第1章
佑梨の視点
私の手から、ケーキが滑り落ちた。
チョコレートムースが、杉本大和の部屋の床にどしゃっと広がる。ダークブラウンのクリームが、白いラグの上に飛び散った。まるで血のようだ。
「佑梨?」大和がソファーから飛び起き、可愛い女の子を突き放す。彼女の口紅が、彼の首筋にべったりと付着している。鮮やかな赤が、ひどく卑猥に見えた。「なんでこんなに早く帰ってきたんだ?」
早い、ね。まるでそれが問題だと言わんばかりに。
「驚かせようと思って」私の声は、自分でも驚くほど冷静だった。冷静すぎた。「驚いたのは、私のほうだったみたいだけど」
可愛い女の子が、はだけかけたシャツを整えながら、レースのブラをちらりと覗かせていた。そして、勝ち誇ったような笑みを私に向けた。「あなたが佑梨? 大和はあなたのこと、つまらないって言ってたわよ」
怒るべきだ。泣いて、叫んで、物を投げつけるべきだ。
でも私はただ、床に落ちたケーキを見つめて、そこに突っ立っているだけだった。
彼のお気に入りのチョコレートムース。そのパン屋まで街を横切り、四十分も列に並んで手に入れたケーキ。
それが今、台無しになって転がっている。私たちみたいに。この二年という月日みたいに。
大和が歩み寄ってくる。その顔に罪悪感の色は欠片もない。「なあ、佑梨。話がある」
「今さら、何を話すっていうの?」
「お前がそうさせたんだろうが!」彼は激情を爆発させた。「二年だぞ。丸々二年間も、お前は俺に触らせようともしなかった。俺は男だぞ、欲求だってあるんだ! 俺をなんだと思ってたんだ? 坊主かなんかか?」
彼を拒み続けてきたのは事実だ。彼がキスをするたび、彼の手が私の体を下っていくたび、頭の中には別の誰かが現れた。
深い青色の瞳。
耳元で「だめだ」と囁く低い声。
考えてはいけない、彼の名前。
「もういい」大和は手を振った。「終わりにしよう。正直、とっくに冷めてたんだ。お前と付き合うなんて、氷の塊と付き合ってるみたいだったぜ」
ソファーから、あの女の子の忍び笑いが聞こえる。
私は踵を返し、ケーキを踏みつけて歩き出した。クリームが靴にまとわりつき、甘くべたつく足跡をドアまで残していく。
午後七時。蒼光画廊。
私は無意識のうちに、新しい作品を並べていた――灰色と黒だけで描かれた、一連の抽象油絵。今の気分にぴったりだ。
ドアベルが鳴る。
「もう閉店です」顔も上げずに言った。
「知ってる」
その声。
私の手は、空中で凍りついた。額縁が滑り落ちそうになる。
四年。
四年ぶりに聞く声。
でも、体が覚えている。細胞の一つひとつが、覚えている。
ゆっくりと、振り返る。
杉本俊介が、戸口に立っていた。街灯が彼の背後で灯り、そのシルエットを柔らかな橙色に浮かび上がらせている。体に完璧に仕立てられたダークコートを羽織っていた。記憶の中の彼より大人びて見え、顔立ちはよりシャープに、くっきりと際立ち、瞳の奥には何か深みが増している。
でも、あの瞳は変わらない。
深い、青色。海のよう。私が溺れた、あの場所のよう。
私たちは見つめ合う。
空気が濃密になり、息が苦しくなる。
彼の視線が私の顔から首筋へと下り、鎖骨のあたりで一瞬止まってから、慌てたように逸らされた。
でも、その一秒で十分だった。
肌が、燃えるように熱くなるのを感じるには。
「ここで働いてるって聞いたから」四年前より低い声で、彼が言った。「通りすがりだ」
通りすがり。海外からここまで。よく言う。
「何かご用でしょうか、杉本さん」思いつく限り、最も他人行儀な呼び方を使った。
彼の顎のラインが強張る。「いや。ただ、君が元気でやってるか確かめたかっただけだ」一拍置いて、「彼氏がいると聞いた」
「ええ、います」嘘は滑らかに出た。「順調です」
たった今フラれたなんて知られたくない。彼の影を追いかけて二年間も付き合っていたなんて、知られたくない。
俊介は、落ち着いた足取りで画廊の中を歩く。そして、一枚の絵の前で足を止めた――私が二十一歳のときに描いた絵だ。窓際に立ち、街の灯りを見つめる男の後ろ姿。
裸の後ろ姿。
くっきりと浮かび上がった筋肉。
記憶の中の、彼。
「君がこれを?」彼は絵を凝視し、喉を上下させている。
「ええ」
彼は何も言わなかったが、拳が固く握りしめられるのを私は見ていた。
永遠とも思える時間が過ぎた後、彼はドアの方へ向き直った。
戸口で、彼は立ち止まる。私に背を向けたまま。
「元気でな、佑梨」
そして、ドアが閉まった。
足から力が抜ける。私は床に崩れ落ち、膝を強く打ちつけた。
四年間、彼を想い続けた気持ちが津波のように押し寄せてくる。体が震えるほど激しく泣きじゃくり、爪が掌に食い込んだ。
彼が帰ってきた。
本当に、帰ってきた。
そして私は、まだ四年前のあの夜の影の中で生きている。
あの夜。私の二十一歳の誕生日。
みんなが帰った後、残ったのは私と俊介だけだった。
「酔ってるぞ」彼は階段を上がる私を支えてくれていた。
「酔ってない」私は彼に向き直った。一段下に立って、彼と視線の高さを合わせる。「しらふよ」
そして、私は彼にキスをした。
今度は、彼は私を突き放さなかった。
今度は、彼の腕が私の腰を抱き、壁に押し付け、息もできないほど深くキスをしてきた。
「佑梨……だめだ……」彼の声は掠れていた。
「どうして?」私は彼シャツのボタンを外しながら言った。「愛してる。あなたが欲しい」
「これは、間違ってる……」
「じゃあ、一緒に間違えましょう」
あの夜、私は自分を彼に捧げた。
すべてを。
翌朝、私が目覚めたとき、シーツは冷たくなっていた。
彼は、いなかった。
枕の上に、メモが一つだけ。
「ごめん。君を台無しにはできない」
四年。千四百六十日。
一日たりとも欠かさず、私は彼が帰ってくるのを待っていた。
携帯が震える。
大和からのメッセージだった。「お前の荷物、アパートの外に出しといた。もう連絡してくんな」
私は画面をじっと見つめる。
それから、笑いがこみ上げてきた。
俊介が帰ってきた。
大和にフラれた。
つまり、私は自由だ。
四年前の私は、彼に拒絶されて諦めてしまうような、臆病な女の子だった。
でも、今の私は二十五歳だ。
自分が何を欲しいのか、わかってる。
彼が欲しい。
今度こそ、逃がしたりしない。
