんっ子だった彼は、毎日看病に奔走し、その目はいつも充血していた。

そんな彼の疲れ切った姿を見て、私の心は張り裂けそうだった。

母の言う通りだ。

私が、彼を押し潰す最後の一本になってはいけない。

「お母さん……」

私は掌に爪が食い込むほど拳を握りしめ、震える声で言った。

「彼と離れるなんて、辛すぎるよ」

その一言と共に、涙が雨のように降り注いだ。

それでも、私は彼の手を離した。

彼を愛しているから。

だからこそ、彼をもっと高くへ飛ばせてあげたかった。

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